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『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』我々はイナゴに1,800円払ったわけじゃあない。

 前作『ジュラシック・ワールド/炎の王国』は、かなりの問題作だった。遺伝子を操り恐竜を蘇らせた人類は、今度は自らの複製、クローンを造るに至った。その傲慢さの代償として、恐竜たちは世に放たれ、人類は地球生命の王者という立ち位置を失った。

 あれから4年、人間社会はどのように変化しただろうか。人類と恐竜の共存は果たされたのか。恐竜たちを世界に放ったオーウェンやメイジーらはこの大いなる責任にどう向き合うのか。その期待を胸に劇場に駆けつけると、大スクリーンに現れたのはでっかいでっかいイナゴだった。嘘でしょ。

以下、『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』の
ネタバレが含まれます。

 今更言うまでもないが、映画『ジュラシック・パーク』はワンダーの塊だった。誰も見たことのない恐竜をもしこの目で見られたら、そんなテーマパークが本当にあったらと何度も妄想して、夢のような設定と世界観に魅入られた人は世界に数え切れないほどいるはずだ。マイクル・クライトンによる原作小説では遺伝子工学の発達と生命倫理がテーマとして扱われており映画版もそれを踏襲しているが、スピルバーグ御大が描き出した映像にはそれらを凌駕するほどの感動が、想像力を刺激する喜びが満ちていた。

 そんな偉大なるシリーズを背景に持つ『ジュラシック・ワールド』シリーズは、夢のテーマパークが再度頓挫する一作目、恐竜たちに迫る絶滅の危機を回避しつつも最後に待ち受ける展開に全世界が驚愕した二作目を経て、ついに完結に至る。しかも、『パーク』三部作の中心人物を演じたサム・ニール、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラムがカムバックするとあれば、映画ファンなら期待するなという方が無理に決まっている。で、そうした高まった状態で身の毛のよだつ巨大イナゴを見せられたらどうなるかは、それはもう失望の一言でしかない。

 何も、映画全編を酷評する気にはなれない。恐竜がいる風景が当たり前になった人間社会の描写は面白かったし、ラプトルとのチェイスや数多く用意されている恐竜からの脱出シークエンスもハラハラさせられた。旧シリーズのキャストも単なるカメオ出演の域を超えて冒頭から活躍し、アラン・グラント博士のチームとオーウェンのチームが別々のラインでサンクチュアリを目指し、やがて合流するのは『ガメラ 大怪獣空中決戦』のようでもあった。ファンサービスとしての細かいセリフ回しやイアン・マルコムのニヤリとさせられる終盤のあるシーンも気が利いているし、何よりクライマックスバトルのド迫力っぷりは流石『ワールド』シリーズの真骨頂。少なくとも恐竜パニック映画としては、充分すぎるほどに見どころが詰まっている。

 だが、こと本作においては"恐竜パニック映画としては面白い”だけでは、駄目なのだ。なにせ、『炎の王国』の続編である。おっきな恐竜が出てきて、わぁ楽しい、では済まされない事態に、他の誰でもない主人公たちが引き金を引いてしまった、あの続編である。世界は混乱し、多数の死傷者が出ていることを、ご丁寧に冒頭のニュース映像で描写する当たり、作り手も事の重大さを承知であの続きを作ると決めたはずだ。ところが、人類の滅亡の危機を握るのは、遺伝子操作された巨大イナゴだと言う。

 人類と恐竜の共存が不可能だと言うのなら、いっそのこと人間社会が崩壊した『猿の惑星』リブートシリーズのようにしてしまっても良かった。何せ現状の完成された映画でも、恐竜による人死が出るたびに「これって間接的にはメイジーたちの責任なんだよな……」と頭によぎるせいでずっと集中を欠いてしまうのだから、修復不可なくらいぶっ壊れた世界観が見たかった。まぁ、オーウェンたちは特段厳しい監視を受けず、密猟者が先に彼らを見つけるようなリアリティの作品にそんなことを望むのも贅沢かもしれないが。

 と、観たかったものと相違があった、というだけで終わればいいのだが、本作はその上さらに倫理的な引掛けを残してくれた。クライマックス、遺伝子操作されたイナゴはメイジーのDNAに施された技術の応用で駆逐され、食糧問題は解決。当の恐竜問題については「地球基準で言うと恐竜の方が種として人間より長生きしているし、そこから学べば共存の道は見つかるかも」みたいなモノローグがBBCドキュメンタリーみたいな美麗な映像と共に流れて映画は終わる。恐竜との共存、確かに(それが可能かはさておき)恐竜と人間の生息圏を隔絶したり、あるいは動物からコミュニケーション方法を学ぶなどすれば、糸口は見つかるかもしれない。オーウェンとブルーの間にある絆が、その証左だろう。

 では仮に、「人間とコミュニケーションが可能なイナゴ」が発生したら、どうだろうか。意思疎通が不可能なイナゴ、自分たちの遺伝子操作で生まれたはずのそれらへの感情移入を一切廃し、恐竜にだけ共存の道を模索するのは、イナゴの見た目のせいでカモフラージュされてはいるが、かなりグロテスクである。結局の所、生殺与奪を握り我が物顔で一つの種を駆逐し、恐竜という存在には頭を垂れる人類の浅ましさに、いったい観客はどんな感情になればいいのやら。

 上掲した前作の感想を読み返すと、続編、つまり今作『新たなる支配者』に対しては「ブラキオサウルスのように首を長くして待っていよう。」というコメントで結んでいた。

 ……いや、ギャグが滑っているのは置いておいて、なんだか無邪気にあの結末のその後を待ち望んでいた頃が、もはや懐かしい。そして、もう恐竜たちと出会える夢のテーマパークに心躍らせることはもうないんだと思うと、ひたすら寂しい。いっそのこと「Tレックス・ファイト」と題して、毎年様々な人造恐竜と闘うミニシリーズとして続くのはどうだろうか。モンスター・バースと合流して、ゴジラ参戦!とかになったら、楽しいだろうなぁ。

 まぁそんな冗談は無視して、恐竜の皆様各位は、人間様のことなどどうぞ忘れて、平穏に暮らしていってほしい。虫だけに。

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