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初めて『アイカツ!』の時が動き出す瞬間に立ち会った。

 『アイカツスターズ!』の1話を再生したのが昨年の7月ということで、彼女たちのアツいアイドル活動を見守り始めてもうすぐ一年が経とうとしている。そして今日は、そのシリーズの最新作と偉大なる初代の続編が劇場公開され、新たに時計の針が進む瞬間を目にしてきた。女児向けアニメへのアンテナが低い私にとって、『アイカツ!』の最新話を諸先輩方と同じ目線で、同じタイミングで「立ち会う」ことは初めてで、朝一の上映にも関わらず劇場に駆け付けたファンと一緒にその時間を共有できたことは、映画の感想とは別の感動があったことをお伝えしたい。

以下、『劇場版アイカツプラネット!』『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』のネタバレが含まれます。

 まず、『劇場版アイカツプラネット!』から幕を開ける本作。プラネットプリンセスグランプリを経てますます忙しくなっていく中、舞桜は応援してくれるファンや一緒にアイカツに励む仲間たちに感謝を伝えるべく「アイカツプラネット大感謝祭」を開く、という物語だ。

 バラエティにライブにと賑やかに進行する大感謝祭。ファンを楽しませつつ、仲間たちそれぞれの好きなことややりたいことをテーマに企画を考え、実行していく舞桜。TVシリーズで描かれたのが「なりたい自分に出会う物語」だとしたら、今回の劇場版は「やりたいことをひたすらやる!」という磁場に満ちていて、明るく元気な舞桜らしさが物語そのものを稼働させていく。多忙を極める(らしい)彼女たちが感謝祭のために一堂に会したのも、舞桜の人徳あってのもの。

 思えば、舞桜は明咲に代わってハナを務めていたことを明かした際、アイカツランキングの得票をリセットするよう自分から申し出ており、とても誠実な人柄が際立っていた。そして本作では、ファンの悩み相談に真剣に向き合い、時に直接相談者に会って悩みを解決したこともあったことも言及される。そんな彼女に感謝を伝えようとサプライズを思いつくルリの優しさが実を結び、みんなの手形が花になって、花がたくさん咲いて人と人との「」を繋げていく。

 明咲の代理で始まったアイドル活動はやがて舞桜の人生に大きな変化を与え、そのきっかけをくれた全ての出会いに感謝を伝えようとした彼女に、周りからもっともっと大きな感謝が還ってくる。ありがとうの想いが繋がるアイカツの「WA」、とても優しくて暖かい物語であった。尺の関係上、TVシリーズ1話のちょっと豪華版という印象も否めないのだけれど、これまでの物語のその先を描くメッセージとして綺麗な着地だったと思う。

 そして、『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』である。プラネット!のエンドロールが終わり、暗転してわずか数秒の空白が訪れた時、心臓が暴れだしそうになるほどの緊張が走り、どれだけ泣いてもいいようにと家から持ってきた一番厚手のハンドタオルをきつく握りしめる。その刹那、見慣れたはずのアイカツ!のロゴが浮かぶあの空間に、星宮いちごが現れて、「はじまります」と言った瞬間、もうダメだった。握ったハンドタオルは嗚咽を漏らすまいと今度は噛みしめる羽目になり、滂沱の涙はマスクにダメージを与えていく。大きな劇場のスクリーンで、星宮いちごに出会うというたったそれだけの一瞬が、自分にどれだけの影響を及ぼすかを、私は過小評価していた。たった一年の新参がこれなんだ、10年追いかけてきたファンは死ぬんじゃないかと予感したとき、隣のお姉さんが前のめりで顔を覆い始めたので、もうこれは生半可な覚悟では観られんぞと、握り拳は劇場に灯りが点くまで片時も解かれなかった。

 いちごとあかりのユニット「コスモス」の初ライブから始まる本作は、なんとサブタイトルが用意されることでアイカツ!179話としての立場を表明してしまう。なんということだ。『ねらわれた魔法のアイカツ!カード』から実に6年、ファンの間で止まっていたいちごたちの時間を再び動き出させるという宣言に、巨大な“意味”が発生してしまう。その上さらに、彼女たちは半年後に迫る卒業を意識することで、今後の進路について考える時期を迎えていた。アイドルを続けるのか、それとも――、という命題を前にして、実は本作は「コスモス」の物語ではなく「もう一度、ソレイユに向き合う」なのだった。

 自分たちの将来について悩むソレイユの三人。その風景を観て、私はある種の懐かしさにとらわれていた。私が好きな星宮いちごの姿は、留学から帰ってきて一回り成長し、あかりのメンターとしてのカリスマを発揮する彼女の姿だった。悩めるあかりに手を差し伸べ、弱音を吐かずに時に達観したような思考や振る舞いを見せ、常に最前線を走ってきた。そんないちごが、「将来」という不確定な未来に、かつ自分自身で決断しなければならない問題に立ち向かう時、なんだか留学前の「オフ」の意味さえ知らなかったあの頃の彼女の姿がふっと蘇ってきて、それが何だかとても愛おしかった。

 でもやっぱり星宮いちごは、これまでの178話と劇場版を経た彼女であり、そのことがあおいとのシーンに表れていた。表れていたし、私と隣のお姉さんがもう倒れるんじゃないかというくらい泣いた。いつか一緒にいられなくなる日を悟ってるからこその「おやすみ」と「おはよう」の応酬、少しだけ甘えてみても一人で起きられるいちご、「なんでも聞くよ、いつでも」の一言にぜんぶぜんぶ詰まってて、「2022年にこの質感を書ける加藤陽一せんせぇ」に全ての感謝を捧げたいと思います。本当にありがとうございました。助けてください。

 隣のお姉さんや、一緒にこの映画を観ている人はアイカツ!10年選手なのだろうか。アイカツ!を観て育って、今は学生や社会人として頑張っているかつての少年少女も今日駆け付けたのだろうか。10年あれば人生は激変するし、その節々で「自分はどう進むべきか」の選択を突き付けられる。私の例で言えば、アイカツスターズ!に出会った一年前と比べても、疫病の蔓延に伴って私を取り巻く環境は変化して、またしても決断を迫られるステージに移行している。失敗するのは恐ろしくて、誰も守ってくれないくせに、世の中は「自己責任」の言葉で溢れかえっている。変わっていくことは痛みを伴うし、その痛みを一人で背負うのは苦しい。

 あぁ、いちごもあおいも蘭も、スターライト学園3年生の皆も、その節目に辿り着いてしまった。各々が自分の人生に対する責任に向き合う時、すなわち「大人になる」瞬間がもうすぐそこまで迫っていて、作り手がここに踏み込んだ以上明確な「終わり」が来ることが明言されてしまった。10年の時を経て、キャラクターたちの時間をもう一度前に進める覚悟。このヒリつくような感情は、最近『仮面ライダーオーズ』で味わったばかりだ。作り手とファンによる、解釈と愛の総力戦。来年春に待ち受けるその瞬間へのプロローグとなる『アイカツ!179話』を、私は確かに目撃した。生まれて初めてリアルタイムで見届けた『アイカツ!』の新エピソードは、10周年を祝うお祭り的な番外編を選ばなかったクリエイター各位の覚悟が込められた、妥協なき完全新作であったことを、嬉しく思う。 

 ソレイユは、三人でソレイユ。その想いが少しも欠けることなくフィルムに込められていて、私はどうしようもなく嬉しい。そして、「今」の彼女たちが見せる最後のライブ、卒業式を来年春に控える今、私の中のアイカツ格言は「生きる。」の一言になってしまった。なんだか藤岡弘、さんの授業のようになってしまったけれど、何が何でも生き延びて、ソレイユの輝きを目に焼き付けて、成仏したいと思う。生きる。今はそれだけです。














 ウソです。ライブのチケットください。何でもしますから!!!!!!!!

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