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関西途中下車②


前回記事

毎年8月6日は関西にいる。前年度から出演のやりとりを泥酔しながら決める。
25歳くらいから続いている行事のようなもので、僕自身もこの関西遠征のことを夏休みと捉えてスケジュールを組んでいる。
例に漏れず今年も僕の夏がやってきた。今回の目的は3つあった。夏休みというよりも、約束を果たす為にこの街に帰ってきたのだ。

関西途中下車 ①

僕の旅の目的は残すところ2つ。
6〜7日に飲んだアルコールがまだ身体に渦巻いている8日の朝、僕は随分と懐かしい天井を見つめていた。

ここは天神橋筋商店街、別名日本一長い商店街の一角の地下にあるライブハウス扇町para-diceの楽屋だ。ここに泊まるのは2年半ぶりとなる。僕は昨晩泥酔した身体でそのまま扇町para-diseの楽屋で眠っていた。

僕の寝床がこのソファ
熟睡できる頂まで辿り着いた

僕の入り時間(ライブハウスにリハの兼ね合いで入っておかなければいけない時間)は8日の13:00となっていたが、僕は7日の深夜に京都の烏丸から大阪は天神橋筋6丁目まで阪急電車を乗り継ぎ前入りさせてもらっていた。10時間ほど早い楽屋入りだった。

真夜中扇町para-diseを訪ねると地下1階にある会場の扉がまだ開いて談笑が聞こえていた、そっと覗いてみるとそこには陽気に酔っ払っているスタッフのみんながいた。

僕に気づくと、一番陽気な天然パーマのスタッフが声を上げた、一瞬驚いた様子をしていたが瞬時に状況を理解したその方はこれまた陽気に

『そりゃ来るよな、ビックリもせぇへんかったわ』

と僕に言った。この方こそ今回の目的の一つとなる人物

安井さんだ。


安井さんとの出会いは遡って調べてみると2016.09.01に僕が初めて扇町para-diceにライブをしに来た日だった。当時22歳、初めての音源と初めてのツアー、ライブをしに大阪に来たのも初めて。そんな初めてだらけの時にこの場所に訪れた。
その当時のことを僕は書き記していた。

この日を境に僕はこの地下室に何も知らず飛び込み、まんまとこの地下室にあるライブハウスの魅力にはまっていくのである。そこには本当に揺さぶられる音楽が鳴り響いていた。
(その魅力を書き始めたら本筋からズレてしまうので今回は一つの記事を掲載しておきますのでお時間あったら必読で見ていただけたらもっと僕の記事が面白く読めると思うし、君もいつの間にかこの地下室で美酒に酔いつぶれていると思う)

この当時の僕のブッキング担当はASAYAKE01さんだったが、バーカウンターにドラマや映画に出てくるような如何にも大阪人っといった感じのアフロのスタッフが鎮座していた。それが安井さんだった。

安井さんはこのハコのドリンクとブッキングと照明と酒ヤクザを担当していて、僕も初日からお世話になった。過去の記事にも書いたが本当に朝まで飲み明かした、しかも演者じゃない終電難民や、酒を飲み足りない酒難民のバンドマンがわらわらと集まって最終的に早朝まで営業している食堂でうまい飯を食ってみんなで楽屋もしくはステージに寝るという王道のホテルパラダイスコースを堪能してしまったのだ(※ホテルパラダイス:酒で死んでしまった諸々がその夜息を吹き返すことができずそのままライブハウスに寝て朝〜昼頃に帰ること。)

そういう酒を飲んでいる時間に僕達は自分の話をしたり音楽の話をしたり、悩みや失恋話、時には本格的な喧嘩もしたり、そういうのは思い返せばお金に変えられないくらい大切な時間でずっと楽しかった。

主催「三倍ダビング」で灰となった安井さん

安井さんは演者入りからライブスタート、打ち上げ、そしてホテルパラダイスまでの道のりを幾多も共に乗り越えてきたオジキであった。

あの当時の僕は尖り狂っていたので地元である佐賀からは追放された説が出ていたし、友達も本当に少なかったし(実力ないくせに嫌な奴だったし)音楽の拠点としていた久留米も弾き語りのアーティストが少なく周りはバンドだらけでしかもこれまたみんな尖り散らしていたのでちっとも仲間に入れず擦れに擦れまくった結果居場所が欲しくて、仲間が欲しくて県外に飛び出したのも理由の一つにあって。こうやって朝まで音楽の話ができて、真夜中に長い天神橋筋商店街をみんなで歩いてボロい食堂に向かって歩くことが遠くにきてやっと見つけた居場所のようで、そういう中に引き込んでくれたのが安井さんだった。

腹が減ると近くの玉出という
激安スーパーの半額になった
弁当やお惣菜を買ってきて
格安打ち上げをはじめるのも
パラダイスの打ち上げ恒例となっている
だいたい陽気になる漂流者たるパラっ子たち

それからというもの僕は1〜2ヶ月に1回はこの扇町para-diseに出演するようになっていた。途中からASAYAKE01さんが退職され引き継ぎに面倒を見てもらったのが安井さんでそこで相当しごかれた。

『MCの話がおもんなさすぎて死にかけた、二度と大阪で笑いをとりいくMCをするな』をはじめ、ギターが下手やから練習1日20時間はしろ、MCが今日もおもんない、ライブがつまらない、モタって欠伸が出るようなライブやったなどなど色々ちゃんと言葉にしてもらった。

ただ楽曲だけは否定されたことがなかった。一緒になってどうやったら良いライブを、その楽曲を活かせるのか朝まで考えたり喋ったりしてくれた。厳しく鋭い指摘も全部そこにちゃんと繋がるように腹割って喋ってくれていることがわかっていて、僕はそれがたまらなく嬉しかった。そして対バンも毎回絶対に今の自分じゃ越えられないくらい高い壁のような神のような演者とあててもらっていたりした。
(例えば東京のAndareヨヲコヲヨさん、黒木サトシさんなどなど)

だから行くたび行くたび練習やパフォーマンスをぐんぐんと伸ばしていって、今日に至る竹崎彰悟が出来上がっていった。
安井さんは売れる売れないという側面ではなくて、どうやったら良い音楽ができるのか、それをひたすらと体当たり的なカタチで教えてくれていた。

こうやっていま一人のシンガーソングライターとして胸はって音楽をして、一人前にしてもらったのも安井さんがいたからこそと言っても過言ではなかった。

そんな大阪のオジキと出会って4年後の春、2020年3月にこの流行病が世間的に厳しくなる直前まで丁度ツアーに出ていた僕は大阪にいて、ライブハウスがどんどんと追いやられる最中僕は安井さんの近くにいた。
ご存知の通り日本で最初にクラスターが起きたライブハウスが大阪で、当時間近で追いやられてそれでも争いどうにかできないか奔走していたこの扇町para-diceをすぐ横で見ていた。
それ故にしばらくこの場所に福岡からは帰ってこれないことは安易に想像がついた。それと同時に兼ねてから自分自身もツアーという行為は一旦止めて自分自身を見つめ直すためしばしの別れの挨拶を済ませるためのツアーであったため次いつこの街に帰ってくるのか一切わからなかった。

だからこそ、安井さんに次帰ってくる時は一回りも大きくなって帰ってきますと言い残し僕は2020年3月の半ば頃、扇町para-diceの存続を願いつつも自分の街に帰っていった。

僕が帰路に向かっている新幹線の中で、扇町para-dice2ヶ月間の休業の告知をみた時胸が張り裂けそうな気持ちでいっぱいになった。

自分の歩みが遅くて、もしかしたらやっとこの街に顔向けできるようになった時、扇町para-diceというハコは無くなっているんじゃないだろうか。そういう不安の最中、必ず帰ってこなければいけないと僕は振り切るつもりで自分と真正面から向き合いそしてtunaから竹崎彰悟になった。

(後日談だがその後奇跡のクラウドファンディング1日で目標金額の3倍を超える資金を集めた扇町para-diceはみんなの無くなって欲しくないという愛とスタッフみんなのいっさい誇張なしの頑張りで存続されることになった。)

奥のアフロが安井さん

そういった背景がある中、僕自身もようやく自分の中のモヤを取っ払ってそろそろ僕の愛する街に帰りたいと願っていた2022年6月に扇町para-dice公式アカウントから思ってもいない発表があった。

まさに寝耳に水、思ってもいない状況に衝撃をうけた。
最近の近況や動向など大阪にいないのでどういった経緯でこういう話になったのか、前向きな話なのか勇退という奴なのか、それとも音楽の世界に愛想尽かしてしまったのか。ことの真相もわからぬままこの日僕は自分が胸張って帰ってくるには間に合わなかったという事実に立ち上がることができないでいた。

いや、まだ間に合う、せめても安井さんがいるうちにあの場所に戻らなければ。
そう思い7月になってから僕は安井さんにDMをして8月8日にブッキングをしてもらった。これが最後のブッキングとなる日だ。

僕は今回の旅の二つ目の目的として安井さんに会いに行くことを決め大阪へと歩みを進めた。

僕は深夜扇町para-diceに着くやいなや安井さんに質問攻めをした、わかったことは公式の発表通り勇退という名に相応しい自分の進路を新たに切り拓いた安井さんの話だった。2年間で新しい出会いもあり、自分の生活を見つめ直し、ここから旅立ちまた挑戦する道を選んだ安井さんだった。もちろん音楽活動も継続し、そしてこのライブハウスにもちょくちょく顔を出すことになるだろうっという大いなる前進のための退職だった。

それを聞いて変わろうとしていたのは自分だけではなく、周りも同じく変化しようと挑戦していたのだとその時再認識させられた。そしてそうやって自分の道を進めた安井さんがとても安井さんらしく、それなら最後俺は変わりましたよとこの日誰よりも良い一番の最高のライブを安井さんに見てもらおうと決めた。

が、現実は本や映画ほど思うように話は綺麗に終わらなかった。

この日の共演者が屈指の腕利き揃いだった、数年いなかったせいで忘れていたが安井さんのブッキングは『マジで一切容赦ない』ブッキングだったことを僕はリハから思い出すのだ。


この日は僕が尊敬してやまないnayutaのギターボーカル宮本章太郎さんがトリ


トリ前が異彩の歌声で人々を魅了するイワクニマユさん

その前が僕で、突発がその一声で誰もが振り向いてしまう歌声のMee floatさん

Mee float⇨竹崎彰悟⇨イワクニマユ⇨宮本章太郎の順番でライブが始まった。

すでに突発のMee floatさんで大阪の下町の地下室でなる平日の一夜なのかと疑うくらい良質な音楽が放たれる。

意気揚々と大阪まで来た自分はすっかり数年前の自分のメンタルに戻っていた。そうビクビクしていたのだ。忘れていた、扇町para-diceというハコは徹底して良い音楽を生み出すため、そしてそれを磨くため手練れたちが集うライブハウスだった。

そんな僕のライブは1曲目の1分程でピックを飛ばしてしまって一瞬記憶が飛ぶような状況となる。自分自身ではどんだけ初っ端ミスがあっても、リカバリーできるほどの場数は踏んできたつもりなので別に特別ライブがゴミだったとは思わない。ちゃんとお金を払える程度にはできている、そこは間違いない。でも、長い前説を記した通り今日という日がどれだけ特別だったのか、どれだけ大切な日だったのか。

その開始1分でのミスが本当に自分らしすぎて思わず笑ってしまった。肝心なところで本当に締まらないよななんて思わず笑ってしまった。

ただ、そこから吹っ切れてしまったのか後半は何も滞りなく演奏をしきった。見繕わず、大きく見せず、そうそうそういうことを教わった。おもんないMC、つまり自分を過大に大きくみせるようなことをしない。自分自身をお客さんにぶつける。そうだそういうことを習った。最初のミスを超えた先に嫌なほど冷静な自分がいた。ここでやってきていたことは勝手に身になっていたのだ。

その後、イワクニマユさんと宮本章太郎さんが満塁ホームラン級のライブをしていて悔しさもありつつもその鳴らす音楽に魅了されさっきの自分の失敗もいつの間にかその間だけ忘れて目の前でなっている音楽に惹き込まれていた。

こういう夜がこんな平日ど真ん中でおこなわれているから、この場所での音楽は楽しくてしかたないんだよな。サッポロ黒ラベルのプルタブをクシュッと開けてビールが喉元を通り過ぎていく、今夜も最高の音楽が鳴っている。僕はやっぱり人が鳴らす音楽が好きだ。

閉演後、会場にいる人々とみんなで乾杯をした。安井さんは2:00で帰るなんて言ってたけど結局ちゃんとpara-diseに泊まって帰ったみたいだ。
今回の精算もちゃんと説教されて、でもよう来てくれたな、なんて時折安井さんの嬉しさも垣間見せながら、こうやって安井さんに言ってもらえるのも最後か、なんて思い僕は本当に感謝の気持ちがいっぱいで。

午前3時を迎えた頃永遠と安井さんに感謝を述べるスイッチが入っていたらしく、感謝の言葉を永遠と伝えていたらしい。

ただ、後から聞いた話だけどその時安井さんは潰れていて他のスタッフであるフレッシュさんを安井さんと思い永遠と感謝の言葉をフレッシュさんに述べていたとのことで、僕もこの扇町para-diceに長く浸かりすぎたんだと自分の酔っ払い加減に恥ずかしくなってしまった。

結局その夜はほとんどの人間が酒で死んでしまったのにイワクニマユさんだけ無限にビールを飲み干し、朝7:00に顔色ひとつ変えず『始発ももう出たので帰りますねっ』と言い残し我々を残し帰っていったらしい。

そうして僕は9日の朝頃、前日と全く変わらない天井を見つめていた。
そうして自分のライブのことを見返していた。

何気なく自分がMCで
『50のおっさんがこんな頑張っているのに20代の自分がなにもかも完成させたなんて思ってしまったことが烏滸がましかったです、俺まだ頑張ります』っといっていた。

顔がぱんぱんの僕(泥酔二日酔い中)と安井さん

現実は漫画や映画やドラマみたいにうまいようには終わらなかったりする。
でもそれと同時にあの日というのが終わりではなく、ただの通過点に過ぎなくて、まだ終わりでもなんでもないんだぞとステージに立って気づいてしまったみたいだった。

弾き語りという音楽は歩んだ歩数分色濃く音楽に反映される、それなら僕はまだ道半ばだ、だからまだまだ精進します。なんて、一体今が何時かもわかっていない薄暗い楽屋でとりあえず思いふけた。

この頭が割れそうなくらいの頭痛が治ったら頑張ります、なんて言ってみてもう一度眠りについた。

ちなみにMCは少しだけウケた、安井さんも笑ってくれていた。

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