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杉山神社大集合!

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古墳巡りで出会った杉山神社。鶴見川水系を中心に40社ほどが存在する超ローカル神社。高台の上や崖の下や鬱蒼とした森の中にある鄙びた杉山神社たちをコレクション!
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杉山神社・事始め

ハァ〜♪ 社務所もねぇ!御神籤もねぇ!賽銭箱も見たことねぇ! 丘の上、崖の下、森の中にしか建ってない! (吉幾三「オラ東京さいぐだぁ」のメロディで) そんな替え歌がピッタリな鶴見川水系にしか存在しない超ローカルでマイナーな杉山神社。古墳散策で出会った愛すべき神社をこのマガジンでまとめていきたいと思います。 杉山神社とは現在、主に鶴見川水系流域に49社もあり、他の地域には存在しない。 新編武蔵風土記稿(幕府が1810〜28年にかけて編纂した地誌)には、橘樹郡37社、都筑郡

杉山神社コレクション

鶴見川遺跡紀行に引き続き、これまた放置気味の杉山神社シリーズ。 鶴見川流域に40社以上(神社合祀前は最大70社以上)も存在し、周辺の歴史を語る上で避けて通れない杉山神社とその謎。 延喜式神名帳に記載された「杉山神社」が一体どこなのか? 流域に広がった理由とは? その謎に迫るため鶴見川を遡り各社を巡り続け、これまでに有力候補とされる数社(論社と呼ばれる)について個別の記事にしてきました。 しかし、それ以外の杉山社については記事にすることもなく、写真は未だ我がスマホの中に眠

鐵神社の話 ふたたび

気になる名前のあの神社の後方には…実は! 鉄と書いて「くろがね」と呼ぶ鶴見川上流の町。 この地には鐵(くろがね)神社というカッコイイ名前の神社があり、しかも、その前身が杉山神社(杉山明神)という… 前回は「くろがね」という地名の由来にフォーカスして記事を書きました。今回は、ひょんなことからゲットした情報を元に、再度、鐵神社について迫ります。 学園内の古墳?最近、鉄町にある桐蔭学園高校出身の若者と話す機会がありました。同校は文武両道の校風で、ラグビーとサッカー、野球は全国

三輪椙山神社

「杉」か「椙」か?一体、何がルーツなのか? 西谷戸横穴墓群からスタート。 丘陵のヘリに沿って進むと、いかにも旧道らしい三叉路が現れます。それを左に曲がってすぐの場所に、奥まった感じで鎮座しているのが三輪椙山神社です。 三輪の由来町田市東部の突端部。鶴見川に接したこの地域は「三輪」と呼びます。 「三輪」自体は珍しい地名ではありませんが、どのような由来があるのでしょう。 ・大和三輪説 一説に、奈良県の三輪山が由来と言われています。 三輪町の南西には奈良町(横浜市青葉区

鐵(くろがね)神社

産鉄由来か?地形由来か?気になる名前のあの神社 稲荷前古墳群からスタート。 前を通る日野往還(現・横浜上麻生道路)を上流方向に向かって進みます。 黒須田川を越えると、そこは「鉄」と書いて「くろがね」と呼ばれる地域。 なんだか気になる地名だな… クロガネの語源(上のリンク先は一見すると町内会のサイトに見えますが、実は個人で運営されているサイトのようです。郷土史や風習、説話などは、知っている人が居なくなると途絶えしまうので、ネット上で継承する試みは素晴らしいですね)

さまよえる式内社? 大棚中川杉山神社

孟母もビックリ!大人の事情で4回もお引越し? 数ある杉山神社の中でも、式内社の有力候補と言われる大棚中川杉山神社。しかし、現在地に至るまで遷座を繰り返す数奇な運命をたどりました。 今回は、その変遷も含めて散策していきます。 そもそも…杉山社の式内社問題は長らく放置されていたのですが、江戸時代に入って急に取り沙汰されるようになります。その理由として、社会が成熟していくにつれ、村々が自らのアイデンティティを確立する「村おこし」的活動として取り組んだことが考えられます。熱心に活

勝田杉山神社

今回は、勝田杉山神社とその別当寺の最乗寺、さらに近くの豪農・関家住宅を巡ります。 勝田社は、延喜式内社の有力候補(論社)に挙げられたり挙げられていなかったりと微妙な立ち位置のようですが、杉山神社を詳しく紹介しているサイト(保土ヶ谷郷土史)では、大熊社と共に論社と記載されています。 大熊社論社説はあまり見ませんが、その立地は式内社に相応しい立派な場所でしたので、個人的には論社説大賛成。となると、勝田社にも期待がかかります。 勝田町の立地勝田町は、中原街道と早渕川の交わる交

新吉田杉山神社

鶴見川紀行上流編に進む前に、どうしても早渕川沿いの杉山神社をまとめなければなりません。上流域の歴史を語る際、杉山社の話は避けて通れないのです。 と言う事で、延喜式内社の有力論社の一つ、新吉田町の杉山神社を巡ります。 周辺地図(新吉田社が共有マップ上に表示されないので、森農園を表示。  拡大すると、そのすぐ上に神社が出てきます) 早渕川の中里橋(島忠ホームズ近くの橋)から、大棚98号線を台地の縁沿いに進みます。迷いながらもグーグルマップを頼りに自転車を漕いでいくと… 参

池辺杉山神社と八所神社

池辺と書いて「いこのべ」ごく普通の交差点ですが、よく見てください。 「池辺町」と書いて「Ikonobe Cho」なんて読めますかね。しかも、修正された跡まである。 この町名は難読地名で有名らしく、「はまれぽ」さんもレポートしています。 池辺町の由来を調べてみました。 地名の由来は、近くのお寺にも記されいます。 宗忠寺の碑先ほどの交差点の、岩が置かれている道を左に進むと 立派な山門の宗忠寺。入り口には碑があります。 やっぱり池があったのですね。大きな池があったから「

佐江戸杉山神社 佐江戸城址

今回は、杉山神社と佐江戸城址巡りがセットでお得! 前々回に引き継ぎ、鶴見川中流域の終点、佐江戸町を散策します。 ここには、杉山神社と中世の城が同居している佐江戸城址があります。小机城との関係や後北条氏家臣の猿渡氏など気になることがいっぱい。 鶴見川から出発。落合橋から中原街道を右(下流から見て)に進むと、人気そば店「味奈都庵」が見えます。後方の高台のさらに先が目指す場所。 台地のヘリに沿って中原街道を進むと、急に片側一車線の細道に。中世の街道がそのまま車道になった雰囲気

西八朔杉山神社 恩田川紀行(2)

シンデレラのように式内社に選ばれた神社 ライフワーク化した杉山神社巡り。 しかし、今回は一層ワクワク感が高まります。 そう、今日向かうのは、あの延喜式内社の有力論社。 恩田川流域2中川大橋を越えて先へ向かいましょう。 横浜線沿線は都市化が進む一方、対岸は長閑な田園風景が広がっています。 右手に丘陵地が見えて来ました。田園地帯に入り、気持ちの良い眺めです。 萬代堤改修記念碑。恩田川流域も水害に悩まされた場所なのでしょう。 西八朔杉山神社川沿いから内陸に入り、畑を抜け

「青砥」杉山神社 恩田川紀行(1)

今回は杉山神社ではなく「青砥」が主役です。 お待たせしました(待ってない?)鶴見川遺跡紀行の第2弾が始まります。 今回は、支流の恩田川沿いを散策します。 今までタイトルに「遺跡」を入れていましたが、恩田川って遺跡が少ないので、素直に川を遡ることにしました。 恩田川恩田川の概要 鶴見川上流の支流。長さ13km、流域面積46.7㎢、源流は東京都町田市。下図から分かるように、谷本川(鶴見川本川)にも劣らぬ水量を誇ります。 【ご参考】 鶴見川水系河川整備計画(神奈川県) h

大熊杉山神社・折本貝塚・折本西原遺跡 大熊川紀行

今回は、これまで全く行ったことのないルート、いつもと反対側の鶴見川左岸(上流を背にして左側)を巡ります。 新横浜の多目的遊水地周辺。 なんだかすごくイイ感じだったので、思わず撮った写真です。 正面に亀の甲橋、奥には丹沢の山々。手前のオブジェ風の建造物は、高速神奈川線の新横浜換気塔。グッドデザイン賞を受賞しています。 こんなに天気の良い日は、気分もあがります。 大熊川 鶴見川と支流の大熊川との合流点です。 高速のトラス橋で押しつぶされそうな大竹橋、桁下高さ制限2.3m。バ

北新羽杉山神社

新羽町に続いて 北新羽総鎮守・杉山神社に行ってきます。 ここは少し分かりにくい場所で、散々迷って辿り着きました。 ブルーラインを超えて「せせらぎの道」的な遊歩道を進み、佐川急便のヤードの所を曲がり、緩やかな坂道を登っていくと、 参道と鳥居ん、鳥居が中空に浮かんでいる...いえいえ、 参道が崖沿いに横からつながっています。道路を作るために丘を削ったのかなと思ったら、明治時代からこのような形だったようです。 今昔マップさんより このアングル以外、全体が写らない鳥居。