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祥泉院遺跡 鶴見川遺跡紀行(13)
鶴見川遺跡紀行(8)〜(12)までは上流域東岸を進みましたが、これからは西岸を進みます。
一応、前回(12)の記事↓
距離的に近い遺跡の記事↓
今回の目的地である祥泉院遺跡は、稲荷前古墳群の対岸に位置します。
みたけ台
この地域は、現在「みたけ台」と呼ばれています。
昭和50年の土地区画整理事業の施行に伴い、上谷本町の一部から新設した町。古くは都筑郡上谷本村であった。明治22年の市町村制施行の際、寺家村・鴨志田村・成合村・下谷本町・鉄村・黒須田村・大場村・市ケ尾村・北八朔村・西八朔村・小山村・青砥村・下麻生村飛地と合併して中里村大字上谷本となり、昭和14年の横浜市へ編入の際、上谷本町となる。平成6年の行政区再編成に伴い、緑区から編入。町名はこの地域に竹が多かったことから「みたけ台」と名付けた。
青葉区には〇〇台とか〇〇ヶ丘、〇〇野などの区域名が多く、しかも、〇〇が植物であるケースが大半です。ニュータウン構想で、緑と花が豊かな美しい街をイメージして命名されたようです(特にT急沿線での美名採用率が高い…)。
中には、江戸時代からの旧村名を冠する地区も残っています。そのような所は由緒が古く、歴史的にも重要な地域だったと見受けられます。
祥泉院遺跡
市ヶ尾高校から川沿いに進むと、宮前橋が見えて来ます。
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ここを右に曲がると鉄町の交差点。今回は、左に進みましょう。
あおば支援学校を過ぎると、この長い坂。
歯を食いしばって坂道修行を続け、ようやく公園に着きました。
Googleマップによると、遺跡はみたけ台公園内にあるらしい。公園の正門は少し上にあるのですが、ギブアップして下の入り口から入りました。
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正門近くに案内板があります。
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谷本川とその沖積地をのぞむ祥泉院、みたけ台公園から市立みたけ台中学校にかけての標高約46mを測る台地上一帯は、祥泉院遺跡と呼ばれています。
昭和41年・45~46年の二次にわたる発掘調査によって、縄文・弥生時代の竪穴住居跡や土器・石器などが発見され、これらの時代の集落の存在が明らかにされました。(中略)
また、公園中央部からは、約4500年前の縄文時代中期の竪穴住居跡が1軒発掘されました。
川に面した段丘面または緩やかな丘陵地に、遺跡があったようです。
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でも個人的には、その南東にある広い台地にもっと大きな遺跡があったのでは?と思ってしまいます。実際、横浜市の行政情報地図を見ると、この付近も埋蔵文化財包蔵地の「散布地(内容は不明だが、歴史的遺物が埋蔵されている場所)」と種別されています。
また、公園の北東部には展望台があり、鶴見川と平野を一望できるそうです。
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ここも、辛うじてJOMONウォーターフロント・ハイランド。
祥泉院
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「葷酒山門に入るを禁ず」つまり「肉や魚と臭いの強い野菜、酒はダメ」という意味だそうで、曹洞宗のお寺らしいですね。他にも、万葉集の歌碑があります。
祥泉院を出て、坂の上から写真を撮ってみました。
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みたけ台(上谷本)杉山神社
せっかくなので、地域の杉山神社に寄って見ました。
坂道を少し下って左へ曲がります。その先もゆるやかな坂道で、高台に中学校が見えて来ました。
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中学校の前の道路に沿うようして、参道があります。
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スロープの途中の右手に、社殿への階段があります。
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可愛らしいお社です。
↑(注意)リンク記事内の地図が、千草台杉山神社になっています。
昔の地図を見てみました。
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治水地形分類図を見ると、祥泉院も杉山神社も昔ながらの地形の上に建っています。明治時代の参道は麓の平地(現・保育園辺り)からダイレクトに繋がっていたようです。細い点線が、反対側の道に接続しているので、裏参道があったのかも知れません。
今の社殿は南を向いていますが、昔の社殿は表参道と同じ方向の東を向いていたようです。
中世には、津久井道と矢倉沢往還(厚木街道)と中原街道を縦貫する鎌倉古道「中ノ道」が存在しました。その側道の一つが、中山→青砥→八朔→王禅寺ー尾根道→弘法松→矢野口→武蔵府中の王禅寺ルートと言われます。
みたけ台杉山神社はこのルート沿いで古くから信仰されていた、と考える人もいます。八朔から尾根道を進み、この付近で鶴見川を越えたようです。
帰り道、神社から少し下ると見晴らしが良くなりました。
あっ、皆さんお気付きでしょうか?正面奥の右に…
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あの都筑の資源循環局の煙突が!
今回はあっさりしていて、拍子抜けしましたか?
次は、懐かしい里山風景が広がる、寺家地区を巡ります。
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。