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杉山神社コレクション

鶴見川遺跡紀行に引き続き、これまた放置気味の杉山神社シリーズ。

鶴見川流域に40社以上(神社合祀前は最大70社以上)も存在し、周辺の歴史を語る上で避けて通れない杉山神社とその謎。

延喜式神名帳に記載された「杉山神社」が一体どこなのか?流域に広がった理由とは? その謎に迫るため鶴見川を遡り各社を巡り続け、これまでに有力候補とされる数社(論社と呼ばれる)について個別の記事にしてきました。

しかし、それ以外の杉山社については記事にすることもなく、写真は未だ我がスマホの中に眠ったまま…うーん、もったいない。
たとえ式内社でなくとも、それぞれに趣がある神社なので、このまま埋もれさせて置くわけにはいかない!(それ以上にストレージ圧迫が大問題だ)

…というわけで、今回、一挙大放出することにしました。
せっかくなので、アド〇〇風にご紹介!(お好きなBGMでどうぞ)

If I Only Knew   Tom Jones(邦題 恋はメキメキ)

Kiss  Patti Austin 

それでは、Check Them Up!


末吉神社(旧末吉杉山社)

下末吉台地」散策で訪れました。

え?倉庫みたいな社殿…?
と思ったら、右手奥に参道がありました。

崖の下、しかも鶴見川の屈曲部にある危険極まりない箇所…なんで?
実はこの場所、旧三島社の跡地で、後に杉山社、神明社、八幡社を合祀したようです。杉山社の旧跡は不明。

新編武蔵風土記稿によると、当時の三島社例祭では隔年で杉山明神を祭っていたらしい。他にも、杉山社の記述に「宮作の社にて上家あり、石の鳥居」とあり、当時からそれなりに力のあった神社ではないかと推測。

新編武蔵風土記稿 巻之六十七 橘樹郡巻之十 上末吉村

三島社  字根畑にあり、 山の半腹に社を立て石階十九級を設く 社の辺すべて竹木生茂り山の下には又大松二株立り 側に鳥居を建、 例祭九月二十九日 杉山明神と隔年に祭る、 村内円明寺持、
(中略)
杉山社  字石田町にあり、 宮作の社にて上屋あり 前に石の鳥居を立、 例祭九月十九日 三島社と隔年に祭る 村内宝塔寺持

末吉神社 http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/sugiyama/files/SUEYOSHI.html


太尾神社(旧太尾杉山社)

消えた町名 太尾」で訪れました。

入り口が奥まっていて見逃しがち
後方が反り立つ壁
かわいいお社です

杉山神社の旧跡に近隣の5つ神社を合祀し、太尾神社になったとのこと。

天照皇大神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊邪那岐命、伊邪那美命、応神天皇、日本武尊、菅原道真命とご祭神が多いのはその名残り。

大倉山公園の尾根筋の下、梅園の反対側にあります。


岸根杉山神社

「ひねり王子」で有名な体操五輪メダリスト白井健三さんの母校、岸根高校に隣接しています。

境内から見た景色。左奥が岸根高校

岸根杉山社に心惹かれる理由は、何と言ってもその立地。

台地の縁の高台(標高30mくらい)に鎮座。
新編武蔵風土紀稿によると、かつては3.6m×5.5mの社殿が建ち、そこから450〜550mほどの参道が南西に伸びていた。一ノ鳥居は石造り、その間にも木製の鳥居も設置されていたという。

高低差、参道の長さも十分…私好み。

緑豊かで静かな境内
神明造の社殿
境内には大木も。

今の佇まいも趣があります。

大永五年(西暦一五二五)九月、伊豆国の住人岩田五郎右ヱ門(北条早雲の重臣)が此の地に移住した時、鎮守として勧請したと伝える。祭神は五十猛命。


岸根の歴史
縄文時代、縄文海進で海面が5mほど上昇していた新横浜一帯は古鶴見湾。岸根は末吉半島の上にあり、台地上の岸根高校内には山王山遺跡などの遺跡がある。
山王山遺跡(現岸根高校敷地)について

岸根町の自治会は歴史にも造詣が深く、杉山神社についてもお詳しい。



鴨居杉山神社

鴨居原遺跡散策の際にお参りしました。初回訪問時、Google先生の案内で標高40mの裏山を登らされ(しかも自転車を押しながら)大変難儀しました。

谷戸の奥の高台に鎮座しています
下から見ても結構急です
一の鳥居(別の季節に再訪問し撮影)
御由緒

1449年の創建。日本武尊を祀る。

立地は鴨居駅の近く。

丘陵尾根の側面、切れ込んだ谷戸の奥にある
⭕️がついている付近、中段の平坦地が神社
周辺との高低差


中山杉山神社

写真を撮ったはずが、どのフォルダにも残ってない。
自治会館前に干してあったお祭り用の花飾越しに撮ったはずなのに…という訳で、写真はリンク先をご参照ください。

JR横浜線沿いの高台に線路を背にして鎮座する小さなお社でした。

後述する三保社と共に県道109号沿いに並んでいます


三保杉山神社

恩田川紀行の散策時にお参りしました。
十字路に面した、いかにも地域の鎮守様という場所に鎮座しています。

周囲から少し高い位置
開けた感じの境内
本殿と境内社の天満宮

創建年代は不詳。慶長9年(1604)までは近郷八ヶ村の鎮守社で、江戸期より三保(久保村)の鎮守社。


菅田杉山神社

鴨居散策の帰り道、農道からの坂道を気持ちよく下っていると、突如歩道の左側に!

いい感じの急な階段
えっ、杉山社?
わぁ!
彫刻も素敵。私好み!
境内の脇から、さらに階段が…
こちらの祠は大口真神
勝田杉山神社や小机城址にも祀られている
砂田川沿い左岸の南斜面に鎮座。

享保17年(1732)に創建と伝わる。ご祭神は五十猛命。

新編武蔵風土記稿によると下菅田村にはもう1つ杉山社があり、現在は菅田神明社に合祀されているそうです。


上恩田杉山神社

町田の高ヶ坂遺跡散策の帰りに立ち寄りました。

坂道を登った所にあります。標高差30mほど
こじんまりとしたきれいで手入れの行き届いた神社
周辺との高低差

恩田川と奈良川の合流地点の高台に鎮座します。
昭和50年代に移転しているようですが、明治末期の地図を見ると、旧跡も近い場所にあったようです。

創建は不明。ご祭神は日本武尊。


成瀬杉山神社

こちらも町田の帰りにお参り。

シンプルな神明造り
御由緒

代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉との寄進により寛文8年(1668)に創建。恩田川沿いの水田地帯の中央に位置し、数多くの樹木に囲まれ「田中の明神」として崇敬。
ご祭神は、天照大神、五十猛命(日本武尊との説も)、熊野大神。

元々は成瀬高校の敷地にあったのが、東雲寺のそばに移転したとのこと。


お隣の東雲寺。

小机城址(横浜市港北区)近くにある雲松院!の末寺だそうです。




一気にご紹介しましたが…
こうして見ると創建年代や縁起が不明な杉山社も多く、同社が鶴見川流域に爆発的に広がった理由も分からないまま。

弥生時代の入植者によってもたらされた自然信仰(または氏神信仰)が地域の統治者により確立され、さらに古墳時代以降(特に中世)武力勢力によって組織的に拡散された、という一般論を超える説も思いつかず。

さらに「どこが式内社なのか」問題も、各論社とも確たる証拠もないまま主張し合っているので、論社以外の社が式内社である可能性も否定はできないのです。

もしかしたら、あなたの身近な杉山神社だって延喜式内社かも知れません!

残りいくつかの杉山社を巡ってきたら、自分なりの杉山神社考をまとめたいと思います。
(けどいつになることやら…)


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。