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地形ヲタ、中世の城址にハマる

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高い所や凸凹地形が好きなので、(戦国武将には興味がないけど)山城を見つけたらとりあえず登ります。
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記事一覧

沢山城址 鶴見川遺跡紀行(18)

鶴見川中流域の小机城址を訪れてから、中世城址に興味を抱くようになりました。地形を活かし、戦闘用に特化した力強い構造は、近世の城とは異なる趣きがあります。 しかし、このような城址は、今も城として残っている訳ではありません。今回訪れた沢山城は、人々が生活する場に内包されています。今回は、周辺にお住まいの方にも配慮した内容にしたいと思います。 七面山沢谷戸自然公園の隣にある山は七面山と言います。 日蓮宗・身延山久遠寺が信仰する七面大明神が由来で、山頂には七面堂が建っています。

下麻生亀井古墳群 鶴見川遺跡紀行(12)

長〜い階段の神秘的な神社に、静かに眠る古墳たち 前回からの続き。 正直、鶴見川サイクリングコースで稲荷前古墳群(市ヶ尾)まで行けたら、それだけで満足だったんです。 ママチャリで20㎞って罰ゲームだし、実際「これで十分!もう自転車で来ることはないだろう」って思ったんです、その時は。 でもグーグルマップで古墳を検索してたら、見つけちゃったんですよ。 長~い階段の神社に古墳があり、そこが「月読神社」という… 月読神社早野川、真福寺川の合流点を超えると、鶴見川は大きく西にカー

井田城址・蟹ヶ谷古墳群・神庭遺跡

「1ヶ所で3度楽しい?」遺跡巡り 今から1年半前、古墳巡りを始めて間も無い頃、蟹ヶ谷古墳群に行きました。 今読み返してみると、非常にあっさりとした記事… 当時は古墳しか興味が無かったので見逃していましたが、周辺には縄文後期〜古墳時代の神庭遺跡と中世の井田城址も存在していたそうです。 三つの遺跡がそろう場所神庭遺跡は中原養護学校の敷地内で発見され、現在は校内に出土した土器が展示されています。一方、井田城址については明確な遺構がありません。ただ「あったらしい」という話が残

中世の城 茅ケ崎城址(2)

(1)からの続きです。前編は、城郭構造や歴史についてまとめています。 いよいよ、城郭を散策。その前に、もう一度お城の全容を。 では、参ろうぞ! 北郭入り口からスロープ登った所にある広場です。 現在の北郭広場は、東西40m*南北30m*ほどの長方形の敷地。公園化に際して入り口用にスロープを削ったので、当時の北郭はもっと広かったらしい。 標高28m*、低地からの比高が15m*弱の立地です。 井戸 北郭の中央南側に井戸の跡地があります。 直径4m、深さ5mだったようで

中世の城 茅ケ崎城址(1)

以前、大塚・歳勝土遺跡を散策した際、グーグルマップさんが「近くに城址公園がある」と教えてくれたけど、当時は興味がなかったのでスルー。しかし、小机城をきっかけに中世城址にハマったので、遅ればせながら行ってきました。 ニュータウンの公園だからといって侮るべからず。 これほどまでにキレイに城郭が残っているなんて! ところで… 「茅ケ崎のケがデカくない?間違ってるでしょ」と思った方、はまれぽさんのこちら記事をどうぞ。 茅ケ崎城址公園勝田杉山神社の記事で登場した最乗寺からスタート

小机城の春

桜が咲いたので、鶴見川沿いをサイクリングしました。 小机城の頂上がピンク色になっている。 実は、小机城は隠れた桜の名所なのです。 これは行くしかない! ということで、いきなり本丸前の土橋に到着。 登城じゃ。たのもー! 次は、二の丸に行ってみよう。 二つの郭を繋ぐ土塁の先は 井楼跡 さらに二の丸へ 桜の庇のように覆っています。 二の丸の横の物見櫓に登ってみる。 まるで、小机城の頭上をかざる桜花冠。 遮られた森の中、桜の若木が光を求めて 伸びて伸びて、周

佐江戸杉山神社 佐江戸城址

今回は、杉山神社と佐江戸城址巡りがセットでお得! 前々回に引き継ぎ、鶴見川中流域の終点、佐江戸町を散策します。 ここには、杉山神社と中世の城が同居している佐江戸城址があります。小机城との関係や後北条氏家臣の猿渡氏など気になることがいっぱい。 鶴見川から出発。落合橋から中原街道を右(下流から見て)に進むと、人気そば店「味奈都庵」が見えます。後方の高台のさらに先が目指す場所。 台地のヘリに沿って中原街道を進むと、急に片側一車線の細道に。中世の街道がそのまま車道になった雰囲気

榎下城址・舊城寺 恩田川紀行(3)

小机城の出城か ー 後北条氏の城址巡り、再び。 恩田川支流・梅田川杉山神社からスタートします。 恩田川の対岸に渡って下流方向に少し戻ると、小川が見えます。 緑区三保地域が水源の小河川ですが、鶴見川水系なので立派な一級河川。 梅田川についての詳細はこちら→【ご参考】横浜市「川のはなし」梅田川 前に見える緑の高台が目的地っぽい。 横浜線のガードを越えたところ。手前側が古い石積造りで、奥がコンクリート造り。単線時代の名残でしょうか。 「三保団地入口」交差点から、Y字路を

小机城址④ 鶴見川遺跡紀行(5)

中世の堅城・小机城を攻略だ! これまでの小机城シリーズ 長らくお待たせ申した。いざ、小机城に登城つかまつる。 まずは、城の全体像をお見せ致そう。 小机城の想定図鶴見川対岸からの小机城址、緑豊かでござる。 まず、本丸広場案内板で全体像をご覧入れよう。 ちょっと平面的で分かりにくいでござる… 今昔マップ殿で古地図と現地形を比べようぞ。 左図:明治30年ごろ。横浜線(八王子〜横浜)は絹の道ゆえ、早くから敷設されていようじゃ。 右図:傾斜量図。第三京浜の跡が痛々しいぞよ

小机城址③ 鶴見川遺跡紀行(5)

中世武士団「小机衆」 の姿とは? 「狼煙ネットワークは、まぼろし~( ゚д゚)__♭" 」的な(煙だけに…)自分でも望まない結末になってしまった前の記事。 当初「優れた情報伝達スキルを持って南武蔵を治めた小机衆の本拠地はコチラ!」というストーリー展開を考えていたので、本当に大打撃です。 はぁ…ここから内容を立て直さなければ。しかし、どうしたものか? 巧みだった後北条氏の地域支配しかし、調べるにつれ不思議に思うのは… あれだけ短期間に勢力を拡げながら、血族争いも下克上も起

小机城址② 鶴見川遺跡紀行(5)

小机城と狼煙のネットワーク? 前回の続き 小机城の重要性長尾景春の乱から数十年後、北条氏勢力下に入った小机城は改修され、現在の形になったそうです。北条氏綱(2代目)は、その城主に重臣の笠原信為を配置。その後、小机城の重要性が高まったのか、北条氏が城主として入城し、笠原氏は城代として南武蔵一帯の防衛を担います。 まずは、小机城の重要性をまとめました。 将棋で例えるなら、前線の歩が取られないように1段下で支えている金や銀の働きに近いイメージか。 狼煙の中継点小机城は、北

小机城址① 鶴見川遺跡紀行(5)

中世の堅城・小机城と太田道灌の戦い 前回からの続き。 シリーズ全体は、こちらから ↓ 鶴見川中流域2さて、大倉山を後にして鶴見川を遡ると… 新羽ポンプ場から港北水再生センターへ伸びる汚水圧送管橋。その奥ににプリンスホテルが見えてきました。 堤防遊歩道を進むと…ん?川が急カーブ!? 地理院地図で見るとこの通り。牢尻台付近も直角カーブだったけど、ここはもっと屈曲してる! カーブの頂点で鳥山川(左)が鶴見川に合流。さらにその先で大熊川が合流しているので、この地域は豪雨