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この季節に生まれて(東京国立近代美術館にて)

神保町駅で電車を降り、地上に出るとあたりはたくさんの桜が花を咲かせていて、みな桜を見上げていた。先週まで肌寒かっただけに、急に春めいた街中の空気に圧倒されてしまう。しばらくぼんやりと桜を見上げた。

近くに女子大があるからか、若い女子学生が多く、みなどこか期待と不安を胸にしたような表情で歩いている。

この駅で降りるのはいつぶりだっけ、と記憶を呼び起こす。そう、以前神保町駅で降りたのはちょうど1年近く前のことだった。どうやら私は春になるとここに来たくなるらしい。

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今回のお目当ては東京国立近代美術館の「美術館の春まつり」だ。昨年、3月31日の仕事終わりにふらりと寄ってみたところ、美術館近辺の桜が美しく、展示は常設展でお馴染みの作品に加えて春ならではの展示が多くあり、とても記憶に残った展示だった。

去年、この展示を見たときはまさか1年後に自分が臨月の妊婦だとは想像もしていなかった。本当に、人生ってどうなるか分からない。

私は、この、桜が咲き始める季節から新緑の季節がとても好きだ。

ピンク色に街中が染まる季節から、一気に街中の緑が芽吹いていく瞬間。この季節に生まれて幸運だと思うし、同じくこの季節生まれの夫と出会えたことも幸運だと思う。そして、同じ季節に生まれてくるであろう娘にももうすぐ会えるのだ、と考えると何だかものすごくこの季節が尊く思える。そんなこと、これまで考えたこともなかったのに。

そういえば、と思い出す。
先日、春生まれの同級生にお誕生日おめでとう、とメッセージをした。「だんだんお花が開いて賑やかになってくるこの季節が大好き」と返信が来て、ああ、春って美しいよな、こうして改めてその美しさを口にできるっていいよな、と感じた。

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妊娠してからというもの、とにかく街中の人の生活のスピードを恐ろしく早く感じるようになった。臨月ともなると、かなり歩くスピードが遅くなり、どんどん人に抜かされていく。スーツ姿のサラリーマン、パソコンを抱えたキャリアウーマン、若い学生たち…。そうか、私も以前はあのスピードで生活をしていたんだよなぁと懐かしい気持ちになる。とにかくいつも時間が勿体無くって、何だか常に駆け足だった気がする。ヒールを履いて、職場を走り回り、仕事が終われば一刻も早く家に帰りたいので、急いで帰宅し、翌日の仕事に備えて早く寝る。生活するために仕事をしているのか、仕事をするために生活しているのか、よく分からなくなっていた。

3,4年前にとにかく繁忙期でびっくりする忙しさの中、週末1時間だけ空いた時間で近くの美術館に駆け込んだことがあった。時間が限られているので、ゆっくり展示を見ることができず、会場内をとにかく早歩きで気になる絵だけ見て、慌てて会場を後にした。もう、何の展示だったのかも、何の絵を見たのかも思い出すことができない。

その頃を思い出すと今でも心がギューっと悲しい気持ちになる。忙しない日々の中で、何とか好きなものを失いたくなくって、好きなもののための時間を失いたくなくって、頑張っていたのだと思う。

パウル・クレー《花ひらく木をめぐる抽象》

今は走りたくても走ることはできないけれど、その分色んな景色をゆっくりと見るようになった気がする。

先週まで開きかけていた蕾がついに花開いたこと、空に一筋の美しい飛行機雲が見えたこと、家のベランダから見える夕焼けが綺麗なこと、雲がゆっくりと動いていて、今日の雲はすごく綺麗だったこと…。

美術館でも以前のようには歩くことができないので、ゆっくり絵を眺める。ゆっくり眺めて、ちょっと歩いたら椅子に座ってぼーっと絵を眺めたり、その空間でしばらくぼんやりとしたりする。この絵がすごく好きだな、なんでだろう、ああ、以前もこういう構図の絵に惹かれたことがあったような気がする、あの絵はどこで見たんだっけ、そんな具合だ。

また来年にはかつてのように忙しない日々になっているのかもしれない。それか、忙しないけれど意外と今みたいに心はゆっくりと過ごしているのかもしれない。1年後のことなんて想像とつかないけれど、きっと私の人生にはどちらの日々も必要だったからこそ、どちらも経験したのだろう。

来年の私がどんな日々を送っているにせよ、こうして何年も大切に守り続けてきた自分の好きなもの、好きなこと、好きな時間の過ごし方、それらはこれからも守り続けていきたいと思う。

牧野虎雄《明るい部屋》

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同じ景色であっても、人生のその時々でその景色がどう映るか、は変わっていく。それは、小説や映画とも似ている気がする。かつて読んだ小説の感じ方が変わるように、かつて見た映画の感じ方が変わるように、人も、ものの見方もゆるやかに変化していく。

菊池芳文《小雨ふる吉野》

来年の春は、娘と一緒にこの美術館に来ることができるだろうか。来年の桜は一緒に眺めることができるだろうか。そのとき、娘の目に、私の目に、この景色はどう映っているのだろうか。

そんなことを考えながら、美術館から桜を眺めた4月のある日だった。





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