「花一匁」
幼少期、数日に一度みる夢があった。
その場面はいつも、リビングの端に立つ電子ピアノを見つめているところから始まった。顔は固定されたように動かせない。
「なんだろう」と思っていると電子ピアノがぶるぶると震え出し、真ん中に大きな”穴”があく。真っ黒な電子ピアノよりも濃い漆黒が広がり、穴から漏れ出した冷たい空気が頬を撫でる。
奥から尖った爪がニョキっと顔を出し、魔女のような手がゆっくりゆっくり現れる。
あまりの異様な光景に身体は凍りつき、私は逃げ出せない。
穴から肘のあたりまで腕が出てくると同時に山姥のニヤリ顔がスっと現れ、ぼとんっと音を立てて這い出てきた。「あ、目があった」と思った瞬間、山姥はカサカサと近づいてきて私の足を異常な握力で握りしめ引っ張る。
「嫌だ!」ダイニングテーブルの椅子を掴んで必死に抵抗するも虚しく、私は泣きながら穴の中にズルズル連れていかれてしまう。
どうして今更こんな夢を思い出したかというと、つい先日全く同じ夢を見たからだ。
といっても今度は電子ピアノではなく、今住んでいる一人暮らしのキッチンに穴があいていた。
山姥は相変わらず不気味な顔で床を這いずってきた。
就職活動で落ちこぼれ組の大学4回生。
その日は”お祈りメール”を3件同時に受け取り、泣きわめきながら酒を飲み、疲れてソファで眠った日だった。
根性も才能も実績も、目を引く容姿も持ち合わせていない私は誰にも選ばれない。
昔からそう。子ども遊びの『はないちもんめ』でも最後まで「あなたが欲しい」と言われることはなかった。
今日も面接を2件受けてきたけれど、手応えが全くなかった。相手が興味を失う瞬間に気づいてなお必死に話す自分が滑稽で虚しくて腹立たしかった。
なんだか今日は、夢じゃなく現実であの不思議な体験をする気がする。
そんなことは有り得ないと分かっている。でもなんとなく、そう感じるのだ。
現実で起こったら怖いだろうな、だけどもう山姥に身を任せて引き摺られてしまってもいいかもしれないと思う自分もどこかにいるのだ。
何十社も受けて、期待してはガッカリして、自分は無価値で選ばれない人間なんだと知ってしまったから。
どんな綺麗事を並べたって、私は社会に求められていない。
ならばせめて、私のもとへやって来てくれる山姥が連れていってくれる世界を覗いてみてもいいんじゃなかろうか。
穴の先には素敵な世界が待っているかもしれない。
そこでは選ばれた人間になれるのかもしれない。
とにかく、なんだか疲れた。
私は今夜もソファで眠る。
本当の私を見つけてくれる”素敵な出会い”を待ちわびて
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