見出し画像

連載小説 | 週末はサーフィンする #4

 ※この作品は現在、note創作大賞2024に参加しています。気に入っていただけましたら「スキ」を押して応援いただけましたら幸いです。

▼前回の話


 はぁ〜〜〜……気持ちいい〜〜〜!!!
 頭上からシャワーを浴びながら、おれは清々しい気持ちに包まれていた。

 サーフィンを終え、由比ヶ浜の駐車場に戻ったおれたちは、簡易シャワーで全身の塩を洗い流していた。簡易シャワーとは水の入ったポリタンクにシャワーホースが繋がれている、持ち運び可能なシャワーのことだ。南田さんが車の後部座席に積んでおいてくれていた。

「よかったねぇ、ラスト1本!」
「はい!」
 2リットルのペットボトルに入った水を、滝行のように浴びながら南田さんは「ははは」と笑った。

 そう、おれは立てたのだ。

 最後の1本、それはそれは優しい波だった。
 何度も巻かれては浜に打ち上げられ、だんだんと巻かれる恐怖が薄れてきた頃、南田さんが声をかけた。

「あれ! あの波めっちゃいいよ」

 小さ〜な、でもきれいに一直線を描いた波が、おれの元へ向かってきている。

 これは行ける……!

 そう確信したおれは、早い段階でパドリングを始めた。バタバタと必死に腕を回し、水をかく。前へ少し進んだ、と思った瞬間、強い勢いでボードが前へ押された。波を掴んだのだ。今度は自分1人で。

 小さな波でもパワーはある。スピードがついたボードの上で、おれはタイミングよくジャンプして膝立ちになる。

 安定しているーー。

 膝立ちの状態でもボードはブレずに前へ進む。そこからゆっくりと、でも速やかに、ボードから手を離し立ち上がる。

 スーーー。

 立てた……。

 おれが立ったまま、ボードは前へ進んでいく。
 初めての感覚……。海の上を滑っている……。

 すげぇ……。楽しい……。

 しばしボードの上からの景色を楽しむ。砂浜がぐんぐん近づいてくる。
 やがて波はパワーを失い、ぐらつき始めたボードから、おれは海へ飛び降りた。

「ブラボー!」

 後ろから声が聞こえた。
 振り返ると南田さんがこちらに拍手を送っている。
 おれはこそばゆい、それでいてとても充足した気持ちになった。

 水平線を見ると、海はおれを受け入れてくれたかのように、きらきらと波打っていた。


「さて、何を食いに行きますか」
 運転席に乗り込んだ南田さんは、開口一番こう言った。
「えっと……、何でもいいっすよ」
「じゃ、海鮮どう?」
「おお!」
「マグロ盛りもりの海鮮丼! 友達の店なんだけど安くてうまいのよ!」
「マグロ盛りもり……! いいですね……!!」
 考えるだけでヨダレが出てくる。とにかく今、おれは腹が減っている。
 海で3時間、がっつり粘ったからか、全身の疲労と空腹感がえげつない。
 普通に働いている時とは違う種類の疲労感だ。

 A.M.11時、車はまた海沿いを走り出す。
 海にはまだ多くのサーファーが波を待って浮かんでいる。窓からの潮風を浴びながら、おれは今日の波に乗った瞬間を何度も反芻していた。
 カーオーディオから流れるジャック・ジョンソンがおれの耳にゆるやかに入ってくる。

 なんて幸せな時間なんだ……。

 心からそう思った。

 ……この感覚、前にもどこかで感じたことがある気がする。なんだったっけ……?

 ああ、そうだ。大学生の時だ。
 初めて自分で稼いだお金で、タイを旅をした時。

 安くダイビングのライセンスを取れるからって、友人から誘われてタイのタオ島へ行ったんだ。

 初めてウェットスーツを着たのはこの時だ。
 シュノーケルを付け、ボンベを背負って、おれは初めて海の世界へ飛び込んだ。

 群れをなした美しい魚たち、波間に揺蕩たゆたうかわいらしいウミガメ、大きな口を開けたジンベイザメ。おれは神秘的に輝く海の世界に、ずっと目を奪われていた。

 初めてのダイビングを終えて、海から上がった後。船の上で温かいコーヒーを一杯もらったんだ。

 その時と同じ感覚だ。

 ”自由だな”って思ったんだ。

 自分はどこへでも行けるような、そんな気がした。どこへだって、行こうと思えば行けたのに、今まで行こうとしなかったんだ。そのことに初めて気がついた気がした。

 でも、その感覚は帰国した後にじわじわと消えていった。
 就活が始まったからだ。

 当たり前のように会社員になる。
 その選択肢の狭さを、初めは疑問に感じていたが、時間や周りの勢いに流されて、”社会人とはこういうものなのだ”と、納得してここまで来たのだった。


 運転席で音楽に合せて体を揺らすサングラスの男性。
おれがこの人をいいなと思った理由は、"自由だな”って思ったからかもしれない。

「ん、なに?」
 目線に気づいて、南田さんはこちらを見る。
「……おれって、昔から海好きだったんだなぁって思い出しました」
「あ、そうなの?」
「はい、おかげさまで」
「じゃあ誘って正解だったね」
 よかったよかったと南田さんは満足そうに頷いた。


 30分ほど車を走らせて着いた先は、昭和の居酒屋っぽい煤けた木造の店構えで、立派な一枚板の看板には『まぐろの徳次郎』と勢いのよい筆文字で書かれていた。店内は広すぎず、狭すぎず、半分はテーブル席で奥は小上がりの座敷になっている。
 おれたちは靴を脱いで小上がりの席についた。畳に座布団、おばあちゃん家に来たようで居心地が良い。

「お、仁!いらっしゃい」
「よ、徳ちゃん!」
 お茶を持ってきた店員が南田さんに声をかけた。
 黒いTシャツに前掛け姿、南田さんと同じように体格がよく、肌も真っ黒だ。店員は分厚い寿司屋でよく見る湯呑を出しながら、爽やかな白い歯で南田さんに話しかける。
 「今日波あったんか?」
 「由比ヶ浜は膝くらいかな、結構遊べたよ」
 「そうか、行けばよかったなぁ」
 「明日も波ありそうよ。……あ、鹿島くん、サーフィン仲間の徳次郎こと徳ちゃんです」
「あ、はじめまして鹿島です。南田さんには仕事でお世話になってます」
「どうもどうも〜」
 徳次郎さんはへらっと親しみやすい笑顔を向けた。
「あ、徳次郎って名前……、もしかして店長さんですか?」
「そうそう、俺の名前そのまま付けちゃった」
「結構人気店なんだよ、いっつも並んでるしねぇ」
 南田さんは友人の店の評判を、そう付け加えた。
「へぇ、すごいですね!」
「へへへ……、んじゃメニュー持ってきたからよ。ゆっくり選んでくれよな」
 照れを隠したかったのか、徳次郎さんはメニューを渡すや否や、ささっとパントリーへ戻っていった。

 メニューを広げると、マグロ丼を初め、生しらす丼やお刺し身定食、海鮮サラダ、朝漁れのアジフライなんかもある。全メニュー共通して、皿から刺し身が溢れんばかりに盛られている。しかもめちゃめちゃ安い。

「これは……、全部うまそうですね……」
 思わずよだれが出そうになる。
「でしょ? おれ、マグロ2色丼の大盛り。 いっつもこればっかよ」
「いいですね、おれもそれにします……!」
「よし、単品でアジフライも付けようか」
「ぜひ!」

 ぐ〜〜〜と腹がなった。海に入った後ってなんでこんなに腹が減るんだろう。前に母さんがダイエットで水中ウォーキングをやってて、かなり痩せた事があったっけ。地上よりも負荷がかかるからなんだろうなぁ。
 飯を待ちながら、そんな事をぼーっと考えていた。南田さんは店の角に置いてあるTVの昼のバラエティ番組を観ながら頬杖をついて笑っている。

「はい、お待せい!」
 徳次郎さんの手からテーブルの上にマグロ2色丼の大盛りが2つ置かれた。これでもか!と丼の中をマグロたちが円を描くように敷き詰められている。赤身は赤くてツヤがあり、薄ピンクの中トロは丼の淵にくたっと寄りかかり、いい霜降り具合である。真ん中には大葉の上に中落ちのまぐろがこんもりと山を作っている。

「うまそう……!」
「これがうまいのよ」
「へへ、お好みで本わさび付けてね。アジフライは今揚げてるからちょっと待っててな」

 おれたちは、待ちきれんばかりに素早く割り箸を割って手を合わす。
「いただきます!」
「いただきま〜す」
  おれは、わさび醤油を回しかけ、5センチ程ある分厚い赤身を口の中に放り込んだ。ちょうどいい歯ごたえと柔らかさ、赤身の濃厚な味が口いっぱいに広がる。

「うまい……!」

 めちゃくちゃうまい……!
 こんなにうまいマグロ丼があるのか。急いで白い飯をかきこむ。何度も何度も噛み締めマグロの味を味わった。
 そして、中トロ。これはほぼ大トロと言って良いほど霜を振っている。くたっとした中トロを箸で掴んで、口の中へ運ぶ。

 とろける……。

 おれは目をつぶって、味わうことに集中する。
「うまそうに食うねぇ」
 南田さんがしげしげと見ている。
 おれは黙って、中トロの旨味を存分に味わった。

 おれは思い出していた。小さい頃にプールサイドで食べた、うすしお味のポテチがめちゃめちゃ美味しく感じた事を。
 きっと海に入った後のマグロ丼も、普通に食べるよりも味が濃く感じるのかもしれない。それが疲労のせいなのか、汗をかいて塩分を欲しているのか、はたまた海に入ると魚が欲するようになるのか、理屈はよくわからないけど……。

 「アジフライ、お待たせい!」

 黒い陶器皿の上に、ジュワーっと音を立てた金色のアジフライが千切りキャベツの山に寄りかかっている。
 おれはアジフライにS字に醤油を垂らすと再びジュワーと音が立った。
「あ〜この音いいよねぇ」
 そう言いながら、南田さんも醤油を垂らす。
「いいですよねぇ」
 おれは冷めないうちに、大きな口でアジフライにかぶりつく。

 「ざくっ」

 歯切れの良い音だ。口の中でも衣がざくざくと音を立てる。香ばしさと柔らかいアジのハーモニーが美味しい。臭みがなく、新鮮。さすが朝漁れのアジだ。

「うまい……」
「うまいねぇ……」

 うまいものを目の前にすると語彙力が乏しくなるのは何故だろう。それは脳に幸福ホルモンが放出して、麻痺してるからではないだろうか。

 とにかく、サーフィンの後の飯はうまい。

 その事実は、また来週もサーフィンに行く理由としては十分だった。


《続く》

◇第五話◇


ここまでお読みいただきありがとうございます!
気に入っていただけましたら幸いです。


紡ちひろ





この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?