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連載小説 | 春、ふたりのソナタ #8

この作品は #創作大賞2024 応募作品です。

《1話はこちら》

《前回のお話》


『完成したら読ませてね』

 初めて会った時、有希子と約束したこと。
 有希子が転校する前に、小説を完成させて、有希子に読んでもらう。
 大丈夫、半分は書けたから、きっと急げば間に合う。

 私の好きな小説家・陽河ユイ先生は授業の時に言っていた。
 小説は誰か一人の読者を思い浮かべて書くのがいい、って。
 この物語は有希子へ向けて書いている。
 有希子に読んでもらえれば、楽しんでもらえれば私はそれで満足だ。
 埃を被っていた国語辞典を引いて、伝わる様に言葉を選んでいく。
 丁寧に心を込めて、文章を紡いでいく。読む人の心が動くように。

 時間が足りなくて、夜は家のリビングで書き始めた。母はたまにちょっかいを掛けてきていたが、私が真剣なのが伝わったのか、そっとしておいてくれるようになった。ある時は夜食に、と野菜スープを作っておいてくれた。
 孤独な執筆を支えてくれる人がいるのはありがたかった。
 私はのめり込むように、物語を書き続けた。

《桜のトンネルを抜けると、目の前にかわいい洋館が現れる。洋館の主は、美しいブルーの瞳の少女・ルナだった。ルナはつくしを家に招き、テラスでお茶会を開いてくれた。庭にはたくさん花々と桜が咲き誇っている。その向こうには海の水平線が見え、きらきらと光っていた。ここは春の国で、一年中暖かく花々が枯れない不思議な場所。それは、この洋館にある魔法のグランドピアノが持つ力と、館の主のルナが演奏することで春が保たれるのだと言う。ルナの演奏はとてもきれいで、つくしにもピアノの弾き方を教えてくれた。この洋館で一緒に過ごすにつれ、つくしはルナにだんだん淡い恋の感情を抱いていく。しかしある日、この国を滅ぼそうとする悪魔が現れ……》

 ルナは有希子がモデルだ。そして、つくしは私。
 これは恋の物語だから、読んだら私の気持ちはバレると思う。
 バレるなら、どうせなら、全部ちゃんと伝えたい。
 私は今までたくさんの幸せを有希子からもらった。
 有希子のおかげでたくさん成長もした。
 だから、その有希子がくれた感情を全部、小説にしたい。
 引かれるかもしれないけど、でも、後悔のないように全部伝えたい。

「ふぁ~あ……」
「真名、寝不足? さっきから欠伸ばっか」
 学校の休み時間。やまちゃんが私の席に来て、心配したように言う。
 連日夜遅くまでの執筆で、大きな欠伸が止まらない。
「うん……、ちょっとやることあって」
「無理すんなよ~」
 やまちゃんが私の頭をくしゃっとやる。
 それで少し気が抜けたのか、私はふふっと笑う。
「ありがと」

 有希子の転校まで、あと三日。
 だけど、まだラストのシーンが書けていない。

《悪魔をなんとか倒した二人だったが、ルナは力を使いすぎて衰弱してしまう。花は全て枯れ、春の国は地獄のように闇と静寂に包まれたまま。》

 このあと二人はどうなるんだろう。
 そう考えながら廊下を歩いていた時、前から有希子が歩いてくるのが見えた。
「あ」
 お互い目が合い、立ち止まる。
 少しの静寂の後、有希子が口を開く。
「あの、こないだはごめんね……」
「ううん……」
 言いたいことがあるはずなのに、うまく言葉が出てこない。
 有希子は気まずそうに俯いている。
「……じゃあ、また」
 そう言って、立ち去ろうとする有希子。
「あ、待って」
 私は慌てて、有希子を制止する。
「最後の日の朝……、少し時間欲しいんだけど、いい?」
 有希子は少し戸惑って、こくりと頷いた。
「ありがと、私の教室で待ってるね」
 私は無理やり笑顔を作ってその場を立ち去った。

 有希子は今なにを思っているんだろう。
 触れられるほどの距離にいたのに、今は彼女との距離が遠く感じる。
 このまま離れるなんて、嫌だな。


 その日の夜、夢を見た。

 暗い室内。鎌倉文学館の広間のような場所に私は立っていた。
 広間の中央、私の背丈の三倍ほどあるガラス窓が開け放たれ、その前には柔らかい月光に照らし出された艷やかなグランドピアノが置いてあった。
 ここは、どうやら、私の書いた物語の中なのだろう。

 テラスに出ると庭には散った桜の花びらが絨毯のように敷き詰められ、周りの木々は全て枯れ木と化していた。
 なんて静かで寂しい世界なんだろう。

 私はグランドピアノの前に行き、椅子へ座った。
 鍵盤を一つ弾くと、透明な明るい音色が室内に響いた。それと同時に、明るい光の輪がピアノの中から出現し、それが波紋のように大きく広がっていった。
 庭の木々はその光に触れた瞬間、ざわめき始める。

 なにが起きたの……?

 私はよくわからぬまま、次に二つの鍵盤で和音を作って音を出した。
 今度は光の輪が二重になって現れ、触れた草木たちが大きく揺れる。
 まるでピアノの音に共鳴しているみたい。
 私は鍵盤の上に両手をそっと構えた。

 あ、覚えてる。

 有希子の弾いていた曲。あの曲を弾こう。
 私の両の指先はもう何度も練習した後かのように勝手に動き出し、そして、美しい旋律を奏で始めた。

 まるで春の訪れを喜んでいるかのような、気持ちが弾むような音楽。
 色に例えるならピンク。桜の咲く秘密の庭で、小人たちが踊っているような。
 そんな、楽しい曲を弾こう。

 ピアノから無数の光の輪が生まれ、この世界に広がって行く。
 庭の木々たちが生命力を取り戻したかのように、みるみる元気になっていく。
 小さい花々が一つ、二つ咲いてゆく。
 ぼんやりと朧月だった空も晴れていき、輝く月光がピアノと私を明るく照らした。

「真名」

 振り向くと、有希子がドアの前に寄りかかるように立っていた。
「有希子!」
 私はすぐに有希子の元へ駆け寄って、ふらつく有希子の体を支えた。
 有希子は私の方を見て、無い力を振り絞るように微笑んだ。
「私も弾く、一緒に弾かせて」
「うん……、弾こう、一緒に!」
 頬に温かい涙がこぼれるのを感じた。

 ピアノの前に私と有希子は並んで座る。
 私が弾き始めると、有希子はそれに合わせるように音を奏で始めた。
 有希子は私の方を見て、嬉しそうに笑っている。
 私も有希子を見て嬉しくて、涙が溢れ、止まらなくなる。

 これからも、こうしてあなたの隣にいたかった……。

 二人の連弾は、大きな光になりこの世界を明るく包み込んだ。
 その瞬間、庭の幾千の桜の木々が一斉に蕾をつけ、次々に桜が開花し始めた。
 庭は瞬く間に桜色に包まれ、その花びらたちは春風に乗って、冴え渡る紺碧こんぺきの夜空に桜吹雪となって舞い上がった。
 私と有希子はその景色を見上げて、「わぁ」と感嘆の声を上げた。

 星々のような花びらたちに月光が反射して煌めいている。
 その花びらたちは二人を優しく包みこみ、世界は春を取り戻した--。


 光の中、私は目を覚ました。頬を触ると涙の跡を感じた。

 急いで机に向かい、夢で見た物語と、その夢の続きを書き始めた。
 完璧な小説なんてきっとないけれど、書き上げた時に私は確かに達成感を感じていた。


 早朝の教室で、私は席に座り有希子を待った。
 しばらくして後ろのドアが開くと、有希子が寂しげな微笑みを浮かべ立っていた。

 私は有希子に小説の原稿を手渡した。
 有希子は驚きの表情を浮かべ、私を見た。
「小説、完成したんだ……」
「うん、なんとかね……」
 表紙にはタイトルと作者名が書いてある。

『小さな春の国』 『星川真名』

 有希子はしばらく原稿を嬉しそうに眺めていた。
「……ここで読んでいい?」
「もちろん」

 開け放った窓から暖かな風が入ってくる。
 有希子がページをめくる音だけが教室へ響く。
 時間をかけて一ページ、一ページ、大事に読んでくれているのを感じた。
 私は有希子が読み終わるまで、不思議と静かな気持ちで待っていた。

 鼻をすする音が聞こえた。
 有希子が涙を流している。
 何を読んだのか、どう思ったのかわからないけれど、有希子の心に何か届いたことは確かだろう。

 しばらくして、有希子は顔を上げた。そして、微笑んで言った。
「面白かった……」
 その一言を聞いて、私の心は舞い上がった。
「……本当?」
「うん。……とっても」
「そっか、ありがとう……」
「……私、このお話好き」
 じんと心が満たされて行く。
 有希子からその言葉を聞けてよかった。一生懸命書いてよかった。
 今まで頑張った日々が、苦しんだ自分が報われるような気がした。

 私は改めて、有希子に真っ直ぐと向かい直した。
「あのね、もう気付いてるかもしれないけれど」
「……」
 有希子は静かに言葉を待った。

「私、有希子のこと好きなんだ」

 有希子は真っ直ぐな目をして、私を見つめている。
「……うん、……伝わったよ」
「そう……よかった」
「真名の気持ち、とっても嬉しい、って思った」
「……うん」
「でも私は……その気持ちに答えられない」
「……」

 その言葉が心にずしんと響いた。
 覚悟は、決めていたはずなのに。
 決定的な言葉を聞いてしまった。
 もう聞く前には戻れない。時間を巻き戻したい。
 心がぎゅうっと締め付けられて、痛い。
 失恋は、こんなにも心が傷つくものなんだ。
 知らなかった。

「私は……真名の隣にいる資格、ないから」
 有希子は俯き、断片的に言葉を発する。
「資格……ってなに?」
 そんなの、いらないのに。
「……私には、ないの。だから、ごめんなさい」
「……」
 有希子の顔を見たら、もうどうしようもないんだと気付いた。
 もう、心に決めている表情だった。
「……わかった」
 私がそう言うと、有希子はハッとして顔を上げた。
「っ……、ごめんなさい」
「ううん、違うの。……ありがとう」
 そう言った瞬間、私の目から涙が溢れ出した。
「……」
 有希子の目からも大粒の涙が零れる。
「ごめんなさい……」
 私たちは、どちらともなく抱き合った。
「ありがとう、……本当にありがとう」
「私こそ、ありがとう、……真名、……私と出会ってくれてありがとう」
 有希子と私はお互いの肩を濡らして、思い切り泣いた。

 もう、私たちはこれから別々の道を行くんだ。
 本当にお別れなんだ。
 もう会えないことは、こんなにも悲しいことなんだ。

 さようなら。ありがとう。私の最愛の人。


《続く》


《次のお話》


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