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書きたいテーマはあるか?

古い書類を整理していた時のこと。
数年前に自分で書いた文章の中で「物語の発想方法」というタイトルのものを見つけた。

そこには、「まず前提に、物語を最後まで描ききることってなかなか難しいです。それをなるべく避けるために私は、自分の好きなテーマ、深めたいテーマ、今気になってること、など物語を自分ごとのように捉えられる事を前提に物語を作ることを意識しています。」と書いてあった。

そして、「私のテーマはセクシャルマイノリティをどう広く一般の人に受け入れやすく描くかということ、それと異世界への憧れ、なんかがあります」とあった。

私は去年、ペンネームを考えた。
そして、活動場所を誰も知らないnoteに変えた。
その理由は、知人の目を気にして書くのが恥ずかしかったからだ。

セクシャルマイノリティについて書くことは勇気がいる。
繊細な部分だからだ。それを見せることについて、常に人目を気にしてしまう自分がいた。「それをテーマに書いていきたい」と、口にするのはなんとなく憚られた。それだけ(がテーマ)の作家になりたい訳ではない、という気持ちもあった。
それは自分がセクシャルマイノリティであることを恥ずかしいという気持ちがあったからかもしれないが、セクシャルマイノリティを特別なものとして扱いたくないという気持ちもあるかもしれない。

ただ今回気づいた重要なことは、作家にはテーマが必要なのかもしれないということだった。

私が好きな有名な作家は各自、「自分のテーマ」が決まっている。

中山可穂は「女性の同性愛と激しい恋愛について」。
星野道夫は「アラスカの豊かで厳しい自然環境の美しさやそこに暮らす動物の営みについて」。
恒川光太郎は「すぐそこの異界について」。
内田洋子は「イタリアの陽気で面白い人々との出会いや出来事について」。

みんな語りたいことは固まっていて、それに沿って書き続けている。これは人生において、探究していきたい「テーマ」なのではないか、と、自分の本棚に並ぶ敬愛する作家たちの本を見て気づいた。

作家であり続けるということは、「自分の探究していきたいテーマ」を書き続けることなのではないか。

じゃあ私はなんだろう?いや、昔の自分が書いているじゃないか。
セクシャルマイノリティと異世界についてだ。

異世界についての興味は、小泉八雲を調べるために島根に一人旅に行ったほどだ。からっと晴れている土地よりも、少し重い空気や鬱蒼とした土地が好きだ。何かが出そうな路地やトンネルや、森の中の廃屋が好きだ。
「千と千尋の神隠し」や「トトロ」など、異世界と現実の境界を書いている作品がとても好きだ。恒川光太郎が好きな理由も同じく。

セクシャルマイノリティについて書くことは多分もう逃れられない。
せっかく名前を変えて再出発するのだから、恥ずかしがらず書けばいいじゃないか。恥ずかしがっていたことでさえも気づかなかった。無意識下に押し込んでいたらしい。

そんなことを、毎日のように「創作」について哲学していた過去の自分が気付かせてくれた。若さゆえか、素直な文章を残してくれてありがとう。

なので、読んでくれている皆様。
これからはもう少し自分を解放していこうと思います。

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