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イッテハイケナイコトバ、たち

#ひどい #言葉 #傷つける #傷ついた #命 #自殺 #許せない #自分 #そんな日もきっとある #でも明日はくる #そうも思う #恵まれた環境だからこそ #悩むかもしれない #それでもいいじゃん #と言いたい  

どうも、じーもです。
どうやら人間、きっかけがなければ何もしないようで(笑)
私の場合は、少し気分が落ちてきて少し回復してくると、ここに書きに来るみたいです。

今日はくら~い、おも~い内容ですので、そのおつもりで。
前を向き、これからを歩もうとする人。歩んでいる人。
ポジティブをモットーに生きている人。
そんな人たちは、本日の話は知らなくても大丈夫、だと思います。

でも、
たまに暗く、
ネガティブに支配され、
ただただ落ちていってしまうような感覚がある、
そんな日が少しでもある方は、もしかすると読んでみてもいい、かも、しれないです。

引き返したい方は、どうぞ他の方の記事へ。
それでも気になる方は…よければどうぞ。

イッテハイケナイコトバ

親。兄弟。親戚。友人。子ども。障がい者。他人。

この世界には、様々な区分があります。いえ、そう、呼ばれているらしい、呼び方があります。
きちんと定義されているものから、ぼんやりとしているもの。
他人から決められること。自分で決めていること。

そんな中で、”イッテハイケナイ”があります。
いえ、”オモッテハイケナイ”ですらあるかのような、そんなコトバたち。

みなさんは、一度でも思ったこと、言ったことはありますか?


シニタイ。

コロシタイ。

クビヲシメテダマラシタイ。

シンゾウヲサセバシズカニナルノカナ。

イノチナンテドウデモイイ。

コンナセカイナクナレバイイノニ。

ヒトリグライシンデモコロシテモ。

……

ほかにもたくさんな、そんなコトバ、たち。

それは誰に向けてもいけない。
いや、他人よりも友人。
友人よりも家族。
とくに”イッテハイケナイ”人たちがいる。

もちろん言ってしまえば、その後々のことが面倒になるのはわかってる。
それぐらいはわかる。
でも、
”イッテハイケナイ”理由はわからない。

ドウシテなの?

ドウシテ、イッテハイケナイのか。

命はかげかえのないものだから。
授かった命を全うするべきだから。
迷惑をかけてはいけないから。
傷つけることはいけないから。
みんな同じ命、生きているんだから。

そんなコトバたちでは納得できない。
いや、そうかもしれないけど、ダカラナンナノ?

今は光が欲しいんじゃない。
希望が欲しいんじゃない。
ただ…




そしてもう一人の自分が叫ぶかもしれない。
そんなことを一度でも思ってしまった(言ってしまった)自分が、
許せない、と。

頭ではわかっているつもりでも。
理解しているつもりでも。

イウウコトヲキカナイ
自分がいる、ということに。

ソレでもここに。

私は思うのです。

たとえコトバたちが浮かんできたとして。
一瞬でも発してしまったとして。
考えてしまったとして。

ソレでも、
ここには、自分がいる、と。

理由に納得がいかなくても、
納得のいく理由が見つからなくても、

ここに、いる。
ということを。
その、どうしようも覆すことのできない事実を。

じゃあ、その事実を肯定してみるはどうでしょうか。

この世界で、
今、
ここに、
存在している自分。

お腹がすいているのか、
寒さに凍えているのか、
病魔におびえているのか、
戦火に絶望しているのか、

きっと、考えられている時点で私たちは恵まれている。
奇跡の中にいる。

この言葉が気に食わなくても、それは、ただのコトバだから。

”イッテハイケナイ”も、
きっとただの
コトバなんだと思う。

コトバは、コトバであるだけ。
それだけ。

そう思ってしまった自分がいる事実。
それも、
それだけ。

でも覚えていてほしい。
いや、忘れないでいたい。

コトバは、言葉になり。
受け取る相手がいることで初めて、
何かを
届けてしまう”力”になることを。

よくも、
悪くも、
それは受け取り手によって、
初めて成り立つ。

だから
”イッテハイケナイ”
と、言われるのかもしれない。

そう、私は思うのです。

最後に。

最近、FF(ファイナルファンタジー)の解説動画をみたりしているんですけど、その関連で他のゲームやアニメ、マンガのことも考えたりします。

その中で、
光=正しい(いわゆる良いとされるもの)
という図式だけでないというストーリーもあるみたいで。

闇は否定するものではなく、
闇の中に光があるからこそ輝くのであり、
まずはその闇をも認めるべき、
世界はそのバランスで保っている、と。

そんなことを考えているとなんだか書きたくなっちゃいまして。(笑)
だって、落ち込むときだって、
誰かにやさしくできるときだって、
いろいろあるじゃないですか。

それでもいいはずだ、
今自分が生きていることを実感できれば、
これからどうするかを自分で決められれば、
なんか、どうにかなるんじゃないかって。

そう思ったので、少し書いてみました。
だからもしかすると少しRPG風の文章だったかもしれませんね。(笑)

では、最後までお読みいただきありがとうございます。
よければまたお会いしましょう。では。

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