鎌倉殿の13人全話総括/史上最高に面白い大河ドラマ(たぶん)
2022年12月28日の放送で、ついに『鎌倉殿の13人』は最終回を迎えた。
つづけて太郎(北条泰時、演:坂口健太郎)の13人をやってほしいぐらい、名残惜しさで一杯になる作品だった(スピンオフは本当にやってほしい)。
大河ドラマは、この作品ふくめ全61作品ある。
自分がリアルタイムとオンデマンド配信で見たのは、このうち両手で数えられる程度だけど、これ以上の大河ドラマは今までなかったのでは?と確信を持てるぐらい最高に面白い作品。
そんなわけで今回は、『鎌倉殿の13人』という作品を、総括的な観点で話をつづりながら、このシリーズの記事も最終回にしようと思う。
江間小四郎が北条義時になるまで
まずは、小四郎(北条義時、演:小栗旬)について振り返ってみようと思う。
江間小四郎は、のちの北条義時。
江間の領地を源頼朝(演:大泉洋)から与えられるまでは、正確には北条小四郎なんだけど、江間小四郎の名のほうが有名そう。
そんな小四郎、いや義時は、鎌倉幕府の二代目執権として権勢を奮い、当時の日本トップに君臨していた後鳥羽上皇(演:尾上松也)ですら蹴散らし、鎌倉に武士政権を確立した御家人だ。
2015年の『平清盛」を見たとき、一番最初に武士の政権を作ったのは清盛だったのかぁと思う反面、平家は武士が公家に転じたイメージが強く、武士政権というのはあまりしっくりこなかった。
作品の描きかたが関係してるのかもだけど、公家に蔑まされていた武士が公家にあこがれてその地位にまで上り詰めた、みたいな印象だ。
そういう意味では、武士が武士として本当に天下を握ったのは、承久の乱で義時率いる(総大将は泰時)鎌倉幕府軍が勝利したとき。
そして鎌倉幕府の成立もそれぐらいが実際は正しいのでは?
なんてことを思わなくもない。
そんな義時は、作中でもそうだったように、北条氏主導の政権を作り上げるため、権謀術数を重ねながらライバルたちの命を奪ってきた。
彼の過去の行いを紐解けば紐解くほど、ダークなイメージの強くなる一方で、放送が始まる前は「ちょっとこの主人公、好きになれないかも」というのが一番最初の印象だったことを覚えている。
ところが始まってみると、小四郎は田舎によくいるような純朴な青年で。
どちらかといえば、素直で騙されやすい。
幼馴染の平六、のちの三浦義村(演:山本耕史)には「女子はキノコが大好き」という嘘を吹き込まれ、死ぬちょっと前までそれが嘘とは見抜けずにいた。
腕っぷしもそれほどでもなく、戦場ではへっぴり腰。
戦をするより、米勘定でもしてるほうが気楽でいい。
そういうタイプだ。
だからこそ、小四郎が源頼朝と出会うことがなければ――
戦乱に巻き込まれながらも、伊豆の田舎でのんびり暮らせていたのではないか。
もうすこしいえば、頼朝が姉の北条政子(演:小池栄子)と一緒になっていなければ、北条氏にスポットライトが浴びることはなく、小四郎も”小四郎のまま”だったんじゃないのかな。
小四郎は、頼朝との出会いによってやむを得ず権力闘争の渦に巻き込まれた可哀そうな人、みたいな評価を目にしたことがあるけど、三谷さんの描く小四郎はまさにそれだった。
最初から「天下の大悪人」の性質を表に持っていたわけではなく、頼朝の行う非道な政治手法を目の当たりにし、自分たちの正義を貫くためにやるべきことは何かを覚えてしまったのだろう。
それは、彼の求める理想とは大きく違うもので、頼朝に反発することも度々あった。
しかし、頼朝が亡くなってからの小四郎は「鎌倉幕府を守るため」を名目に、頼朝が行ってきたように非情な手段を常にとり続けた。
後半は、鎌倉幕府のためというより「北条政権のため」というのが正しいのだろうけど、いずれにしても、自分の中にある正義を守るため、多くの命を奪う手法をとったわけだ。
ただそれは、妻・八重(演:新垣結衣)の死が大きく影響しているはずだ。
もし、彼女が鶴丸(平盛綱、演:きづき)を救うのと引き換えに命を落としていなければ、頼朝が亡くなったあと小四郎は伊豆に引っ込み、八重そして嫡男の太郎(北条泰時)らと穏やかに暮らしていたかもしれない。
八重の死の悲しみが、彼女の忘れ形見である太郎を、八重のためにも「父として立派に育てなければ」という使命感につながる。
そして、太郎の未来が安泰であるためには、兄・三郎(北条宗時、演:片岡愛之助)が目指した「北条の世」を作り上げる必要がある。
そんな考えにたどり着いてしまったのではないだろうか。
北条に盾突く可能性のある御家人たち。
自分が生きている間に、彼らを潰すなり掌握するなりしておかなければ、太郎の身が危ない。
太郎の未来のためなら、自分自身がどんなに黒く染まろうともかまわない。
その結果が、天下の大悪人・北条義時の誕生。
これが『鎌倉殿の13人』の本筋のストーリーなのだろう。
北条政子と小四郎、姉弟の絆
『鎌倉殿の13人』の中で、小四郎同等に主人公的な扱いだったのかなと感じるのが、姉の北条政子。
前述したとおり、彼女が頼朝に見初められていなければ、北条氏が権力トップの座につくことはなかったわけで、小四郎が頼朝に引き立てられることもなかったはず。
北条じゃなければ、比企が御家人No.1になってたのかな。
でも、比企は最初の頼朝挙兵に参戦してないから、別の御家人かもしれないね。
いずれにしても、姉・政子の存在は小四郎に大きな影響を与えていたし、ときには二人三脚をとるような形で、鎌倉を守ってきた。
実衣(演:宮澤エマ)とは違って、政子と小四郎は、根本的な部分で考え方が一緒なのかなと思うことが、作中でもよく感じた。
小四郎のとる手段に対して、政子がある程度目をつむってきたのも、小四郎の芯にある優しさや正義感を知っているからなのかもしれない。
頼家(演:金子大地)の殺害を、lポロっと口に出してしまった小四郎に対しても、許すわけじゃないけど騒ぎ立てることもなく。
むしろ「嘘は死ぬまでつきとおさないとダメ」なんていう叱りかたをしたのも、小四郎の苦労を十分わかってるからこそ出てきた言葉なのかな。
それだけに、鎌倉のために、北条のために、まだ死ぬわけにはいかない、と言っている弟が可哀そうになったんだろうね。
身を削ってまで鎌倉と北条のために尽くしてきた小四郎を、もう楽にしてあげないといけない、それをできるのは自分だけ。
最後のシーンはそういうことなのだろう、と思いたい。
小四郎の最期は、大河ドラマの主人公としては少し異質な気もするけど、姉弟の固い絆が生み出した、ちょっと言葉を失ってしまうような名シーン。
あの最終回を超えるような作品を、今後誰か作ることはできるんだろうか?
『鎌倉殿の13人』とは13人の合議制にあらず!?
最後の最後で、三谷さんには騙されていたということに気づかされた。
そもそも『鎌倉殿の13人』というタイトルって、ちょっと違和感ある。
なんで「の」なの?ていう。
「13人」とは、頼朝死後の「13人の合議制」のことを指してる、みたいな解説を誰もが放送開始前からしてくれてた気がするんだけど、それだったら『鎌倉殿と13人』でもよくない?
でも「13人の合議制」に注目が浴びれば浴びるほど「13人」の意味を考えるの、やめてしまった自分がいたと思う。
「頼朝が亡くなってからが本番だ!」
みたいなことを自分もつぶやいていた気がするけど、それはそれで正しいけど、もうちょっと深掘りが必要でしたw
まさか、頼朝が亡くなってからの人数だったとは……。
でもたしかに、それだとタイトルの意味がよくわかる。
そりゃぁ「と」じゃなくて「の」じゃないとダメだ、みたいな。
小四郎の「13人」の告白をしたとき、初回の放送でわちゃわちゃ展開を一瞬でホラーに展示させた善児(演:梶原善)のシーンを思い出し、戦慄を覚えたのは自分だけだろうか。
小四郎が太郎(泰時)に託した未来も見てみたい
小四郎から泰時に代が変わった世界も見てみたかったなぁ。
2年続けて『鎌倉殿の13人』やればいいのにと思うぐらい。
小四郎に毒を盛ったのえ(演:菊地凛子)は、その後どうなったのか?
三浦義村は小四郎に頼まれたとおりに泰時を支えてくれるのか?
トキューサ(北条時房、演:瀬戸康史)は、相変わらずトキューサなのか?
気になることがありすぎて、スピンオフでもいいから製作してほしい。
でもスピンオフは、別の登場人物たちにスポットをあててもらって、泰時主人公で大河ドラマやってくれないかな。
続編みたいな形でやるのって、今まで多分ないだんろうけど、チャレンジしてくれませんかね、NHKさん。
鎌倉時代に興味を抱かせた三谷さんの脚本作り
2022年12月17日に放送された『三谷幸喜の言葉 ~「鎌倉殿の13人」の作り方~』。
これリアルタイムで見れなかったので、NHKオンデマンドで視聴したんだけど、三谷さんのことをだいぶ勘違いしていたことに気づいた。
あの『鎌倉殿の13人』という作品の脚本は、最初から三谷さんの手のひらの上でコロコロ転がってるもんだとばかり思っていたけど、実はそうじゃなかった。
どの回も、三谷さんが苦労をしながら悩みぬいて作っていたんだなというのが垣間見えて、かなり新鮮だった。
そして面白いというか、勉強になったのがストーリーの組み立て方。
史実から逆算し、ロジカルにストーリーを組み上げていくんだけど、そこには三谷さんの求める「リアルさ」が常に織り込まれていて。
だからこそ『鎌倉殿の13人』では、どんな登場人物たちでも共感してしまうことが多いのだろう。
でもやっぱり一番驚いたのは、最初から三谷さんの計算ずくじゃなかったことかな。
全部三谷さんの計算どおりで、視聴者も俳優さんたちもその手のひらの上で踊らされながら、あの作品を”三谷さんに楽しまされていた”と思い込んでいた。
たしかに、三谷さんが書いた脚本が面白かったのは間違いない。
でも脚本はあくまでも話のベースでしかないわけで。
そこに関わる製作スタッフや俳優さんたち、それと視聴者たちの声。
そういうものすべてがうまく影響しあって『鎌倉殿の13人』という面白い作品に仕上がったんだな、というのが今の感想。
とはいえ、そのベースを作った脚本家・三谷幸喜さんの凄さは変わらない。
三谷さんが大河ドラマの脚本家を、ずっと専属でやればいいのにw
『鎌倉殿の13人』第49回はいつ?
正直、この作品の話は始めだしたら止まらないぐらいで。
まだまだ語り切れていないことだらけ。
とくに、最推しの三浦義村の話とか。
永遠に作品の話をし続けられるぐらい『鎌倉殿の13人』は面白かった。
総集編やってたけど、あれ見ても全然物足りないっていう……。
だから、ちょこちょこ初回からまた見始めているのであったw
『鎌倉殿の13人』第49回も、何周目かしてる間に放送されるかもしれないよ
ね。
そういえば、リアル事情で第44回から感想を書けてない。
これが非常に心残りんだけど、仕方ない。
毎回なるべく簡単に済ませようと思いつつ。
でも書きだしたらアレもコレもとなり。
少し深掘りして書くには調べることも必要になり。
そんなこんなんで毎回そこそこ書くのに時間がかかってしまった。
これが、失敗の原因。
『どうする家康』は、箇条書きでいくつか感想を書く程度にして、最終回終えたら今回みたいな総括をまとめるようにしようかな。
というわけで、ここまで目をとおしてくださった皆さん
いつも目をとおしてくださった皆さん
本当にありがとうございました!
来年は『どうする家康』記事でお会いしましょう。(了)
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