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死は悲しいだけではない【音声と文章】

山田ゆり
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どちらでも数分で楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。

今回は
死は悲しいだけではない
をお伝えいたします。



母は75歳の時にアルツハイマー型認知症になった。


私の周りには認知症の人がいなかったので母が認知症になりたての頃は本当に毎日想定外の事ばかりだった。


「今日は何曜日?」
母はいつも私に聞いてきていた。
それは多分、燃やせるごみの日を知りたかったのだと思う。
最初の頃は自分に言い聞かせるように
「今日は月曜日だからゴミの日だ」と言っていた。

その内、私から曜日を聞いて「月曜日だからゴミの日だ」という思考になり、その後、私が「今日は月曜日よ」と言っても何も反応しなくなった。

認知症になりたての頃は、毎日、私からお金をもらって、自転車でスーパーにいっていた。

「買い物も運動だから」と言っていた。
その「運動」とは、自転車をこいだり歩いたりするという身体的なことの他に、「レジでお金を払う」という頭の運動も指していた。


例えば988円の買い物をした場合、以前の母は千円札1枚と8円を出していた。

しかし、認知症が進むにつれて、988円に対して千円札だけを出すようになった。

更に症状が進むと、お金の区別がつかなくなり買い物に興味を持たなくなった。



母にオムツをはかせることも当初は困ったものだった。

物忘れはどんどん進んでいるのだが、人間としての尊厳は立派に残っているのである。
私はことあるごとにそれを肌で感じていた。

だから、トイレの失敗が多くなり、そろそろオムツが必要だと思っても、本人は嫌がった。
「私はそんな年寄ではない」
70代後半の頃の母は良く言っていた。

「年寄りって何歳のこと?」と聞くと「そりゃぁ、80歳よ」と胸を張って言っていた。


本人もそうだが、自分の母親がオムツを必要としている状態であることを認めたくない思いが強かったから私も母にオムツを勧められなかった。

しかし、トイレに間に合わないことが度重なり、風邪の心配もあり、強行突破で履かせようと決心したら、なんとスンナリ履いてくれ、その日からは声を掛けると履いてくれるようになった。


母は人生後半の10年は認知症にはなったが、しかし、85年間を振り返ってみて、良い人生だったのではないかと思う。


認知症になっても、生きていてくれさえすればそれだけでいいと私たち家族は願っていた。

認知症になりたての数年間は、理解不能な行動をする母に対して憎しみを抱いた時もがあったが、介護は「テキトーでよい」と悟ってからは、どんな失敗をしても、できないことが増えても、母が愛おしく思えた。



認知症の母を介護できた10年間は、「できて当たり前」の世界しか知らなかった私が「普通に出来ることはすごいことなのだ」と言うことを体感でき、「生きているだけですごいことだ」ということを知った。


生まれてきたことはすごいこと。
生きていることは素晴らしいこと。


何かできるから凄いのではない。
その存在自体がすばらしいのだ。

だから
自己肯定感が下がり気味の時は
母を介護した頃のことを思い出す。


歩ける
食べられる
手でつかむことができる
振り向くことができる

些細なことだがそれは「当たり前」ではない。



父のすぐ下の弟、叔父さんが昨夜お亡くなりになった。
こころからご冥福をお祈りいたします。
これで父の姉弟7人、全員があの世で揃ったことになる。

人の死は、今生きていることがすごいことだと思い出させてくれる。


だから人の死は悲しいだけではない。





今回は
死は悲しいだけではない
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。

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