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もしも死んだら【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1515日をコミット中!
1506日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、
どちらでも短時間で楽しめます。






おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
もしも死んだら
をお伝えいたします。




もしも私が突然死んだら

そう思うと、会社の机の引き出しに入っている、消費期限が過ぎている粉末緑茶を迷わずゴミ箱に捨てた。




今から33年前、弟は不治の病に罹り、僅か3か月の闘病の末に亡くなった。

一通り葬儀が終わった頃に、弟の勤務先へ荷物を取りに行った。

当時、弟は入院後復帰するつもりでいた。
誰もが、その内戻ってくると思っていたから弟の机やロッカーはそのままだった。


上司の方が弟の机の引き出しを引く。

「どうですか?弟さんのものがあったらどうぞ持ち帰って下さい。」

私物と会社のモノとは区別がつかなかったが、筆記用具の中に、弟が就職祝いにいただいたボールペンがあった。

手でクルリと回すとペン先が出てくる金色のボールペンと、他に、会社の方に断って弟の名刺を数枚、いただいた。


名刺はもう、使う事はないのだが、弟が生きていた証しが欲しかった。



ロッカー室に行った。
中はハンガーだけだった。
私は要らないですとお答えしたら、その方はハンガー全部をご自分のロッカーに入れた。


弟に関するものは全て持ち帰りたかったが、
それは恥ずかしい行為のような気がして我慢した。




もしも私が突然死んだりしたら
会社にある私の私物はどうなるのだろうか。

娘たちが引き取ってくれるだろうが
やはり、全部は気が引けて、殆ど辞退するかもしれない。


そんな事を想像すると、会社の机に私物をなるべく置かない様にしようと思ってきた。





弟の病気は治らない。
集中治療室から普通病棟へ移る時は、「終わりの時」だから覚悟して下さいと両親と私は医師に言われていた。


本人には本当の病名を知らせていなかった。
だから、髪の毛がどっさり抜けてしまっても、目がくぼみ頬がこけてしまっても、弟は「生きる」事を当たり前と受け止め、辛い治療にも耐えた。


薬の副作用で激しい嘔吐、ベッドを揺らすほどの、高熱ゆえの寒気。それらにも弟は耐えていた。


それは「いつかはまた家に戻れる」と思っていたから。





弟の最期が近づいてきたあの頃。
はぁはぁと息をしながら言った弟の最期の言葉。


「かあさん」


弟は何を言いたかったのだろうか。




死の直前、人は何を思うのだろうか。






今回は
もしも死んだら
をお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



◆◆ アファメーション ◆◆
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山田ゆり
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