そうしてみれば^^【音声と文章】
山田ゆり
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1373
※note毎日連続投稿1414日をコミット中1373日目。
※音声・文章、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
そうしてみれば^^
をお伝えいたします。
かかとが久しぶりに割れてしまった。
ベッドから降りて靴下を履く。
床に足をつくと割れている右のかかとが痛い。
昨夜その兆候はあったのだが大丈夫だろうと放っておいたのがよくなかった。
階段を降り書斎のクローゼットから
オリーブバージンオイルを取り出し手のひらに2滴のせ、両手でかかとを包む。
かかとがオイルでてかてかする。
靴下を履いてPCの前に来て
椅子に正座する。
お尻にあたるかかとがじんじんする。
正座に疲れて足を元に戻して椅子に座る。
気が付くとかかとの痛みはなくなっていた。
そうしてみれば
母のかかとはいつもガサガサしていた。
お肌のお手入れなんてする人ではなかったので
家中を素足で歩く母のかかとは
ところどころ割れていた。
母は80代とは思えないほど顔は艶々していたが
かかとはガサガサしていて紙やすりのようだった。
そうしてみれば
昨日は三女の誕生日だった。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/02/20230204.jpg
ということは
今日は母の誕生日である。
生きていたら90歳だ。
母は生きていたらまだ90歳なのかと今更ながら思う。
母75歳から、私48歳からの10年と10日間の介護生活は、
私や家族にとって貴重な10年になった。
初めての認知症介護で最初は母も私も戸惑ってばかりだった。
でも、途中で「がんばらない介護」に目覚め、笑って介護することができた。
認知症初期のあの頃は、
非常識な行動を取る母が憎らしくて、母の首に両手をあてて、
首を絞めるしぐさをした時があり、私はハッと我に返った。
それから私は、
「私はいつか、母を殺してしまうかもしれない」
という観念に怯えていた。
人一倍我慢強い方だと思っていた私は、
最初の数年間、介護で苦しんだ。
救いを求めながら辛く苦しい時代を過ごした。
私はストレスからくる突発性難聴で入院もした。
やがて「がんばらない介護」に目覚め、
後半は楽しい介護ができたと思う。
小さいころは共働きの母に甘えることができなかった。
貧しかった両親はいつも忙しそうだったから。
母の認知症が進み、歩き方がおかしくなっていった。
ある年のさくら祭りの時、認知症の母が転んではいけないと思い、
「一緒に手をつなごう」と私から母に言った。
私は小さいころ母と手をつないだ記憶がほとんどない。
だから、保育園児のようになってしまった母と手をつないでみたかった。
「手をつなぎたい」と言うにはとても勇気がいった。
断られたら恥ずかしい。
でも転んではいけないから、無理やりでも手をつなごうかな。
そう思いながら手を差し伸べたら
母は何の抵抗もなく手をつないでくれた。
母と手をつないでいる。
嬉しかった。
じわじわと胸の真ん中から何かが押し寄せてきた。
母と手をつないでお花見ができたことは
私のやり残したことを遂げられたと思った。
この調子で来年も手をつないで桜を見に行こう
と心の中でガッツポーズを取った。
しかし、翌年、桜の開花まであと三週間という頃に、
母は突然亡くなった。
だからあの時、
勇気を出して母と手をつないで良かったと思う。
あんなに大変な思いをした介護。
後半は手抜きに徹して楽しかった介護。
ずーっと昔のような気がする。
まだたった5年前のことなのだと不思議に思う。
お母さん
お誕生日おめでとう。
私を産んでくれてありがとう。
今回は
そうしてみれば^^
をお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
◆◆ アファメーション ◆◆
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。
私は愛されています
大きな愛で包まれています
失敗しても
ご迷惑をおかけしても
どんな時でも
愛されています
.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+
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ベッドから降りて靴下を履く。
床に足をつくと割れている右のかかとが痛い。
昨夜その兆候はあったのだが大丈夫だろうと放っておいたのがよくなかった。
階段を降り書斎のクローゼットから
オリーブバージンオイルを取り出し手のひらに2滴のせ、両手でかかとを包む。
かかとがオイルでてかてかする。
靴下を履いてPCの前に来て
椅子に正座する。
お尻にあたるかかとがじんじんする。
正座に疲れて足を元に戻して椅子に座る。
気が付くとかかとの痛みはなくなっていた。
そうしてみれば
母のかかとはいつもガサガサしていた。
お肌のお手入れなんてする人ではなかったので
家中を素足で歩く母のかかとは
ところどころ割れていた。
母は80代とは思えないほど顔は艶々していたが
かかとはガサガサしていて紙やすりのようだった。
そうしてみれば
昨日は三女の誕生日だった。
https://yamayuri58.com/tyoubo/wp-content/uploads/2023/02/20230204.jpg
ということは
今日は母の誕生日である。
生きていたら90歳だ。
母は生きていたらまだ90歳なのかと今更ながら思う。
母75歳から、私48歳からの10年と10日間の介護生活は、
私や家族にとって貴重な10年になった。
初めての認知症介護で最初は母も私も戸惑ってばかりだった。
でも、途中で「がんばらない介護」に目覚め、笑って介護することができた。
認知症初期のあの頃は、
非常識な行動を取る母が憎らしくて、母の首に両手をあてて、
首を絞めるしぐさをした時があり、私はハッと我に返った。
それから私は、
「私はいつか、母を殺してしまうかもしれない」
という観念に怯えていた。
人一倍我慢強い方だと思っていた私は、
最初の数年間、介護で苦しんだ。
救いを求めながら辛く苦しい時代を過ごした。
私はストレスからくる突発性難聴で入院もした。
やがて「がんばらない介護」に目覚め、
後半は楽しい介護ができたと思う。
小さいころは共働きの母に甘えることができなかった。
貧しかった両親はいつも忙しそうだったから。
母の認知症が進み、歩き方がおかしくなっていった。
ある年のさくら祭りの時、認知症の母が転んではいけないと思い、
「一緒に手をつなごう」と私から母に言った。
私は小さいころ母と手をつないだ記憶がほとんどない。
だから、保育園児のようになってしまった母と手をつないでみたかった。
「手をつなぎたい」と言うにはとても勇気がいった。
断られたら恥ずかしい。
でも転んではいけないから、無理やりでも手をつなごうかな。
そう思いながら手を差し伸べたら
母は何の抵抗もなく手をつないでくれた。
母と手をつないでいる。
嬉しかった。
じわじわと胸の真ん中から何かが押し寄せてきた。
母と手をつないでお花見ができたことは
私のやり残したことを遂げられたと思った。
この調子で来年も手をつないで桜を見に行こう
と心の中でガッツポーズを取った。
しかし、翌年、桜の開花まであと三週間という頃に、
母は突然亡くなった。
だからあの時、
勇気を出して母と手をつないで良かったと思う。
あんなに大変な思いをした介護。
後半は手抜きに徹して楽しかった介護。
ずーっと昔のような気がする。
まだたった5年前のことなのだと不思議に思う。
お母さん
お誕生日おめでとう。
私を産んでくれてありがとう。
今回は
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本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
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