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お誕生日おめでとう30th【音声と文章】

山田ゆり
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朝起きて最初にするのが外の確認だ。
暗がりの中電気を付けずに、一歩一歩足の土踏まずに階段の滑り止めの凸凹を感じながら階段を下りる。

何かあったらすぐに左の手すりを掴むことができるように、ノート・ボールペン・スマホは右手に持って。

「今年はどうかな?」
下と上の二か所の玄関の鍵を開け、ドアガードのアームを起こす。

どっしりした重厚なドアを押す。


お向かいさんの外に停めてある軽自動車には雪が積もっていた。
玄関先にもこんもりと雪が重なっていた。

小学校低学年が習いたてのリコーダーを吹いているようなピューピューという音と一緒に雪が斜めに吹いている。

「やっぱり」
私はニンマリしてドアを閉じた。


昨日まで春めいていても、なぜか3月2日は冬に戻る。
これは30年前からの我が家だけの都市伝説なのである。


それはあの時から始まった。


古い建物で木枠の窓は、指でつまんで回す鍵だった。
床は古い板張りで歩くとギシギシ音が鳴っていた。

私は初めての妊娠で、女先生のこの医院で産むことに決めた。

身長は150cmくらいで少しふくよかな感じの先生はいつも微笑みを絶やさない柔和な方だった。


夜、夫と一緒に布団に入って寝ていたら、突然、大きな風船が割れてその中から暖かいお湯がはち切れんばかりに溢れてきた夢を見て目が覚めた。

あまりにもその映像が鮮明で私は飛び起きた。
破水したのである。


出産予定日迄あと2週間もあったのに。
私はすぐに隣で寝ている夫を起こした。
夫に着替えを用意してもらい、そして病院へ電話をした。


入院に必要なものは大きな風呂敷に包んで部屋の片隅に置いていた。
妊娠何週にはこれをしましょうのリストの中に、この週になったら、いつでも入院できるように準備しましょうとなっていたから私はそれに従っていた。

病院の電話に出られた助産師さんは先生にすぐ確認してくださり、入院が決定した。

初めての出産である。
夫があらかじめ車にエンジンを掛けてくれ車内は暖かかった。
車の後部座席にシートを敷き、そこに私は横たわった。普通にすわっていられなかったのである。


夫は初めてのことで顔がこわばっていた。
私よりも緊張しているのが分かり、かえって私の方がおかしくて笑ってしまったのを覚えている。


こんな時は普通に座ることは難しいのだとその時初めて知った。

病院に着き、夫に支えられながらまずはどういう状態かを先生に診ていただいた。

陣痛の間隔はまだ長かった。
すぐには生まれないと分かり、入院の部屋に入り、陣痛の様子を診ることになった。

右にスライドする昔ながらの木のドアでカギは無い。
木目がはっきり見えている。最近春めいてきていたが、夜中あたりからまた雪が降りだし、木枠の窓には雪がこびりついていた。



私は腰のあたりが痛くてベッドに横になった。
苦しむ私をオロオロしながら夫は私の腰のあたりをさする。

「もっとさすって」
夫にお願いするが、ぜんぜん効かない。



私はこれから子どもを産むのだ。
破水したらお腹に菌が入りやすくなり子どもが危険にさらされる。
だから破水したらなるべく早く産まなければいけない。

当時の私の常識はそうだったから、とにかく早くこの子を誕生させなければ、それだけを考えていた。


でもなかなか、陣痛は強くはならなかった。


夫はすぐにでも生まれるものだと思っていたから、ただただ横になって苦しんでいる私の腰をさすっていたが、どうやら産まれるのはまだらしいと分かり、拍子抜けしてきた。

人の緊張はそれほど続かないものらしい。
夫の緊張はとれたようだが、私の腰の痛みは和らがない。
そりゃそうだ。
今、お腹の中で小さな生命体がゆっくり回りながら私の中から出ようとしているのだから。

さすっても、呼吸を変えてみてもどうすることもできない鈍痛だった。

夜中からずっとその状態が続いた。
早く産まなければ。
私はそれだけ考えていた。



やがて陣痛の痛みが強くなり陣痛の間隔も短くなった。

私は分娩台へ乗るように先生に言われた。
私は病室からストレッチャーで分娩室まで運ばれるとイメージしていたが実際は違っていた。

自分の足で夫に支えられながら分娩室まで行き、自分の力で分娩台へ上った。

その時分かった。


出産は病気ではないということを。
普通の手術ではないということを。


人を産むということは、病気ではないということをその時、誰からも言われなかったが自分で実感した。


この子をこの世に出せるのは自分しかいない。
自分がしっかりしないといけない。


何かに挑むように私は分娩台に乗った。



そして、5:48

長女が生まれた。
妊娠中に性別はあえて聞いていなかった。
男の子でも女の子でもどちらでも良かったから。



「お目目パッチリのかわいい女の子ですよ」

ニキビがたくさんある若い助産婦さんからそう言われた。



当時の私が知っている生まれたての赤ちゃんとは、はにわのような腫れぼったい目をした赤ちゃんしか知らなかった。

だから、助産婦さんの言葉はただの誉め言葉かもしれないと思っていた。


しかし、目の前に差し出された我が子は生まれながらにして二重瞼で、目を開けたら本当にお目目がパッチリしていて可愛かった。

心の底から可愛いという感情が湧き上がった。

木枠の窓には真っ白な雪がたくさんついていた。




娘が生まれた3月2日はその後、前日まで春めいていても、当日はなぜか冬に逆戻りする、そういう日になった。

特に統計を取ったりしてはいないが、我が家ではその伝説が続いている。


そして、30年目の今日も、今朝は吹雪いている。
娘の誕生日を世界が祝ってくれているような気がする。



お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。

これからもよろしくね。







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お誕生日おめでとう30th

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