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くだけたプロフィール Part.1

1.田舎のスタバ

空いてるスタバでニューヨークチーズケーキとホットコーヒーを頂いてます。37歳、単身赴任、トゥクタミシェわ、男です。先日は新しく作った中学生のための混声三部合唱曲Fade in... の歌詞をアップしましたが肝心のプロフィールがなかったので書いてみます。

2.幼少期〜中学生

1983年、岐阜県生まれ。中学校で働くピアノ苦手音楽教師です。小学1年生の時、ナガシマ海水プールでけのびの練習をしていたら、お美しいおねーさんの太ももに頭突きしてしまい人生の素晴らしさに気付きました。しかし、その2年後、母親が病死し寂しい日々を過ごすことになります。ファミコンを庭の芝生に叩きつけて激昂する父とワタシを庭の芝生に叩きつける兄とともに男3人、仲良く暮らすことになります。

初めて買ったCDは「果てしない夢を」WANDS、ZARD、ZYYG、REVの4バンドと読売巨人軍のレジェンド長嶋茂雄氏がコラボレーションした曲です。「長嶋さんいつ出てくんねんっ!」と思っていると突如ソロでしゃがれたボイスが登場する名曲です。たしか、巨人戦の放送とタイアップしていたのではと記憶していますが、ワタシは中日ドラゴンズファンです。好きな選手は川又。

その後、小学5年生ごろから小室哲哉ブーム到来です。音楽番組にかじりつきすべての曲をチェックしていました。推しはglobeと鈴木亜美です。鈴木亜美に関しては写真集も買う始末。

中2になると第2次バンドブームって感じでビジュアル系バンドに憧れて、エレキギターを買い、コピーバンドでボーカルしてました。ライブハウスで歌うようなことはなく、ギター担いで隣町のレンタルスタジオまで自転車こぎ倒して練習していた程度です。その頃好きだったのはLUNA SEAとラルク。GLAYギターフレーズも気に入ってて練習したっけ。ミスチルは聴いてカラオケで歌うだけ。細かいギターソロがなかなか弾けなくて、挫折を繰り返しました。田んぼの向こうの友達は器用で、楽譜が読める子でもないのにぐんぐん上達してて尊敬した。バスケはオレのほうがうまかったけど。そいつ20歳の時病死した...人生コワイ...悲しい。

こんな感じでずっと音楽が好きです。ワタシの家族は音楽をやっていなかったけどオーディオ機器が大好きだった。父はテレサ・テンがすきだった。と思う。CDが出始めた頃に家にステレオが来た。確かメーカーはサンスイ。2つのスピーカーにアンプ、カセットデッキ、CDデッキにレコードのターンテーブル。シューベルトの未完成のCDもあった。クラシック音楽に絶対興味ないはずなのに。CDデッキは買うのが早すぎて、まだ、8センチCDを置くくぼみ?がなかった。残りの4センチを埋める輪っかをはめて聴いてました。そのステレオコンポは落雷により大ケガ。電源を切っても液晶の明かりがついたままだった。使えなかったわけはなかったがなんだか怖かった。

兄はその影響もあってか、スピーカーやアンプなどをバラバラのメーカーで組むオーディオマニアみたいな人になっていった。オンキョー、パイオニア、ソニー、こういったメーカーの名前を小学生の頃に覚えることになったのはこのため。そしてこの方は鉄道オタク、撮り鉄となった。

兄とは年が6つ離れ、いとこ連中も年上ばかり。みんな音楽が好きでワタシはワケもわからず一緒に聴いていた。尾崎豊、ビートルズ、美空ひばり、テレサ・テン、ミケ、光GENJI、WANDS。今思うとなかなか幅広い。こういう音楽の聴き方だったので更に幅を広げたくなる。中学生の頃には音楽雑誌を読み漁り、好きなギタリストが好きな音楽を調べ、洋楽にも手を付けた。ボロい中古CDショップでジャケ買いもした。とにかく少ないお小遣いを散財していた。

3.楽器の話(これまだ途中ね)

中2で買ったギターはフェンダージャパン、木目ボディの黒いピックガード、テレキャスター。しぶいぜ。まだ持ってるけど全然弾いてない。弾けないけどフェンダーのジャズベースも持っている。弾けないけど。

トランペットはヤマハのカスタムからの、バック180ML。

吹けないけど新品のファゴットも買った。JDRの50万円くらいのもの。ヤマハのローズウッドシェルの小太鼓も買った。これは20万くらいだったかな。その話はまた今度・・・Bye



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