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なぜ今注目されるのか~『やっぱり知りたい!ハンナ・アーレント』をオンラインで視聴した

20世紀を生きた思想家ハンナ・アーレントが再び注目されている。この7月に発売されたばかりの『漂泊のアーレント 戦場のヨナス ふたりの二〇世紀 ふたつの旅路』の著者、百木 漠さんのイベント「やっぱり知りたい!ハンナ・アーレント」がオンラインで視聴できることを知り参加した。

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コロナ禍における幸い

会場になるGACCOHは京都出町柳駅から5分のところにある。京都大学の最寄り駅でもあり、あこがれの学問の地だ。これまでも何度か百木漠さんのアーレント講座が行われていることをSNSを通して知ってはいたものの、京都は遠く…とても参加することはできなかった。それが『漂泊のアーレント、戦場のヨナス』の出版を記念したイベントが開かれ、しかもこのコロナの状況で、オンライン参加もできると言うのだから、コロナ禍における幸いもあるものだ。

なぜアーレントなのか

では、アーレント思想のどのような部分が現代にウケているのでしょうか。
 これは正直なところ、アーレントを研究している私(百木)からしてもイマイチよく分かりません。いくつか理由は思い浮かびますが、なにか決定的な答えは見つかっていません。同時多発的にいろんな人たちがいろんな関心からアーレントの思想に惹きつけられているように見えます。それ自体がひとつの興味深い思想現象だとも言えます。

私がハンナ・アーレントに関心を持つようになったのは、2011年の東日本大震災と原発事故がきっかけである。原発事故をめぐって、政府や科学者に対する不信や批判が噴出する中に「アイヒマン」とか「凡庸な悪」という今まで聞きなれない言葉を耳にした。

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アイヒマンは有名なナチスの高官であり、ユダヤ人を次々と鉄道でガス室に送り、その効率的な大量虐殺のシステムを作った官僚と言われている。裁判にかけられたアイヒマンは自分の犯した罪の大きさを恐れるわけでもなく「私は命令に従っただけだ」と答える。それを傍聴したアーレントは「凡庸な悪」という言葉でその悪の性質を表した。ホロコーストという20世紀の惨劇は、巨悪の存在が起こしたわけではなく、命令にただ従っただけのアイヒマンのような小役人が起こした残虐ということもできる。それはまた、誰もがアイヒマンになりうるということを意味している。その事に私は恐れを抱いた。全体主義の嵐に巻き込まれたとき、私は抵抗することができるのだろうか。私もアイヒマンになってしまうかもしれない。命令されたから、周りがそうしていたから、誰も反対しなかったから…そんな風になりたくないと思った。それ以降、私は全体主義とハンナ・アーレントに関心を持ち続けている。

複数性と多面性

百木漠さんのアーレント講座はとてもわかりやすかった。今まで何冊か、アーレントの新書を読んだり『全体主義の起源』『エルサレムのアイヒマン』など、理解半ばとはいえ挑戦してきたが、今回の講座で手応えを感じるようになってきた。

百木さんは、複数性と多面性こそがアーレントの魅力だという。アーレントの思想自体が複数的であり、そのため、左(リベラル)か右(保守)か、フェミニズムの敵か味方か、エリート主義なのかマイノリティの味方か…などさまざまな論争をこれまでもよんできた。

アーレントについては「この読み方が正しい」という絶対主義でもなく、「それぞれ勝手にやれば」という相対主義でもなく、異なる意見の人と 議論し続ける、他者と関わり続けるという態度が大切だという。それはアーレントが『人間の条件』の中で最も重視した「活動」であり、それこそが全体主義に対抗することになる鍵となる態度なのだと思った。そして、それは日々の生活の中からはじめるべきことだとも思った。


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