「    、」

目が覚める。電話が鳴っていた。
毛布を肩まで引っ張り、途切れることを期待する。
ちりりん。
ちりりりりん。
期待を裏切って、電話は鳴り続ける。
電話が鳴り止まないと、眠れない。覚悟を決めて手を伸ばし枕元の受話器を手探りで掴んだ。
「もしもし、」
耳元に当てて呼び掛ける。
「約束は?」
「何の話?」
寝ぼけた頭で尋ねると、約束だよ、と友人は繰り返した。「ずっと待っているんだけど、」
「こんな朝早くに約束なんて、」
「えっ?ごめん、聞こえないよ、」
受話器から、強い風の音が聞こえた。
「どこにいるの、」
「聞こえない、」
ぷつ、っ、と電話が切れる。
眠ろうか掛け直そうか迷って、掛け直す。
ちりりん。
「早く来て、」
「どこにいるの、」
「海、」
海で会う約束なんて、した覚えがない。
そんなロマンチストになった覚えも、ない。
「私なの、」
スケジュール帳を広げて予定を確認する。
「君だよ、」
カレンダーは思った通り空白だった。
それなら、この電話は一体?
「待っている、」
静かになった受話器を見つめる。下がってくる瞼に抵抗せず、布団に潜り直す。
掛け直そうか。
掛け直さないでおこうか。
二つの考えを行ったり来たりしている内に、瞼がゆっくりと閉じて、開かなくなった。

浜辺に佇む友人を見つけた。
灰のコートに突っ込んだ手を抜いて声を掛ける。
「    、」
名前が思い出せない。
親しんだ筈の名前がすっかり頭から抜け落ちている。
「もしもし、」
「遅かったね、もう終わってしまったよ、」
それが何を指しているのかは、分からなかった。
「行かないと、」
「行くって、何処へ、」
しぃ。
人差し指で示される。
手首を掴まれた。
友人はそのまま走り出して、海へ向かう。
声を上げるよりも早く私は海に呑まれて沈んだ。
藻掻く私の手首を掴む友人は重石のようで。
浮き上がれない。
光が、消えてゆく。

ちりりん。

ちりりりん。

ちりり、

枕元の受話器を取る。
「もしもし、」
荒い呼吸を正して平静を装う。
溜め息を吐くのが聞こえた。
「覚めた?」
「用件は、」
友人は静かな声で答える。
「待ちくたびれた、」
一方的に電話を切った。
布団に潜り込み目を閉じる。

夢のない眠りを期待していた。

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