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ズボラがnoteに助けられる

月盛です。
今日は実家に泊まりになりました。
出掛ける前に家の中を整えて、玄関から振り返って見て・・・大丈夫と思う時(まだまだ自分は老成長期だから!)って自分が励まされる気がします。
(タイトル写真は玄関から振り返った廊下)

それでも(それがなにになるだろう・・・)がやって来てる時は小さな事で上がる自分が単純でつまらないやつだと思ったり・・・。
本当に気分の乱高下が激しい季節です。

天気ひとつでも気持ちが上がり下がりするくらいですから気分安定はそれぞれの人のコツが有るかと思います。
日常での姉とのやり取りのメールでは明るく前向きなのですが、電話での会話はごまかせず暗い時も多いのです。
私に心配をかけないように明るくしているのでしょうが、そういう私も明るくしてごまかしているのだから、やっぱり時々実際に会わないと分からないのです。

この何もかもが空しく感じるのはどこからくるのでしょう。
姉も具体的な出来事では無く、忍び寄ってくる虚無感に眠れない日があると言います。
姉は朝一番に神棚へ(家は神道です)お膳を上げます。

一口づつの小さな器

彩り良く盛られた小さなお膳はこの家を守る気持ちが表れています。
「これのお陰で自分の食事もそまつにしないで済んでるから」誰にも知られない毎日の心構えがあってこそ、私たちの実家が守られていることを感謝しないとだめですよね。

友人は「名も無い家事の繰り返しが空しくなる」と言います。
ご主人も子供たちもありがとうと感謝はしてくれるけど「ママがやって当然」の気持ちも見えてくると、何のために頑張っているの?の気持ちが大きくなって、やる気が起きない日もあります。

やっぱり褒められたり認められないと駄目なんでしょうか。
仕事は評価されて次に進むように出来ていました。
だから無理な事も可能にして大きなことにもチャレンジしていけました。
今、自分の為だけに時間を使い好きに出来ているのにそこには誰の評価も無く自分の心地よさだけ・・・忙しかった頃の自分からしたら贅沢なんですけど(笑)

今片付けなくても明日やればいいじゃん・・・眠い夜は何度もそうやって自分を甘やかしたので「汚部屋」になって取り返しのつかない状況になりました。
あの家には絶対戻りたくない!これははっきりしています。
だけど時々心がささやくのです。

少しだけなら大丈夫
このくらいなら明日まとめてやれば大丈夫
誰も来ないし明日でいいよ

それでこのnoteを始めました。
悪魔のささやきを逃れるために理由をつければやるだろう・・・私は見栄っ張りですからね。
お陰様で今のところは自暴自棄になっていません(笑)
ただ毎日のように(こんなことが何になるの?)はやって来ます。
まだまだ人間小さいです。
姉のことも色々見つけて褒めまくっていきます。
外との繋がりが薄くなると「はりあい」が無いのです。

それではまた明日!



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