ハイライト改訂版㉓

 テレビで終戦特集が組まれている夜、美沙に呼び出された。僕は終戦の時期に恒例の終戦ドラマを見ている時だった。電話をしながら、部屋の中に立て掛けているロードバイクのフレームに手を掛けていた。
 美沙の呼び出しに嫌な胸騒ぎを感じながら、指定された公園へと続く道をロードバイクで疾走する。道中で美沙からの呼び出しの理由を推測し続ける。当然、彼女絡みの話であることは間違いない。そう結論付けるとペダルを踏む足に力が入ってしまう。
 お盆ど真ん中ということもあり、いつもよりも車が少ない道を快適にかつ恐ろしいスピードで進む。ハンドルに設置したサイコンは、三十キロオーバーを表示している。いち早く公園に向かわないといけない危機感が、速度へと反映されていた。
指定された公園は野球場を併設していることもあり、ナイター照明で夜とは思えない明るさで照らされている。軟球を特殊なバットで弾く音、高校生くらいの集団騒ぎ声と共に花火の音も聞こえ、セミは忙しなく鳴いている。夏らしさが前面に現れている風景は、どこか原風景と被った。
 ロードバイクを引きながら、美沙の姿を探す。熱帯夜の中でペダルを漕いだ僕の額からは汗が流れ落ち、背中にシャツが張り付いて気持ち悪い。
「和樹」
 僕の名前を呼ぶ声の主は後ろから聞こえた。上半身だけ捻じり、声の主を探す。予想通り美沙の隣には誠治が居て、さっきの嫌な胸騒ぎが強くなる。家から公園までの道のりを全力スプリントしたことで心拍が上がっているだけだと思い込みたかった。
「おう、やっぱりいたか」
「なんだよ、それ」
 誠治は苦笑し、その横で「ゴメンね、急に呼び出して」と美沙が言うので、僕は左手を挙げて、大丈夫だよ、というノンバーバルな返事をする。
「立って話すのもアレだし、その辺に座ろうか」
 目の鼻の先にあったベンチを指さした誠治は歩き出し、僕と美沙もその後姿を追い掛けるように、ベンチを目指した。
 ベンチの後ろにあった大きな木にロードバイクを横づけしていると、「オレ、飲みもん買ってくる。和樹、何がいい?」と訊かれた。僕は、甘くないコーヒー、と答えた。それを聞いた誠治はどこかへと向かい歩き出し、美沙と並んだ形でベンチに腰掛け、会話の発進を待った。
「急に呼び出してゴメンね」
「大丈夫だよ。テレビをぼんやり眺めてただけだったから」
 申し訳ない表情をする美沙に対して笑顔で答える。
「それでね……」
 何を投下されるのか、心中は穏やかではない僕を尻目に美沙は言葉を繋ぐ。
「茜のことなんだけどさ、この前のバーベーキューの後で聞いたんだけどさ……」
 美沙にしては歯切れが悪い。僕が情動で起こしたことについて追及される気がして、僕は無意識で身構える。強打者相手に対して萎縮してしまう新人投手のように。
「何を聞いたの?」
「茜とキスしたんだよね?」
 やっぱりそのことか。僕はなんて答えるかを迷った結果「うん、したよ」と直球の返事をする。彼女から何を聞いたのだろう。罵詈雑言の先、美沙を通して何かを伝えようとしているのだろうか。考えれば考える程、頭は不安でいっぱいになり吐きそうになる。
「意外に和樹もやるじゃん」
 申し訳ない表情がどこにいったのか、美沙は何とも嬉しそうな表情で言った。
「えっ?」
 想定外の言葉に僕は戸惑い、情けない声が口からこぼれる。
「茜、恥ずかしそうだったけどどこか嬉しそうだったよ」
 女性は男と同じでそういう話も話のネタにしてしまうのだと知った。この手の話では男なら、いつヤったということが焦点になるが、女性はそれまでの過程が重要なのだろうか。いや、正確には分からないけれど、女性が男のように下世話な話に前のめりになるとは思えなかった。
 美沙のそんな切り出しで始まったバーベーキューの話で会話のキャッチボールが延々続いた。もはやそれはいつかの飲み会の時同様、尋問に近い質問攻めの印象だったが、仕方がないと諦めに似た感情で正直に答えていった。
 ひとしきり尋問が終わった時に、何かを決めたかのように美沙は真剣な顔になった。
「それで茜と付き合ってるの?」
「いや、付き合ってはないんだけど……」
「付き合う気はあるの? って、和樹なら付き合いたいか」
「どういうこと?」
「だって、ずっと茜の事好きだよね。一年生の時に振られてからもずっとさ。隠してたつもりだろうけど、だだ漏れだったよ?」
 その言葉で、誠治の言葉と飲み会での暗黙の了解で満場一致だったことを思いだし、答えを知ることになった。あの時の言葉や反応は、今も彼女が好きなんだな、だということを共有した先の反応だった。遅過ぎる答え合わせは、周りが抱く僕という人間像に対して、いかに無頓着だったことを思い知る。
「茜ちゃんのことは好きだよ」
 美沙には簡単に言える言葉を彼女に言えない僕はやっぱり臆病者だ。
「じゃあ、言うべきじゃないのかもしれないけど、言っていい?」
「うん」
 居心地の悪い沈黙。遠くの方で聞こえる野球をしている連中の声が、もっと大きくなってくれればいいのにと思ってしまう。
「茜、彼氏がいるらしいんだ……」
 今年の春、彼女に話しかける前に気になったカバンに括りつけられたキャラクターのストラップが気になったことを思い出す。あの時からか彼女は誰かと付き合っていたと推測し、勝手に意気消沈しそうになってしまう。同時になんで僕の暴挙を許してくれたのかという謎が思考を奪った。
「この話をするつもりだったんだけど、言い出せなくて。なのにさっきまで勝手に盛り上がっちゃってゴメンね。それでね、その相手が……」
 あぁ、僕の知り合いか。何とも言えない結末が待っていることを悟り、心の準備をする。空振り三振でも仕方がない、と球界の大エースが投げ込むボールを諦め半分の気持ちで待つことしか方法が無かった。
 美沙はその後に言葉を続けない。正確には続けることができないといった印象を受ける。何を言えばいいのか分からなくて、僕も言葉を出せない。セミの声がうるさく鳴り響き、額から流れ落ちる汗が地面に落ちる。
 沈黙に耐えきれず、胸ポケットに忍ばせたタバコの箱から一本取り出し、火を灯す。煙が立ち昇り、空へと消えていく。体内に含んだ煙は重たく、吐き出す息は白く着色され、僕の視界から消えていった。タバコの箱とライターを戻すのが億劫で、僕と美沙の間に置いた。

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