ハイライト改訂版⑳

「コバルトブルーの……」
 翔平がサザンオールスターズの『涙の海で抱かれたい』を熱唱し始めた頃、車は国道百三十四号線を進んでいた。無限に広がるような青い海に翔平たちは歓喜していたが、僕はワゴン車の三列目に座り、迫りくる眠気と戦いながらぼんやりと移りゆく景色を眺めていた。
「やっぱ夏は湘南だ!」
 歌うことを止めた翔平はワゴン車の二列目の真ん中に座り、飲み会の後のカラオケでよく見るテンションで叫ぶ。夏特有の解放感、大学四年生としての課題を乗り越えた連中ばかりだから、必要以上に浮かれていたのかもしれない。
 横を走る抜ける車の五台に一台くらいのペースで僕達と同じような雰囲気が溢れ出ていた。その時、僕達は改めて大学生で、自由の象徴であることを漠然と把握した。
「お前、マジでうるさい」
 苛立って声を上げたジーターを無視して、翔平はどうでもいいことを逐一叫んでいる。翔平の両隣にいたジーターと薫子さんが不憫で仕方がなかった。後ろに座っている僕ですら腹立たしいと感じるテンションの高さは、良くも悪くも大学生の夏を体現していた。
「うるさくていいんですか? いいんです」
 翔平は、サッカーの試合で興奮してしまう俳優の物まねを勝手にし始めた。美沙を発端に呆れた笑い声が車内に広がっていく。僕は、その笑いの波に乗り遅れてしまったのは、全く別のことを思索していたからだった。
 車内が僕達の関係を写し出しているように見えたのは、日本一美しい駅と呼ばれる鎌倉高校前駅を通過したくらいだった。一方通行の線路を車両の短い江ノ電が、自分のペースで進んでいるのを眺めながら、僕は誠治たちをサッカーのポジションに見立てて、役割のようなものを当てはめ始めた。多分、翔平のヘタクソなテンションだけの物まねのせいだった。
 視線を車内に戻した。グループの真ん中には翔平が居て、グループを盛り上げる。その横には微笑んでいる薫子さんが居る。翔平を優しく見守って、時より翔平のアシストをしつつ、薫子さんは決して自分の姿勢は崩さない。けれども盛り上がった空気をしっかりと繋いでくれる。サッカーで言うなら、フォワードとトップ下みたいな関係だろうか。
 ハンドルを握る誠治はグループの頭脳であり、グループが道を誤らないように冷静に物事を見極める重要な役目を担っている。だから誠治には悩みを抱える人が集まってくるのだろう。誠治の横には美沙が居て、誠治にそっと寄り添いながら、誠治の負担を軽減する役割を果たす。時より天然をかますけれど、ダブルボランチと言えば、収まりがよい。
 ジーターは基本的にはグループの常識人ということもあり、誠治と同じような役割だが、誰もが重苦しい時より奇を狙ったかのようなことを平気な顔でやってのけることもあり、サイドバックのイメージだ。
 僕はどこのポジションになるのだろうか。そもそも、このグループにカメラマンとして以外の居場所はあるのか? 何故かそんなことを不用意に考えてしまったのは、寝不足と就職活動の面接で無個性だと言われた一言が影響しているのだろう。
「カズ君、大丈夫?」
 僕の隣に座っていた彼女が小声で訊いた。居場所について一抹の不安を抱いた僕を見ていたからか、彼女は少し暗い表情だった。
「大丈夫だよ」
 心の内を見空かれないように、適当な言い訳を口にした。旅行の前日、締め切り間近の写真編集をマスターと共に夜通し従事することがなければ、もっと優しい目で翔平を見守ることができたし、彼女にこんな表情はさせない。旅行前に完パケを迫る客からの連絡がやってくる運の無さは、言葉にできない。
 マスターの腕に惚れ込んだ出版社が時より発注する写真は、マスターが写真界の檜舞台と繋がる唯一のコンテンツであったがマスター自身、気乗りはしていないとぼやく仕事だった。しかし、ここ数数ヵ月の間、なぜか積極的に受け入れており、仕事を受ける時は必ず僕も立ち合った。気が付けば、編集作業に協力する機会が増え出した。
 色々と思うことはあったが、今まで体験したことのなかった部類の仕事にワクワクし、作業に夢中になり没頭するがあまり、本来の生活リズムを見失うというスパイラルに身を投じていた。心身ともに疲労が蓄積されているはずなのにもかかわらず、作業中はそんなことを一切感じることはなかった。その代わり休みの時にはダムが決壊したように一気に睡魔と疲労が襲い掛かってきて身体を蝕んだ。そんな日々が連日続いた締めが徹夜だったからこそ、堪えるものはあった。
「目の下のクマ、ひどいよ?」
「本当に? 最近、夜遅くてね」
 寝ていないと回りくどく言ってしまう。寝ていないアピールは、大学生に入ってから聞くことが増えたけれど、そのアピールに何一つ生産性がないことを僕は知っている。口にすべきではないと頑なに決め込んでいたのに、そんなことを考える余裕がないほど寝不足だった。就職活動を迷走していた頃に読んだ自己啓発本に『睡眠は思考力を奪う』と書いてあったことが頭をかすめた。
「着いたら起こしてあげるから、ちょっと寝てなよ」
 彼女は優しくそう言った。僕は頷いてからゆっくり目を瞑った。

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