恋じゃなくていい。愛が欲しかった
幼い頃に認識した “こい”
幼少期のこいを思い出してみる。
私の幼少期の恋は、恋という漢字も知らず
当たり前だと言わんばかりに他者に普遍的に
恋をした。そればかりか、
心が何かも分からず人に心を掻き乱され、
結局は恋しさを感じて、母に相談して
困らせるばかりだった。
社会性も身につけていない3歳児の恋は
周りもめちゃくちゃに巻き込んで、
相手は何が何だか分からない様子だった。
なんか、今思うと申し訳ない😓
この恋はわたしに人生で1番最初の別れを教えてくれた。相手は幼稚園の1個上の子だったのだ。
「こう書くんだよ」 ✐ “恋”
「知らなかったの?ばっかじゃないの?」
クラスでからかわれた。小学生の時。
教えてくれた子は友達だから大丈夫。
でも周りの男子に馬鹿にされそうだと思って
次の日登校するのは億劫だった。
ぴかぴかの1年生。
ランドセル背負って行った学校では
淡い恋を私に抱くかもしれない男の子が
小さな私を守ってくれた。
「おれ、藍色花のこと好きかも」
いやあー、笑
今思い返すとあの時が1番初心でした笑
あのすぐ後、
「私も〇〇くんの事気になってたんだ🥺」
とか言っちゃって笑
でも結局付き合うのは拒否られてました(泣)
まあ、
フラれた翌日も元気に登校しましたよ?
笑
まだまだ未熟な恋でした。
教えられた “愛”
からかわれた私は家に帰りお母さんに泣きついた。
「こいってどう書くの?」わたし。
「恋より自分の名前をかけるようにならないとね?」母
教えてもらった私の字。母のきれいな字。いずれ母が手放す2人の寝室を、私は幸福そのものだと思っていた。私の名前の漢字は綺麗だった。私に見合わないと思った。でもそんなことないんだと母は言った。
母を愛していた。それが確実な思いとなるのは
もう少し先のはなし。
恋じゃなくて愛が欲しかった。
私は愛に飢えている。
それは、
元被虐待児で、
元ヤングケアラーで、
元児童養護施設に預けられた子ども
だからかも知れない。
それゆえに弱い。
好きかもと言われるとすぐに受け入れてしまう。
恋じゃなくていい。愛が欲しいんだ。と
私はいつも踏みとどまっている。
恋の先に愛があるかもしれない事も知っている。
だから私が欲しかった愛は恋から得るしかない。
興味のない恋愛も頑張ってみようかな?と
思ったりするこのごろ。
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