藍色花

児童養護施設住みの18歳。シングルマザーの母から虐待されてました。16歳の夏から児童養…

藍色花

児童養護施設住みの18歳。シングルマザーの母から虐待されてました。16歳の夏から児童養護施設に住み始めてます。 精神疾患持ち。通信制日本文学科1年 虐待から逃れた虐待サバイバーの日記。 小説タグは創作。

最近の記事

辛い時に思い出すのは

閉塞的で退廃的で 異質に飾られた小さな1号室で 私は育った。 1部屋に1個のアロマが香る上品でくすぐったくなるような感覚。私の家は基本的に扉を閉めないルールだったから、色んな匂いが混ざりあっていた。その香りは激怒したい時や疲れている時に嗅ぐのがとっておきで、私はあれが普通の家庭だと思っていた。 ヒューヒューと桔梗にでもなったのかと疑うような音が、息をする度に鳴る。45cm程上の白い天井を見上げる。 はっはっと横隔膜が勝手に大踊りし始めたので笑いそうに

    • 虐待サバイブ中に心救われた『みどりのゆび』

      はじめに 今まで私は18年という私としては長い人生を生きてきた。 その中で小説が私の心を解いたことは、何度もある。文芸作品は、形を変えど私と生活を共にしてくれた。 だからこれからは、日本文学科に進学しようとしている。 そんな私がこれから文芸の世界にできることってなんだろう。 とゆっくり考えてみようと思っている。 では、この回では何を書こうか。 私の過去について 私が過去に虐待を受けていたことは知ってる方もいらっしゃるかもしれない。 それについて書かれている記

      • 回想と夢

        はじめに私は何者にもなれない人間だとつくづく思う今日この頃。日常の中で人知れず推しに励まされたり、やっぱり夢は追いかけたいと思ってしまったり。そんな日々。 私は一体何になりたいのだろうか。 そう、考える時はいつもなにかが終わった後だったりする。大学の合否を待っている手持ち無沙汰な日々に夢を考えてみることにした。 私は1度夢を追いかけて挫折した経験がある。 気持ちに余裕がなくなって追いかけられなくなった。それだけで私の心は折れてやりたいことを失った。 あの時のような絶望感

        • 冬の寒さに負けないように

          夏は暑い。エアコンがついてないから。 秋は嵐。食べ物も、趣味も、と大忙し。 冬は寒い。毛布が薄くて末端から冷える。 春はあけぼの。麗らかな空に新しい季節が舞っている。 春の日差しはとてもたおやかで明るい。黄色の光は色とりどりの花に降り注ぐ。桜は散りゆく、新芽を迎えて。私はきっと、いつかのずっとそんな空間で待っていたい、あなたを。誰かを。きっとそんな時は来ないけど夢想するんだ。2月の深夜。 夏はいつも流動的で、まるで流れる汗のように、拭き取られたら忘れてしまう。それもこれ

        辛い時に思い出すのは

          もしフラバしても大丈夫って思えた話

          精神科通院行ってきましたの報告 24年3月5日、精神科の通院に行ってきました。 前回の通院日から今日にかけておよそ1ヶ月半あったのですが、私は自身の変化をすごく感じています。 本当は行くはずだった3週間前の通院予定日には生活リズムが整わなくて私の住む施設の職員に処方箋だけ貰いに行ってもらう事もありました。 それに加えて、在学する通信制高校のスクーリングのために飛行機で遠出をしていました。 また私自身の変化と言えば、高校卒業が確定して余裕が出来たことで、将来やりたいことや目

          もしフラバしても大丈夫って思えた話

          夢も人生も食い潰された。 私は壊された。 死にたいと思うのは自他共に当然と言え、私はこの穴を埋める方法をしらない。 今はそれだけでも幸福だったりする。

          夢も人生も食い潰された。 私は壊された。 死にたいと思うのは自他共に当然と言え、私はこの穴を埋める方法をしらない。 今はそれだけでも幸福だったりする。

          声優専門学校と私

           私なんかでも、声を使って表現することができるようになる。 通うほど行った体験授業を受けた後にそんな希望が持てた。入学した理由はそれだけだった。 そして私は声優専門学校に入って初めて自分の声を意識した。 自分にとっての日光に照らされたような世界を初めて垣間見て目が覚めた。 先生の何かしらへの愛情や熱意を目の前にして、強靭で切実な一面に感動した。 私なんかでも歌を歌えるようになりたいと軽々しく思ったのがきっかけでボイストレーニングにも通った。 歌を上手くなりたい!声で演技出来

          声優専門学校と私

          児童養護施設の生活

           児童養護施設に私は住んでいる。  毎日3食、健康が配慮された食事と清潔なお風呂、そして児童がかわりばんこで使ってきたそれぞれの個室。健全な生活環境で囲まれて私は幸せに過ごしている。 ただ、児童同士の関係ははと言うと... 一筋縄では行かないことが多い。 入園してすぐのこと。 私はスマホを持ってなかった。 知らない場所で帰り道が分からない私をその子は、友達ん家に遊びに行ってくる。と言ってどこかへ行ってしまった。 最悪の事態を免れ、帰ったらまず児童同士の話し合いが始ま

          児童養護施設の生活

          元被虐待児の回想

           被虐待児の心は逃れた後でもえぐれていく。  私の場合、過去の回想の内容はまるでカオスで、もしくは地獄である。私は統合失調症と診断された。精神科を初めて受診したのは母の手から逃れた後のことだ。  母はいつも私を愛せているようで貶していた。私は、私が反故にされることで母の恨み、妬みを理解して育った。母は双極性障害である。殴られ、蹴られた時はタイミングが悪かったんだと自分に言い聞かせていた。 そうして、私の心はすり減る。限界が来た。 私は声を心を賭けて育てていた。 その声

          元被虐待児の回想