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「雑談」と私の中の「そうでない何か」との齟齬

雑談とは相手を理解することじゃないんですよね。

話したいことを話して、話されて、相槌をうてばすればそれが上手な雑談である。

感情移入もうわべでよくて、情感たっぷりのお話とかあるいは論理的な返答とかはただの雑談の中であればノイズになるとか、ならないとか。
つまり雑談というなんでもないジャンルの中にたっぷりの情感と心からの返答、文学性とかドラマとかを求めたのが私で、会話下手ということで、ジャンル違いの間違いを重ねて求めて勝手に傷ついていたわけだと思うんですよね。

心ない拒絶の言い知れない絶望感とは対極にある、――会話とはもっと真心のあるもので、みんながみんなに思いやりを持つ、精神安定剤である――と、深層では勘違いしている、みたいな。
会話は内容が充実してあるべき、みたいな。
そういう心持ちでいるのが間違いですね。

人生を構成する部品について、そんなに考え込むのは勝手。
でも、それを人前で話したら白けるもの。

かくあるべきではない。
私は間違っている。
社会は無難に回っている。

続きは明日書きます。

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