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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第97回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載97回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

八、鞄の章 

①旅行用トランクとルイ・ヴィトン

日本にはなかった「カバン」の概念

 いきなり余談で恐縮だが、たとえば「峠」は山道の途中で登りから下りにさしかかるところを表すために日本人が考案した、日本独特の漢字だ。だから峠には訓読みしかなく、中国の人も基本的には「トウゲ」としか読むことが出来ない。「辻」という漢字も、クロスロードを表す日本人の独創だ。それで、私事になるが、私が学生時代に中国語を習った際、中国人の先生がどうしても私の名前「辻元」を覚えにくい、と言っておられたのを思い出す。
「辻」や「峠」は中国式の読みが存在しないので、中国の人にとっては覚えにくい、ということになる。こういう日本で考案した漢字を「国字」と呼ぶ。
カバンを鞄と書くのも、そのような国字の一種だ。銀座にあるバッグ・皮革品の老舗タニザワ(一八七四年創業)の初代が、明治時代にbagの翻訳語として考案したものだ。
革で包むもの、という意味で作った国字なわけだが、なるほどよく考えたものだ。店舗の前を通った明治天皇がタニザワの看板に掲げてある「鞄」の字を目に留め、「あれはなんと読むのか」と侍従に質問され、説明を受けていたく感心されたという。以後、この鞄という表記が有名になり、日本中で使われ、定着したとされる。
ちなみにタニザワは、マチが広く金属の留め金で閉じる大きなガマ口型のブリーフケースを「ダレスバッグ」と名付けて売り出し、ヒットさせた会社でもある。戦後の対日交渉に活躍した米国務長官ジョン・フォスター・ダレス(一八八五~一九五九)が、来日した際に携えていたこの形式の書類鞄を売り込もうとしたものだ。欧米では医者がよく使う鞄ということでドクターズ・バッグなどと呼ぶ。この手のガマ口バッグの原形は一八二六年にフランスのゴディヨが売り出した。
では、「かばん」という発音のほうはどこから来たのか。こちらは中国語で櫃(ひつ)を意味する夾板(キャバン)から来たのだという。
ということで、明治時代に鞄屋を起こそうと思ったタニザワの初代・谷澤禎三氏の苦心がしのばれる。
というのも、それまで日本人には、身の回りの小物をなにかの入れ物に入れて、持ち歩くという概念がなかったからだ。言葉も文字もなかった、というのは、そういう考え方がなかったことを意味する。日本人がそれまで親しんだ和服は懐(ふところ)や袂(たもと)など、携帯品を納める場所がけっこうあり、また風呂敷という万能の携行方法もあった。後にトランクやスーツケースは行李(こうり)という翻訳をされるが、日本古来の行李は欧米のカバンとは趣が違い、手に提げて歩けるようなものではない。
しかし、今のようなバッグ、鞄の類が欧米の歴史でも古くからあるのかと言えば、それもそうではない。背広や靴と同じく、日本が開国した十九世紀に、欧米でもカバンの形式が定まってくるので、この面でも日本は決して、歴史的には「後進国」ではない。

旅行が盛んになる時代が前提

そもそもbagという言葉の語源は古代ノルド語だという。それにしても、元々の意味合いは収穫物を収める袋、というものだった。洋服文化においても、身の回りの小物を収めるポケットが衣服に設けられるのは十七世紀ぐらいからである。それまでは、ベルトなどに小物入れを取り付けて、小銭などを携帯していた。つまり、現代人の携帯ポーチのようなものがあったのである。紳士服のポケットとして最後に登場したのが、左胸上部に付けるポケットで、ハンカチを収めるためのハンカチーフ・ポケットというものである。
旅行用の手荷物カバン、という発想が出てくるのは、旅行を日常的に楽しむような環境と、階層が現れることが前提となる。それは十八世紀末から十九世紀にかけて訪れた。
ナポレオンの時代と、ポスト・ナポレオン時代である。彼が遠征を重ねる中で、欧州をコンパクトに一つの地域としてまとめた時代でもあり、人の行き来が盛んになった時代でもある。絶対王権が滅んで産業が興り、国境を越えた人とモノの異動が盛んになる。ちょうどグローバリズムに沸く現代のような一面があった。
そして、英国で始まった産業革命の波が訪れる。英国貴族、上流階級の子弟はこぞって家庭教師を連れた大陸周遊旅行「グランド・ツアー」を楽しみ、教養構築の総仕上げとするようになった。大陸の上流階級も交通手段の発達に伴い、自由に移動するようになる。
そこに登場したのが、誰でも知っている超有名ブランドである。


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