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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第67回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載67回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
ペルシャ語の「王様」から来たチェック

最近になって、スーツやジャケットの柄としてすっかり定着したチェック=格子模様だが、かつてはあくまでカジュアル・シャツなどの模様であって、日本のビジネスマンは、なかなか着ない柄だったように思う。
チェックは日本では、伝統建築の格子戸からの連想で格子柄と呼ぶが、近年では、男女を問わず大人気だ。チェックというのはペルシャ語のシャー(王様)がなまった言葉とされ、チェスの王手を「チェックメイト」と呼ぶのもその名残だが、ここからチェスの盤上の模様自体も、チェック柄と呼ぶようになったとか。
この模様は紀元前後、今のフランスにあってローマ帝国と戦っていたケルト系ガリア人が好んで用いた民族柄で、部族や家門ごとに異なった柄を用いたようだ。彼らは一~二世紀にはローマ帝国やゲルマン人に圧迫されてブリテン島やアイルランドに移動して行く。
そして、このケルト発祥の模様が、五世紀頃にスコットランドに伝わり、この地の民族衣装となった。いわゆるタータン・チェックである。中でもアーガイル地方のキャンベル家が用いたチェックはアーガイル・チェックとしてセーターや靴下の模様でおなじみだ。
長らく民族衣装という印象が強かった格子柄だが、十九世紀に入ると紳士のアウトドア用ファッションに取り入れられる。一八七四年にアメリカの狩猟クラブのユニフォームに採用されたガンクラブ・チェックが典型だが、ほかにも、色数を抑えたウインドーペーンやグレンチェックなどが登場して、広く普及した。
しかし当時、まだまだカジュアル用、アウトドア向けという印象だったチェックを、大胆にスーツの柄に用いたのは、洒落者で知られたウィンザー公(元英国王エドワード八世)。以来、都会で用いるスーツやジャケットにもチェックは進出し、バーバリーのようにブランドのトレンドマークにする会社もあって、今ではいかにも英国的な模様、と認識されるようになった。
それでもなかなか、日本では人気が出なかったわけだが、二十一世紀に入りようやく、ビジネスウエア用としても市民権を得てきたようだ。

「悪魔の模様」だったストライプ

今日、男性用スーツの生地やネクタイの柄として、最も人気があるのはストライプだろう。
日本で縞模様と呼ぶのは、もともと南方の島嶼から渡って来る海外の生地だったことの名残である。ことに江戸時代には、長崎・出島経由で渡る舶来品の生地という含意まで加わった。つまり「島から渡ってくる外国の模様」だったのである。
ところで縞模様は中世の欧州では、実は悪魔を象徴するもので、聖職者は二色以上の色彩の服を着てはならないとされ、一般の人もそれにならっていたので、縞模様は極めて非常識な柄だった。
ミシェル・パストゥロー『縞模様の歴史』(白水社刊)によると、縞柄の生地は「悪魔の布」と呼ばれ、犯罪者や異端者が着せられたものだった。特に横縞(ボーダー)はそのような意味が強く、このころから囚人服は縞模様となった。
一方、逆に魔よけとして寝巻に縞模様を用いることもあり、パジャマの柄として普及することにもなった。ただ、この時期も東ローマ帝国に仕えるヴァイキング傭兵「ワリヤギ親衛隊」などは好んで縞模様を用いており、わざと異教的な柄を用いて強さを示していたと思われる。
この傾向は、十六世紀に入ると貴族や騎士たちに受け入れられ、また教会の権威も徐々に低下する中、派手な縦縞ストライプをあえて用いた衣装が流行し始めた。荒くれ者のドイツ傭兵やスイス傭兵などはストライプの衣装がトレードマークとなったのである。
ボー・ブランメルなどが提唱したシックな紳士ファッションが主流となった十八~十九世紀、あからさまなストライプの衣装は下火となるが、アウトドア用の狩猟着などでは広く用いられ、今でもモーニング用のズボンにその頃の名残がある。
二十世紀に入って、英国の銀行家が縦縞の入ったダークスーツを好んで着るようになり、バンカー・ストライプと呼ばれ流行する。こうして、英国からストライプが紳士ファッションに復活したのだった。くっきりしたペンシルストライプ、点線のピンストライプ、かすれたようなチョークストライプなど種類も様々に増えた。ストライプ生地のシャツも登場するようになった。
特に一九三二年、英国の老舗シャツ店ターンブル&アッサーが、舞台衣装用に仕立てた派手な太い縞模様の生地を使ったシャツを売り出したことがあった。これはブロックド・ストライプ、日本では「ロンドン・ストライプ」の名で知られている。こうして、縦ストライプは英国のものというイメージが、二十世紀半ばまでに強まった。
一方、横縞のボーダー柄は長らく印象が良くなかったが、スペイン・バスク地方出身の船乗りたちが好んでこの柄の服を着るようになった。パジャマと同様、魔よけの意味が強かったと思われる。
十九世紀以後、他国の船員や海軍の水兵のシャツに用いられるようになり、今でもロシア海軍の水兵は、セーラー服の下にボーダーのシャツを着ている。以後、マリンルックの流行で横縞も一般的な柄として市民権を得た。しかし男性的な印象が強いためか、「ボーダーを着ている女性はもてない」などという本も出たことがあるが、どうであろうか? 

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