最近『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでる

みくるちゃんを辱める描写は今改めて読むときついものがないでもないが、当時だとこれくらいの描写には何ら違和感を覚えなかったのかもしれない。
少なくとも当時はそこまで気にしていなかった。

キョンは粛々と撮影してないでハルヒを止めろよ可哀想すぎる、と思わないでもないが、そもそも『涼宮ハルヒの憂鬱』は、どこまで行ってもフィクションで、決まり事に従って動いているんだ、と思い直す。

みくるちゃんを人物として見過ぎていてなんか可哀想な気持ちになっているけど、まっさらな気持ちで読めば、みくるちゃんはいわば物語のエロ要員みたいな感じに配置されていて(ハルヒ的に言えば萌え要員だろう)、エロ要員のみくるちゃんは嫌がりつつもエロい事をされていないといけない、という"決まり事で動いている"のかもしれない。
昔アニメで見ていた時は多分「えっちな子がえっちな目にあってるなぁ」くらいにしか思ってなかっただろう、ということで、一旦は受け流すことにした。でも胸を揉ませるのは本当に酷い。

しかしまぁ、二次元的決まり事として流すべきなのか、まだ確定的には考えてもいない。そういう意図じゃない可能性もある。ハルヒの行動はやはり極悪で、過剰に描かれている、とする。その時この物語は、ハルヒが人間的に優しくなる物語なのかもしれない。先の巻でたしか、キョンが本気でキレて、ハルヒが落ち込むみたいな話もあったような気もする。
現状は、朝日奈みくるに対するやり過ぎに対してわどっちの整理で読み進めるべきか、よくわからない。どっちの意図もあるってことでもいいのかもしれない。とにかく色々と忘れてしまった。

昔はキャラクターの可愛さにしか注目してなかったが、SF的な部分も面白い。

宇宙開闢とほぼ同時に存在する「情報統合思念体」ってなんなんだろう?おおよそ神みたいな超次元存在だけど、途方もなく膨大な情報を持っているだけで、新たに書き込むことは出来ないから、それが出来てしまうハルヒの方が上で、神……?「情報統合思念体」、メタ的にはどういう位置付けにするのが適当なのか、よくわからない。

「時間平面」という時間の捉え方も面白い。朝日奈さんは時間をアニメ、あるいはパラパラ漫画と表現していて、未来人で余計者の自分はそこに書かれた落書きに過ぎないと言う。
居ても大筋に干渉することは出来ないということらしく、おそらくは禁則事項によって制限があるのだろう。

長門は「時間は空間と同じ。移動するのは簡単」とも言っていた。「時間は空間と同じ」。朝日奈さんも、時間を、平面を積み重ねた立体のように表現していたから、つまるところ空間的に考えている。空間的移動によって時間を移動する、これも朝日奈さんの言葉と矛盾しない。

と、ここまでいくと、癖でメタフィクション的に考えたくなってしまう。

あえて表現を避けているのかもしれないが、この世界=物語を、普通に、小説として捉えてもいいはずだ。パラパラ漫画を描くのって、大抵は文字媒体の端っこだし。時間移動とは、ページのめくりのようなこと。読者はいとも簡単に、ページをめくるように、物語の時間を自由に移動できる。「時間は空間と同じ」というのは、そのページめくりに近いこととして解釈もできるかもしれない。

この「時間移動」について、同じようなことがアニメ版で行われていた気がする。アニメ版のハルヒは刊行順に放映されなかった。それはハルヒという大きな物語を時間平面的に非連続的なものとして捉えて、いくつかの平面を1クールアニメという別の形に配置し直した(そういう「脚本(ホン)」にした)……と言えなくもない。時間の移動、というか時間の組み直しというか。

面白いな。ハルヒという物語で谷川流が何をしたかったのか、今更ながら気になって仕方ない。

「機関」というか小泉が言うには、3年前に世界が突然発生している可能性があるらしい。これはナンチャラ説って言うので有名な仮説の紹介だよな。

我々読者からしたら『涼宮ハルヒの憂鬱』以前のハルヒが存在しないみたいに、書かれたこと以上のものが本当に存在していないって話なのかもしれない。後に『涼宮ハルヒの消失』で3年前のことも描かれたりして、3年前のことは"後に"観測することになるが、やはりそれ以前は存在しない。この涼宮ハルヒは、物語が始まった時点から突然存在しているっていう事なのかもしれない。

「時間平面」だの「情報統合思念体」だのという聞き慣れない表現だったから当時はそこらへんのSF的、フィクション的な部分を完全に受け流していたけれど、このシリーズ、メタフィクションとして結構ちゃんとしてるんじゃないか…?

涼宮ハルヒシリーズ世界は、キョンが語ったこと以外のことが存在しない。まるっきり存在しないという事を実は徹底して行っているんじゃないか?

その意味でこの世界はとても脆弱で、その脆弱さの中心にはハルヒがいる……ハルヒが暴れれば暴れるほど、キョンの語りは増えて物語は増えて、情報フレアが起き、世界は広がっていく。そういう物語だったんじゃないか…?

そして、情報を全て観測してるという意味で、我々に与えられた位置は「情報統合思念体」なんじゃない……?宇宙開闢以来存在するだなんて、大仰な言い方をするとわからなくなるけど、「情報統合思念体」って要するに『涼宮ハルヒシリーズ』の誕生以来を観測するものって言う意味なんじゃない……?

ちょっとアリな仮説かもしれない。楽しくなってきた。
色々と捗ってきて、今は全部読み直したい気持ち。ということで、夕方ごろにBOOKOFFにて続きも買った(ほぼ持っていたはずだが実家から移動する過程で一部失くしてしまったのでその分)

中学生の頃、『長門は俺の嫁』とか言ってる場合じゃなかった。よくよく思い返すと気持ちの悪いことばかりを言ってたな、と少し自己嫌悪するが今もそう変わりない。ずっと気持ち悪い。今の推しは朝日奈みくる。

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