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夜行堂奇譚 無料

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無料の作品をまとめてみました。 I've summarized a piece of free.
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#怪異譚

竜雷時雨

竜雷時雨

 通筋町を南北に流れる、近衛湖疎水を歩いていた時のことだ。
 その日は朝から針のように細い雨がしきり降っていて、薄い窓ガラスを刺すように叩いた。
私は雨の日は必ず午前中の講義を休むことにしている。そうして、ぼんやりと疎水を沿って歩いて散歩を楽しむ。それが無趣味な私の数少ない楽しみだった。
そうして、ぼんやりと傘をさして雨道を歩いていると、不意に疎水の中を泳ぐ何かが見えた。立ち止まり、目を凝らすと、

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異端紫眼

異端紫眼

 幼い頃、祖母の家で遊んでいた私は手鏡を割ってしまい、砕けたガラスの欠片によって左目を失った。
 あまりに幼かったので、私自身は何も覚えていない。

 指で瞼の内に触れると、乾いた肉の感触だけが返ってくる。眼窩の中には何もない。時折、乾いた肉が痒くなることがある。そっと指を入れ、優しく掻くと奇妙な気持ちになった。
 ありもしない、左目でしか視えないものがある。
 それは決まって、鏡の中に棲んでいた

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山神蓮花

山神蓮花

 今から三年ほど前のことだ。
 当時、私は熊本県の某中学校の教師をしていた。
 私が赴任したのは宮崎県にほど近い片田舎で、全校生徒の数が百人にも満たない小さな学校だった。
 東京で生まれ育った私にとって九州に引っ越すことは不安に満ちたものだったが、村の人々は余所者の私にとてもよくしてくれた。炊事の不慣れな私に食事を差し入れてくれたり、近所での会合に誘ってくれるなど、細やかな心遣いが本当に嬉しかった

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仇暮討士

仇暮討士

 姉のいる座敷に近づく時には、必ず白い狗の面をつけなければいけない。
 それは私が物心ついた時から、亡き母に厳しく言い付けられていたことだ。
 面は紙製の鼻の尖った狗で、どことなく狐のようにも見えなくもない。口の部分が僅かに開いていて、そこから鋭い犬歯が覗く。古く、もう十年以上この面を使ってきた。
 面を被ると、視界が急に狭く、息苦しくなる。自分の息が顔に当たって不快だ。
 薄暗く長い廊下を照らす

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骨喰朽歯

骨喰朽歯

 私が生まれ育った町は炭坑の町として知られ、また大規模な炭鉱事故があったということで歴史に名を刻んでいる。ご存知の方も多いかもしれぬ。
 私が幼い頃には、既に炭坑は閉山し、炭坑夫だった人たちの殆どが町を離れてしまっていた。なので、私が事故のことを知ったたのは中学生にあがった頃だった。誰かに聞いたのではなく、私はたまたま他県の図書館でその資料を発見したのだ。
 今思えば、学校で勉強していたとしてもお

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幽黄昏迷

幽黄昏迷

 私の家は経済的に裕福な方ではなく、大学は奨学金を利用してなんとか入ることが出来たが、生活費はすべてアルバイトで稼ぐしかなかった。
 バイトの掛け持ちは当たり前、大学にいない時間の殆どがバイトで費やされた。大学生というと遊んでばかりというイメージがあるだろうが、私はその例に漏れるという苦学生だった。
 アルバイトの中でも特に時給がよかったのが居酒屋のバイトで、厨房で準社員なみの働きをしていたのでそ

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怨荒残仇

怨荒残仇

 気がつけば、見知らぬ天井を眺めていた。天井には黒い染みのようなものが斑に浮かんでいて、ひどく気味が悪い。頭がぼんやりとして、それ以上のことはなにも感じなかった。
 しばらくして、此処はどこだろうか、と思う。
 顔を横に動かすと、窓の外には殺風景な景色が広がっていて、なんだかとても寒々しかった。視線を動かすと、傍らには箱形の機械があって、俺の脈拍や血圧を測っているらしかった。
 ああ、ここは病院だ

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箱洩穢呪

箱洩穢呪

 クラスメイトの虻川千尋が苛められていたことを知らない生徒はいない。いや、生徒だけでなく教師陣の中にも知らない者はいなかったろう。それほどまでに虻川千尋への苛めは一般的なものであり、もはやそれは日常の一部だったといっていいだろう。
 話を聞いた限り、苛めの度合いは加速度的に凄惨さを増し、躊躇が消え、苛烈を極めた。話を聞いているだけでも気が滅入るほどだ。私は思わず依頼人に対して「下衆が」と口汚く罵っ

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自殺団地

自殺団地

 新年を迎えた私に押し付けられたのは、とある公営団地の後処理だった。
 美嚢の県営団地は高度経済成長期には二千五百世帯が暮らし、市の財政の殆どを担っていたが、石炭の需要が減り始めると住民の流出が始まり、世帯数は減少し続け、鉱山の閉山と共に殆どの住民が越していったのだ。
 しかし、中には引っ越す先のない人々もおり、現在もまだ二十世帯程度の入居者が残っている。取り壊すべきだという声もあったのだが、仮に

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猫飢餓渇

猫飢餓渇

 今日一日、一度もキーを叩くことのできなかったパソコンを暗鬱な気分で閉じる。痛む目頭を押さえ、こぼす溜め息は自分でも嫌になるほど重かった。
 作家になるという夢を叶えて、三年。処女作でそれなりに知名度を得たが、それきり小説が書けなくなってしまった。期待に応えたい、そう思えば思うほどに頭の中は強張り、指先は動かなくなった。
 苛立と不安が日々、降り積もっていく。それは私の腹の中身を灼き、じりじりと焦

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月下鳥葬

月下鳥葬

 薄いガラスの窓を、尖った雨が叩く音で目が覚めた。
 顔に落ちた髪を耳の後ろにかけて、私は枕元の携帯電話に手を伸ばす。時間はもう昼をとうに回っている頃合いで、なんだか急に一日のやる気がなくなってしまったような気がした。
「ああもう。寝すぎた」
 携帯を適当に放り投げ、残り半日しかない休日をどう過ごそうかと思案する。あの子供のように手のかかる恋人と別れたりしなければ、今日も予定が詰まっていたのだろう

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夜師葬送

夜師葬送

 山の稜線に陽が沈む頃、ようやく私は目的の駅へと辿り着いた。
 木製の古い駅舎は無人駅らしく、改札はおろか駅前にすら人影ひとつ見当たらない。
 バス停の時刻表を見てみると、一日にたった二便しか運行していないらしく、すでに運行時間を終えてしまっている。どうやら目的地まで徒歩で向かうしかないらしい。
 ここで立ち止まっていても仕方がない。
 私は鞄を手に取り、電灯を灯し始めた駅舎をひとり後にした。
 

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