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【8000文字】インターネットに巣食っている(空くっている)すべてのメンヘラよ、『無境界』を読もう

※空くっている……「飽きている」的な意味で使用。巣食っているの方は……説明不要でしょう。寧ろ自分か身の回りの他人を救ってくれ。

 ※この文章は大学でほとんど勉強もせず、それどころか受験勉強ですらまともにこなせなかった人間の、特定の学問、特に心理学や哲学に対する偏見が満ち溢れています。まかり間違っても、大マジに捉えないでください。また、荒れられても困るので学歴や偏差値の話題は意図的に出しません。マウント取ったり取られたりも、単なるポジショントークになるのも嫌なので。

※斜に構え過ぎて青春を浪費し尽くした人間の戯言。

 はじめに断っておくが、私は哲学とか心理学とか、所謂”虚学”(大雑把に言うのならば”役に立たないとか実用的でない”学問のコト)に拭いきれない抵抗意識を覚えている。文学とか数学は、まあ、ちょっと方向性が違うかもしれない。まだある種「教養」とか「才知」として見ることが出来るから。

 なんだろう、哲学とか心理学って、高尚なハイソ気取り、というか。
取り敢えずわけわからん事大量に並びたてて攪乱して煙に巻くみたいな印象が拭えないんですよね。最後まで読んでも「……で?」ってなるっていう。

 哲学や心理学を専攻している方には申し訳ないんですけど、こういった人種に「役に立たないじゃん」っていうと、「役に立たないからいいんだ」、(思索が私の宇宙せかいを広げてくれるんだ)みたいなことを馬鹿の一つ覚えのように言う(ことが多い)のですが、これがまた同語反復トートロジーになっていて、まるっきり理由になってないしなんなら何も言っていない。

 はっきし言って中高とかで遊び惚けていた人間が哲学書とか思想書とかを急に手に取って「知った気にな」る(或いは、これはもっと最悪だが、「~~分で分かる! てつがくしょ」みたいな本とか最近謎の流行を見せているwikiをコピペしたみたいなまとめ動画サイトとかで「分かった」「気になる」)ことは極めて危険、どころか滑稽そのものとまでも言えるだろう。頭の良い人が描いた本とか提唱した理論を知った気になって自分も頭が良くなった気になる、マジで最悪なパターンだと思います。思想かぶれ、海外かぶれと併発するとより深刻かもしれません。……原書で読むとか嘘だろう。

 
 これはよく言われるのだが、「寧ろ君ってそっち側の人間じゃない?」的な台詞。不適合度が高そうだから言われるのかもしれないが、哲学や心理学に傾倒していそうな印象を私は人に与えているらしい。はっきし言って心外である。いや侵害か。通っていた高校は放任主義で(だから成績も落ちた)進路相談のようなものもなく、適当なやりたいことも学びたいこともなかったのだが、そんなときに哲学科か心理学科を勧められたのだが……、全力でお断りした。不適合に不適合を重ねて何になるというのだ、という思いもあった。理学部惑星学科とか文学部哲学科とか経営学部とか言って何すんだとか思った。

 そんな、〈役に立たないもの〉には謎の抵抗意識というか反抗意識みたいなものが根強く自分の中にある。
 

 そのなかでも、とにもかくにも、嫌い、というか忌避感があるのだ、哲学と心理学、この二つには。

 これは勘違いしないで欲しいのだが、哲学心理学そのもの、たとえばアリストテレスとかキルケゴールとかニーチェとかフロイトとかユングとかアドラー(嫌われる勇気、流行ったなぁ) とか、その人たちの「思想」とか「哲学」、考え方や思考法が嫌いと言っているのではない。寧ろ創作物の中でそういった心理学転哲学要素が出てくると胸躍る人なので、あくまで「抵抗」を覚えているのはその学問体系そのものについてなのだろう(言語化が難しい、つまりは学問の在り方自体が、究極的に言ってしまえば「学ぼうとしている奴らが気に食わない、ということか?」)

 まあ、頭ごなしに否定するのも何なので、大学に入ったら『純粋理性批判』は読んでねーとか倫理の教諭に言われていたような記憶もあったし、まあ試しに読んで見るかー的な感じでいくつか思想書の類いを読んで見たわけですね、インテリ気取りな暇な大学生が昼下がりの喫茶店で気取ってするような岩波文庫系読書を(普通に家で読んだけど)。

 何冊か読んだのだけれど、マジで苦痛でした。面白くないし、端的に言って意味不明。というか言っていることが本当に理解できない、概形ですら掴みかねるといった感じで、「専攻でもないのにこんなものを読んでなんの意味があったんだろう」なんて小一時間考えたりした。『死に至る病』とか『プロ倫』はまあギリ読んで思うところもあったが、他は大体途中で投げるか「読んだことそれ自体」を自慢するくらいにしか使い道がなかった。三大奇書+α読んだことを自慢するみたいな。心理学の方は本屋で売っている胡散臭いメンタル系の本に引っかかるレベルの愚鈍では流石にないのでそれらをスルーし何冊か分集めのを繰ったりしていた。特に精神病理的なやつ(あとは発達心理学とか)を集中的に読んでいた。因みに少しでも心というか神経を鍛えようと読んだのですが余計に病みました。おおっ、メンヘラっぽい。あんましこういうことは言いたくないですが、(私含め)ネットで自分を騙って文章を無為に書き散らしたりするのがストレス解消になっている人間は、その行為そのものが自分を摩耗させることの一端を担っていることに逸早く気付くべきです。(Noteはまだ文章を練る必要があるから微妙だけどあの短文投稿系とかは特にそう)

 加えて心理学は、逆張りが過ぎるというか、「私は○○が嫌いです」と言ったら、本当は好きなのだけれど実は嫌いと言っているんだよ、みたいな議論が平気で罷り通る勝手な印象があって、更には超個的自己とかフロイトの夢分析とか、まあ何と言うんだ、メンタル何とかじゃないけれど、胡散臭い印象がどうしても拭えずにあったわけです。
 
 ……まあそんなわけで心理学の方は輪をかけて訳が分かりませんでした。幼児期の歪みとか、〜〜型統合失調症がどうたらみたいな精神病の分類とか、あとはちょっとズレるかもなのですけど犯罪学に少し興味を持ったりもしました。ロンブローゾの生来型犯罪者説? だっけ、あれなんかサイコパスを連想させられて心躍りましたね。まあでもそのくらいでした。結局人によるんじゃ、とか、考え方は人それぞれ全ては相対的、送ってきた人生があまりにも違う人と「分かり合う」ことは(都会―田舎とか裕福―貧乏とかそういう安易な二項対立の行きを越えて)難しいよねみたいな思考は中学生くらいから代わっていないので、「あなたは変われる! ただし私のサブスクに毎月お金墜としてね」とか「発達障碍者だけど三億円稼いだ件~~」みたいなコンプレックス商法的なやり口には本当に辟易しているのですよ。普通に考えて可笑しい。それは単なる商売自慢だろうと。そんなものに縋る位なら、思考や意識は、脳味噌のシナプスがあれこれしてる電気信号に過ぎないよ、考えても無駄です、レベルの暴論を突き付けられた方がまだ納得できる。 

 自慢ではないが高校の頃、倫理は割かし得意科目だった。だから不得意だから(自分が出来ないから)嫌いというわけでないと思う。そんな科目で高得点とっても何の役にも立たんだろwwwみたいに”実学厨”から草をはやされたが、まるっきりその通りだと思った。こんな科目で89点とか93点取っても何の役にも立ちやしない。因みに本番では失敗した。余計に鬱が悪化した。

 さて、三千文字あまり哲学心理学(系)への鬱憤を吐き出したところで、『無境界』の紹介に移ろうと思う。

 勿論、長ったらしい文章もとい愚痴を展開した理由はちゃんとある。


 それは、『無境界』が、哲学や心理学の類いにこれだけ抵抗意識覚えた(ええいもう言ってしまおう、思いきり馬鹿にしていた人間が初めて感銘を受けた(良いなと思った)思想書だからだ。

 ……。

 これは本当に画期的な著だと思った。

 散逸し、あまりにも拡散してしまった(というか自己啓発系とか瞑想(マインドセット的な奴)まで含めたら何処までが当て嵌まるのかさえ不明瞭な)心理学・哲学の諸形態を一気に纏め上げ(もうこの時点ですでに凄い)、一つの「秩序」として体系立てて、説明して見せるのである。 

 これは私が常々思ってきたことなのだけれど、こういう学問って(ちゃんと学んだことは一度としてありません)、「定義」の揺らぎが激しすぎる。

 たとえば「人間」という言葉を使った時、一個の人を指しているのか、集団としての人を指しているのか、それとも大雑把に人としての在り方や世間での交流そのものを指しているのか……ほとほと不明である。(要するに、どのような文脈で用いているのかが瞬時に判別できかねると言うこと)

 定義が揺らいでいれば言葉尻を捉えていくらでも反論できるし、後だしジャンケン的に、実はこの言葉はこういう文脈で使用したのであって~~みたいなせこい反論が可能になってしまう。議論がまぜっかえされてしまう。

 小学生のとき居ませんでしたか、大富豪とかやってる時うちのローカルルールは~~みたいなことをゲーム始まってから抜かす奴。知らんっつーの。

 本書では、序盤に、意識のスペクトルという概念が登場する。

 まあ、物凄く大雑把に言うのならば、上述したような一見異なっていたり矛盾していたりするように見える(それどころか全く逆のことを言っているように思える)ものは、取り扱っている「段階が違う」だけで本来は一つの同じものを切り取っているに過ぎないのだよ、ということ。雰囲気的には、というか私が図を見て連想したのはマズローの欲求段階(自己実現理論)だった。あれが三角形のピラミッド型で「上」へ行くほど次元が高いのに対し、意識のスペクトルは「下」に行くほど統一意識に近く次元として高い。

 つまりは、同じものを一緒くたに語るからわけが分からなくなるのだよ、ということ。

 これが単純なようで、脳に電気が走るかというくらいに驚いた。そうか、そんなシンプルな解決策があったか、と、目から鱗だった。

 妖しいスピリチュアルとか嵌って龍神様がどうこうとか、何億光年離れたなんとか星雲でうんたらチルドレンがなんたらとか、かと思ったら、瞑想やヨガなどで梵我一如的な感じで審理に至れるのか、はたまた啓発本にありがちな「他人や環境ではなくて自分の見方を変えよう(簡単に変えられたら苦労してねえよと大半の人が思うだろう)」的なものは、まあそれは言及している段階(次元)が違う、それだけのことなのだと問題をダイナミックに一元化して見せる。
 
 段階……それらは仮面(ペルソナ)、精神分析、有機体全体、果てはユン儀心理学の集合的無意識(オタク系作品でめちゃ出るやつ)とか大乗仏教のような個を越えた宗教まで……それらを一つの図に綺麗に纏めて見せる。

 本書は、けして極論に走ってはいない。いや極論には見えるのだが、それを現実的な問題に落とし込むのが抜群に巧い。

 確かに本作で展開される自己/非自己の境界が幻想であるという主張、果ては過去や未来は存在しない、永遠の「現在」があるだけといったダイナミック過ぎる主張には初めの内はやや抵抗を覚えるものかもしれない。

 だが本書は、巧妙なレトリックや複雑な言語を弄することなく、(そもそも、言語は境界の最たるものとされている)身近な(ある意味卑近な)例を個別具体的に挙げ、非常に〈わかりやすく〉『無境界』の思想を解説してくれる。 

 〈わたし〉なんてものは存在しない、滅私みたいな虚無を感じる思想や、こことは別の違う世界が存在する的なぶっとんだ神秘主義的的な路線に走ってたり振り切れているわけでもない。あるいは禅やヨガ的な修行によって「何か」に達しようとするような苦行をも「より苦痛が増すだけ」と切って捨てている。

 あくまで地に足の着いた、そして現在への鋭利さを含んだ、自己/非自己の境界を克服するどこまでも透徹とした姿勢。

 正直、読んでいる最中はある種の荒唐無稽ぶりに翻弄されていたが、段々と意識のスペクトルの段階毎に詳しく「自己/非自己」の境界を紐解いていく様……ある意味での謎解き成分はミステリーのようでもあるし、膨大な引用と広範囲の言及はエンタメっぽくもあり、比喩表現の巧みさや軽快な語り口は文学的……とか語っていくと「小説読め」となりそうだが、事実、私は本書を非常に〈おもしろく〉読んだ。事実として、読み味は小難しい思想書というよりも、本当に『面白い小説』に近い。平易な文章でつづられておりあくまで読みやすい。続きが気になり、どんどん読み進みたくなる。こんな思想書・哲学書が「現在」に存在したであろうか。

 これは何処かで小耳に挟んだのですが、メンヘラーな方、特に内向アスペルガーとか自閉的傾向を持つ方(まあ私のことなんですけど)が「思想書」を読むと内省的な思考がより強まり、更に症状が悪化するみたいな言説をネットの何処かで見受けたのですが、私の場合はこの『無境界』を読んで非常にすっきりとさせられました。まあ、少なくとも妙な思想かぶれになることはないと思う。

 かといって一冊目に読んでしまうと、それもそれで勿体ないような気もする。そこらへんは好みの問題かもしれない。

 (というか、私は医者の卵でも臨床心理士志望者でもないので、根拠は薄弱というかこれはただの感想文です。最初にも書きましたが真に受けるな)

 他にも量子力学(位置と運動量を同時に測定できない……境界がない?)とか随意/不随意の観点から〈わたし〉を逆説的に自由に解釈する試みとか、物理学とか人体構造学とか心理学とか様々な領域を飛翔し続け、論を展開し続ける。

 更には「鳥」や「木」といった純粋な概念を見たことがある人間はいないとの議論で、「このページを読んでいるあなたでさえも、本そのものを周囲から隔絶してみることは出来ないであろう」みたいに、メタ的な視点まで説得に用いるのだからもう脱帽である。参りました、納得させられました。

 それから誤解を生みそうな煽情的なタイトルについて。

 多分メンヘラの私に言わせればネットで文章を書き散らしたり他の人の、見知らぬ人間の書いた文章を読んで悦に浸ったりマウントを取っている方々は全員程度の差こそあれメンヘラです(暴論)。普通のことはそういうことはしないようです。というか、世間一般的な尺度からすると結構珍しい趣向だとは思われます。みんなもっと楽しいことしてるよ。

 まず、そんなことをしている時点で……しなきゃいけない時点で……相当な変わり者というか……その異質性ゆえの生きづらさを抱えているのではないのでしょうか。(どっかで読んだ記憶があるのですけれど、ここでいう「内向的」とは、心の在り方の問題で、たとえば引きこもりだとかそういう観点ではなく、「心が閉じている」とでも解釈してください(現に、内向的でも旅行や外出、イベントに出るのが好きな方は多いでしょう、ネット観る限りそう思う))

 メンヘラという言葉はどうも「萌え」とか「エモい」みたく汎用性がやたら高く、無暗に濫用され過ぎているきらいがあるように思われます。特に、HSP(繊細さん)とか、まあこれもある種メンヘラーだと思うのですけれど、そんなこと言ったら日本人程度の差こそあれ全員HSPじゃね? とか私なんかは思ってしまうわけです。発達障害とかみたいにウェクスラー成人知能検査とかで調べられるのならまだしも、あまりにも漠然と過ぎているというか。HSP、「甘えるな」の一言で片付くと思うのですがどうでしょうか? ただ自意識過剰なマイオウンワールド入っちゃっている人間なだけではないのかと懐疑の視線を差し挟みたくなる。
 
 話題が逸れた。

 かく言う私も、今まで思想系とか哲学系とかあるいは何かの気の迷いで購入した「自己啓発系」で煩悶し、本を壁に投げそうになったから分かるのですが、高々一冊化数冊本を読んだりしただけでこれまでの罪悪感がそう簡単に覆るでしょうか? 今までは半ば盲目的にそんなことは有り得ないと信じていたのですが、本書にはある程度、覆されました。「あなたを苦しめているのは他ならぬあなた自身です」「考え方(意識)を変えれば見える世界全てが変わります」みたいな胡散臭い(どころか何の解決にもなっていない)浅ましい解決策を提示する啓発本の類いかと警戒していましたが、そんな卑賎なものとはまるっきり性質を異にする書でした。

 引用を数か所用いるのもアレなので、私が本書で一番気に入った箇所を引用しておきます。


 事実は単純だ。われわれが争いと対立の世界に住んでいるのは、われわれが境界の世界に住んでいるからである。すべての境界が同時に戦線だというところに、人間の置かれた苦しい立場がある。境界が強化されればされるほど、戦いは苦境に陥る。快楽に執着すればするほど、さらに苦痛を恐れなければならない。善を追求すればすればするほど、悪に対する強迫観念が強まる。成功を求めれば求めるほど、失敗を恐怖する。生に執着すればするほど、死はより恐ろしいものになってくる。何かに価値を見出せば見出すほど、その喪失が怖くなる。つまり、われわれが抱えている問題の大半は、境界とそれが生み出す対立の問題なのだ。

 

                    ケン・ウィルバー『無境界』

 
 あやふやで有耶無耶で、捉えどころのない(抑々人によって尺度や抱えている問題が異なりすぎると思われる)哲学や心理学の諸問題、その多くを、「境界」の対立という問題にひとまとめにしたこのシンプルさにこそ、私は惹きつけられたのかもしれない。問題はいつだって単純なのである……。 

 なればこそ、複数の視点や思考、果ては物理学などの他分野の学問にまで膨大な範囲を広げ、諸問題の間を自由に飛翔し分かりやすく見事に纏め上げた本書の在り方こそ、何より『無境界』的であると言えるのかもしれない。(さんざんこねくり回したが恐らく真面にまとめ切れていない)

 最後に付け加えるのなら、著者お薦めの文献や引用文献が詳しく書かれているのも、初心者として有難かった。参照先の書籍もいくつか気になったのがあったので読んでみます。

 もう脳味噌空っぽでアニメ漫画ゲームとかそういう年齢でもないよなと思い高尚な思想書のレビューというか感想のようなものを書いてみましたが、敷居はやはり高いみたいです。全然まとめ切れていた気がしません。ただの感想文です。次は大人しくアニメの感想でも書いときます。

 というかここまで書いていて思ったのですが、心の底から嫌いになっているのなら哲学や心理学の本や知識にたった少しでも傾倒することもないはずなので、どうやら反動形性的に嫌っていたところもあるのかもしれません。現にユングの神秘思想的なやつとかキルケゴールとかの実存主義とかは自分で気になって調べたり読んだりしていたので。どうもまあ、捻くれているみたいです。因みに偉そうに書いてますが、現状九割ほど読んで放置しているので早急に最後まで読みます。

『無境界』、今まで読んだ思想系の本ではぶっちぎりでベストでした。ネットで誰かれ構わず”戦い”を挑んで自爆している方や、自己の在り方や他者との関係に悩んでる方は試しに読んで見ると何かしら得るものもあるかもしれません。

 また、あまりにも間違えていたり見当違いをしていたりする可能性もありすぎるので、心理学・哲学警察の方、特にトランスパーソナル心理学ガチ勢は物申したいことでもありましたらコメント欄の方にでも凸してください。

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