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気まぐれ美少女ゲーム感想vol.10 100点付けた美少女ゲーム『初めての彼女』感想+簡易考察『ノベルゲームの選択肢が持つ可塑性について』



『初めての彼女』 感想

 
 100点

 趣味の悪さと荒さが目立つ単なるNTR作品というよりも、やがて朽ちていく青春の濁ったきらめき、嵐のような激動の日々の中でいつの間にか擦り切れていく喪失を色濃く内包した物語として最高評価を進呈したい。ラストに至る過程が、本当に、素晴らしかったです。

       
 最高に可愛らしくて最低に皮肉的なタイトル。

 「エ●ゲ」であることを逆手に取ったアンチエ●ゲー。

 お上品な悪趣味さと確かな実用性。

 
 逆様言葉を言って気持ちよくなりたいわけではない。なんか、七か月以上もかけてプレイし終わった今もうまく言葉が紡げないのだけれど、想像をはるかに超えてくる作品だった。もう「美少女ゲーム」はやらなくていいんじゃないか。そう思えるほどの何か、凄味みたいなものがあった。何かが終わってしまうときの確たる寂寥と、ほんの一つかみの、「ああ、こんなものか」みたいな呆気のなさ。捉えどころのない空漠。つうか、もう引退しても良い。

『フラテルニテ』や『素晴らしき日々』をクリアしたときにも思ったのだけれど、こういう「エ〇ゲらしくないエ〇ゲ」作品があるから、お約束を丁寧に踏まえた上で丹念にぶち壊してくる作品があるから、時々でも過激な「美少女ゲーム」につい触れたくなるのだと思う。

 この作品においては、美少女ゲーム特有の痛々しさを帯びた語り口や男の理想と欲望を詰め煮詰めた可愛らしいヒロインの造形、「狭い世界」とか揶揄されるご都合主義的な舞台設定が、まったく逆に、別方向に作用する。ある種の信頼できない語り手とでも言うべきか。


自己陶酔もほどほどにせえ。

 なにせ、『初めての彼女(氏)』だ。

 舞い上がりすぎて、状況が見えなくなっている。
 理解が、認識が捩じれてしまっている。
 けれどそれは「美少女ゲーム」を嬉々として受容している他ならぬ私たちにも言えることで、その構造自体が、状況が、何よりも本作の物語へ重すぎる説得力を与えている。暗い影を落としている。

 いつまでもふわふわした抽象論に終始してもアレなのでパッとプレイして分かるこの作品の良さを上げるのならば、まずそれは肌理細やかな演出だろう。ブラーをかけた背景だったり、シーンの全体絵の魅せ方だったり、衣擦れの音だったり、敢えての無音の場面だったり。そういった細やかな、繊細とも言える作り。鬼畜なシナリオを裏から支えているのは優しさとも取れるUIや画面作りなのだ。

 独特の没入感がある。ついつい続きを読んでしまう。

 それがまず印象的だった。

 なかでも、立ち絵の演出の妙が素晴らしい。

 特に素晴らしかった、というか衝撃を受けたのは、主人公√の終盤で、秋乃ちゃんの外見の変化を

「彼女は変わった」

いやマジで誰……。

              みたいな言葉で表現するのではなく、いきなり断りもなく、どーん、と立ち絵にして表示してくるシーンだ。誰? と一瞬思い、声とはっと気づき、二段構えの驚きを味わった。

 これは小説では難しい。かといって映画や漫画などの他媒体でも同様の効果を生むかどうか。ノベルゲームを文章、音楽、画像、スクリプトその他演出等が渾然一体となって紡ぎ出される、ある種総合芸術として捉えるのならば、本作はかなり理想形に肉薄していると感じる。

 主人公も読者もショック。二重のショック。シナリオに説明なんて必要ない。説明不足とか描写不足とか喚くのは読者の甘えか。話に説得力を持たせるのは圧倒的な視覚根拠……。

 書き割りで、
 秋乃 と表示された瞬間は「うわあああお前マジか……ぁ」となった。

 ノベルゲの演出、というか書き割り形式を活かしすぎ。

 まさしくノベルゲームのヴィジュアル面をフルに生かした素晴らしすぎる演出だった。複雑なことは何もしていない、読者に断りを入れずにヒロインの立ち絵をがらりと変えて、書き割りであとから 秋乃 と示すだけだ。
 なのに、いやだからこそ、すごい。ここだけで95点以上は確定したようなものだった。有体に言って本当にショックだもの。

 入れ替わりとか多重人格とか時系列弄りとか「実は親子(兄弟姉妹)でした」みたいな、二束三文のミステリで飽きるほど見たしょーもなさすぎる叙述トリックやミスリードよりもよっぽど作中でしっかりと機能している。効果を生んでいる。

 色っぽいし。

 また、ヒロイン・秋乃ちゃんがゆっくりとしかし着実に堕していく様を、演技の細かな変化、金銭感覚の崩壊、甘ったるく変化する語尾、日常の何気ないシーンなどでじわじわと表現してくる筆力と描写力にも感歎させられた。全体的に丁寧だなぁ。延々と前戯するエ●ゲみたいな感じ(意味不明)。

 ワンコインでさえ渋ってたのに数千円くらい別に、とか言い始めたり最後は「お買い物楽し~」とかだらしない売●顔晒しながらブランド買い漁ったりする様は胸糞とか通り越して本当に見ていて痛々しいというか、人間の根源的な嫌悪感刺激してくる感じがしました。

 雪宮さん、あなた気が付いていないけれど、ほぼ登場人物全員からドン引かれてますよ。

 いや、しかし、これはどこまでも、やがて訪れる崩落への「過程」を楽しめるゲームだ。NTR作品と言うとなんか瞬間最大風速的な、ある種ギャグマンガだとかギャップ萌えだとか、一発芸的な(ファストな)面白さが求められている気がするのだけれど、この作品は、心理の機微やヒロインの生い立ち描写、主人公—ヒロイン—間男、に留まらない周囲の人々の反応をも丁寧に描いている。

 舞い上がった主人公(ヒロインもか?)を茶化すように異化した(活かした)うえでの、二段構えの衝撃。


サブヒロインではなく女友達のこの子の立場とか最高でした。出番は少ないが、正しく名脇役。

 というか、何度でも言うがこの作品はNTR作品にしては本当に過程が上手い。というか、事実としての結果(寝取られ)よりも堕ちていくまでの過程の方に重心が置かれていると言える。借金まみれの片親家庭育ちで大学休学中のヒロインが下底の風●店で働くことを選び、段々と世俗の垢に塗れ、憧れや理想、純粋さを段々と、いや、着実に、喪っていく。
 
 心理の機微を抉り出すのも巧いが、そういった「いつか消えていってしまう切実な感覚」をちゃんと美少女ゲームという媒体で、しかもかなり過酷な状況で書いてくれたのが素晴らしかった。

 凄まじいカタストロフはあるものの、途中の過程は途轍もなくロマンチックだ。ずっと憧れていた初恋の女の子と再会し、勢いで想いを伝え、純潔を捧げ合い、誕生日が同じだとか名前の由来だとか、そういった奥ゆかしい共通点やもう帰れない過去へと郷愁の念を馳せる。ここだけ見ると普通のエ●ゲみたいで、いや、普通のエ●ゲ状況から真っ逆さまに落下していくのが本作の魅力なのか。結ばれた状態から壊れていくのだもの。人間関係って儚い。

 たかが一読者が言いきってしまうようで恐縮だけど、この作品における風俗堕ちや浮気、ビッチ化、寝取られなんてのは「あくまで」おまけみたいなもので、真に私の琴線に触れたのは、自分の裡にある理想を純化し美化し、他者に押し付け投影し、その当然の結果として惨めに敗れ去る様を、綺麗ごと抜きで克明に抉り描き出したその一点にあるのではないか。

故に凄まじい喪失感。

 重厚な青春NTRアドベンチャーと銘打つだけは本当にある。というかありすぎる。

 風俗での唐突な出逢いから始まった華やかな青春の撤退戦は、風俗街のネオンのように色鮮やかで歪な関係を経て、やがて色褪せ壊れゆき、どうしようもない悔悟や喪失感みたいなものを抱えたまま、どこまでも透徹とした、罅割れた、つまらない灰色の現実への着地を果たした。

 最後には何よりも、自分の好きだった『雪宮さん』がもうこの世の何処にもいないという事実が重くのしかかった。

 世界が、暗い。

 シンプルな表現過ぎて好きだよ。

 辛いねぇ。いや、この主人公は中高ずっと片思いし続けた女の子が誕生日に他の男に寝取られされるところを目撃するとか重すぎだけれども……。辛ぁい。進学校で学歴モンスターになってた方がマシだったかも。

 『初めての彼女』との夢のような日々から脱却し(させられ)、普通とは言い難いが、それでもなお執着を捨てきれない主人公に救いはあるのか。まあどう考えてもないのだけれど、現実に明快な正解や不正解などなくて、ましてや正しい選択肢なんてものは最初から存在せず、世界は醜く、だから主人公もヒロインも正しい。いや、確実に不幸ではあるけど。しかしそういった事実を受け入れることが紛れもない子どもから大人への成長。だと思う。多分。

 にしてもこのゲーム、今書いていて気が付いたけれどなんかもう、「美少女ゲーム」へのアンサーじゃないか? ヒロインとの歪な関係性の解体(正常な関係?)もそうだが、今気が付いたこととして、「美少女ゲーム」は思い出を噛み締めるかのように最初から一定時期をくり貫いているか、或いは過去や未来の想い出に入り浸る作品が多い。

 この作品の本当に素晴らしいところ、それは過去を徒に美化し感傷に浸ることもなく、いつか必ず褪せていく現在の尊さを説くのでもなく(それは小学生くらいで弁えるべき)、やがて現実と理想とのどうしようもない狭間に埋もれ無惨に散ってゆく無様さを、真正面から描いたことだと思う。深読みのし過ぎかなあ。それ故に凄まじい喪失感。虚脱感がある。何処にも逃げ場がないのだもの。

 オタクの醜い欲望とそれに伴う理想を丁寧に解体せしめる作品。

 とにかく、ここまで心を動かされるとは。

 灰色の、ブラーがかかった日々がいつか時間によって望む望まずに関わらず癒え笑える日が来るとイイですね。

 思春期の一定時期にしか感ぜられない、心がやせ細るような無力感。二度と這い上がれない渕に滑り落ちたかのような絶望感。一歩先冴え不鮮明で頼り名いない将来への無際限の不安と周囲との軋轢。それらを取り巻く確固たる色と熱を持った渦巻く感情。それを一時でも思い出させてくれたというだけでこの作品は私にとって素晴らしかった。やはり創作は現実と地続きの、現実に依拠した何かがなければ力を持たないのだと思う。

 読後(主人公√、秋乃√)、郷愁感と喪失感が入り混じり、何か一つの感情が色褪せ砕け散る瞬間の硝子細工みたいな、異性(他者)への身勝手な憧れを夜の闇に塗り込めたみたいな。
そんな奇妙な感慨を抱きました。

 雪宮秋乃の、アブノーマルな○●○○の刺激をガムに譬える述懐。

 そのような「刺激」を求めて「美少女ゲーム」に伸ばした私としては、なんかもう、参りましたの白旗を上げたくなった。雪宮秋乃、存在自体がアンチ・エ●ゲー・ヒロイン、みたいなところ……ある。

 と、これまで長々と文章なのかよくわからないものをつらつらと書いてきたのだが、これらは概ねメインストーリーである「憲秋√」、「秋乃√」に関するものである。

 ラストに解放される自暴自棄√。

 正直これについてはまだ消化が出来ていない。未だかつて、こんな選択をしたヒロインがいただろうか。シンプルに心が痛い、です。


 “徹底的に汚れてしまえば、迷わずにも済むのに”

 

 また最後に画面上の工夫へ言及。メタ的な、というと穿ちすぎかもしれないが、本作の画面は黒を基調とした全体的にシックな落ち着いた感じで、どこか回想調というか、ぼんやりと画面全体に物語を投影しているかのような雰囲気がある。これが独特の没入感を生んでいるのかもしれない。


誤字脱字衍字が多いのだけは、少し残念だった。


 “まるで今この瞬間でさえもあとから思い描いた瞬間なのだ“、というような、淡い記憶の儚さを感じ取ったのだけれど、それはまあ深読みのし過ぎというものでしょう。 

 文が躍ってますがこの作品、綺麗ごと抜きで暗く沈む作品ばかりを狙い撃ちで好んでいる私には本当に誇張抜きで最高でした。100点。とにかくこの作品に巡り合えただけでも美少女ゲームやってた甲斐はあった。そう思えるだけの何かがこの作品には確かにありました。本当によかったですよ。

 最高の美少女ゲームでした。100点!!!!!!! 

 



 記念すべき10回目なのでノベルゲームに関する論考(笑)を認めました↓

簡易考察『ノベルゲームの選択肢が持つ可塑性について』(又は『初めての彼女』感想補遺)



選択肢は一度だけです。


 ノベルゲームにおける選択肢ってある種の「救済措置」だと思うんです。
 

 叶わなかった願いや有り得なかった可能性を本編の中でifという形で巧みに補完し配置し、プレイヤーの脳内で物語の空洞を埋めてもらう。選ばれなかったり報われなかったりしたヒロインや登場人物を「助け」るためにも、ひいては読者の満足度を十全に近づけるためにも、これは必要な仕組みだと思っています。某一番売れた美少女ゲームがリメイク版でシーンと引き換えにしてでも作品の顔と言ってもいい青い子のグランドエンドを追加したのはそういう意味合いがあったのかもしれない。実際あのENDは世界が灰燼に帰したとしても記憶の片隅にだけ残りそうな美しい魂の風景だと思いますが。

 

 『初めての彼女』の最終ルート「自暴自棄√」(何だこの√名)は、そんな救済に真っ向からつばを吐きかけた、というか、残酷なまでに「救いなんて、ない」(あってはいけない)を体現した作品だと思います。だから今のところ選択肢の持つ可塑性を破棄し塗りつぶしたというその一点において(ノベルゲームひいては主人公とヒロインの関係性の関数を描き出す美少女ゲームを臨界点で見事に再定義したという点で)最高評価。主人公もヒロインも愚かなんですけど、善人なんですよね。それが、どんな選択をしても報われないどころか本筋(主人公&ヒロイン視点√)よりも最悪な結果へと収斂してしまう。前向きな選択も、果断な行動も、全てが裏目に出てしまう。

 あまりにも現実的過ぎる。

 そう、ifは「救い」なんです。最近リメイクされた吸血鬼のお姫様も言ってました。救いがある気がするから好きだな、と。自分の中に、空想の隙間に「在り得たかもしれない可能性」を惨めに残しておけるというただそれだけの一点において、本棚の隙間に挟まった古びた朽ちかけの栞のような残骸だとしても、やはりそれは美しい。

 が、なんなのでしょうか、この毒々しいまでの禍々しい作品が放つラストのどうしようもなさは。どのルートも本当に呆気なく、というかスイッチをターンオフするかのごとく物語を切ってしまうのですよね。最悪の余韻すらも残さずに。

 主人公やヒロインはあの後、どうなるのか(数日後432してもなんらおかしくはない精神状態と思う)すらも感じさせず、続きなんてなく、マラソンのゴールテープを切るように作品の最期にENDマークを刻み残すようなこともせず、この作品は徹底的なまでの、そう、「どうしてこんなことに」的なやるせなさだけを置き残していく。砕け散った想いさえも灰色の中に消し去りながら。

 けっきょく、人は一度切りの個人の人生を生きるしかないわけですが、抱えている懊悩や幸福や心理や後悔なんてものはその人個人にしか推し量れないわけで、人は誰も一人で、ただそう言うことをいちいち感じてしまう人に寄りそえるような物語が、一度きりのどこまでも孤独な物語に優しい「もし」をやんわりと添えてくれる媒体が、まさしく選択肢と言う可能性を秘めたノベルゲームなのかなと思います(これ考察じゃなくてエッセイじゃね)
 


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