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[ためし読み]『地球の音楽』③

『地球の音楽』(2022年4月発行)にエッセイを寄せた執筆者が登壇するオンライン講座が、東京外国語大学オープンアカデミーで2022年8月から9月かけて、連日3日×3セット(全9回)、開催されました。

講座「地球の音楽(3)」プログラム
■9月6日:カンテ・フラメンコを聴く(川上茂信)
■9月7日:南部アフリカの音楽(松平勇二)
■9月8日:幾重にも織り込まれた歴史(ミャンマーの音楽)(土佐桂子)
各日19:00~20:30、オンラインで開催。

https://tufsoa.jp/course/detail/1576/

この講座に登壇した執筆者のエッセイの冒頭部分を、講座開催順に公開します。

  • 川上茂信「スペイン フラメンコは変化し続ける」

  • 松平勇二・中川裕「ボツワナ カラハリ狩猟採集民グイ人の歌」

  • 土佐桂子「ミャンマー 幾重にも織り込まれた歴史」


Spain スペイン

フラメンコは変化し続ける

川上茂信

フラメンコの確立と展開

 この項ではフラメンコを扱う。と書くと、「またか」とうんざりする人も多いだろう。スペイン各地にそれぞれ特色のある舞踊・音楽があるし、クラシック音楽でも素晴らしい作品がたくさんある。なぜ観光ポスターみたいな「あれ」にスペインを代表させるのか、と。もっともな意見だが、フラメンコにはスペイン代表の看板を背負わされてきた歴史があり、その中で独特の芸術的表現を深化させてきた。以下、その一端を紹介することにするが、主役はカンテ(歌)だ。

 スペイン語の「flamenco」という単語が芸能ジャンルを意味して使われた記録は1847年に遡る。19世紀の外国人旅行者は圧倒的にスペイン南部アンダルシア地方を目指し、そこでヒターノ(ジプシー)の踊りを観るのが定番になっていた。ただし演目はセギディーリャなどのスペインで以前から踊られている舞曲で、ヒターノ固有のものではない。また、劇場ではハレオという踊りが人気を博す。外国人の眼差しがフラメンコの形成に果たした役割は決して小さくないが、外から見たエキゾチックなスペインのイメージに対して、スペイン国内では「本物のスペイン」を求める動きが起こる。ところがここでもアンダルシアが主な受け皿になった。

 こういう動きの中でフラメンコの確立に大きな役割を果たしたのがカフェ・カンタンテだ。店内には舞台が設えてあり、歌や踊りが披露された。セギディーリャは踊りから離れて深みのあるセギリージャ(シギリージャ)になり、陽気なハレオは落ち着いたソレアに姿を変えて、カンテの中心的なレパートリーとして確立した。(…)(pp.238-239)



Botswana ボツワナ

カラハリ狩猟採集民グイ人の歌

松平勇二・中川裕

カラハリ狩猟採集民の音楽の謎に迫る

 南部アフリカに住み「ブッシュマン」という俗称で知られてきたカラハリ狩猟採集民の音楽には謎めいた特徴が2つ知られている。1つは、1990年代初期までよく指摘された対位法的な声楽ポリフォニーであり、もう1つは極端に複雑なリズムという通文化的に珍しい特徴である。前者は、対位法とは異質なメカニズムによって実現するいわば表層の「対位法」であることが、1990年代後半にフランスの民族音楽学者エマニュエル・オリヴィエ(Emmanuelle Olivier)の調査によって、ナミビアのクン人の音楽について解明されている。だが、後者については、カラハリを旅行した音楽愛好家による逸話的な観察として極度に複雑なリズムの多用が非公式に知られているに過ぎず、その実相はよく分かっていない。

 彼らの音楽のもう1つの特徴は、楽器が未発達だという点である。彼らはアフリカでは珍しくドラムを持たず、また、そもそも楽器の種類が少なく、楽器の演奏頻度も低い。そのため、彼らの楽器はこれまで注目されることが少なく、それについて知られている事実は乏しい。

 本稿では、ボツワナ共和国のカラハリ狩猟採集民グイ人の歌を取り上げて、特にリズムと楽器について、筆者たちの現地調査から明らかになってきた知見を記す。

歌の言語学的な特徴:言語音のリズムと音楽のリズム

 カラハリ狩猟採集民は、その音楽に上記の珍しい特徴が認められるとともに、その言語にも次のような独特な特徴が観察される。それは、①舌打ちや舌鼓に類似するクリック子音が多用されること、②名詞や動詞など主要な品詞の語根のほとんどが2拍(大まかにいうと日本語ならカナ文字1つが1拍に対応)の要素で、助詞や接辞のような文法的要素の多くが1拍から成ること、③クリック子音は2拍要素の冒頭に集中して頻繁に現れることである。(…)(p.163)



Myanmar ミャンマー

幾重にも織り込まれた歴史

土佐桂子

世界は終わらない(ガバーマチェーブー)

 2021年2月1日国軍がクーデターを起こし、それ以来、多くの市民の人生は激変した。夜間の鍋叩きから始まって、路上デモ、公務員による不服従運動(CDM)に至る抵抗が続き、それに対する激しい弾圧、逮捕が続いた。多くの市民や海外にいるミャンマー人は、これを独裁制に対する「春の革命」と呼んでいる。一方、ミャンマーでは、こうした市民の抵抗や独立運動に、音楽やことばのリズムが固く結びついてきたといえる。

 クーデター直後から、市民抵抗を題材に作られたミュージック・ビデオが、ソーシャルネットワークを通じてシェアされたり、YouTube に上げられたりした。例えば、ミュージシャンのバトゥらによる「血は熱いまま(トェマエイチェ)」、リッエインらによる「我々の闘い(ドゥアイェ)」(https://www.youtube.com/watch?v=PSP1j6TK49M)などのラップで、前者は50万回近く再生されている(https://www.youtube.com/watch?v=3OcIVgpBU3o)。いずれのビデオ・クリップも、今回のデモ画像を多数用いており、短期間でどうやって作ったのか驚くほどの完成度である。

 一方で、最も多くのひとが唄ったのは「ガバーマチェーブー」(作詞:ナインミャンマー)だろう。1988 年の民主化運動時に作られた歌の一つだが、今回軍側の攻撃による犠牲者の葬儀に、多くの市民が集まり、この曲を唄いはじめた。クーデター後テレビ、新聞、雑誌等すべてのメディア・プラットフォームで市民側報道が禁じられるなか、VPNを介したソーシャル・メディアで若者たちの早すぎる死への追悼がこの歌とともに流された。(…)(pp.52-53)



【目次】
prologue
・・・・・橋本雄一

Ⅰ 東南アジア・オセアニア
インドネシア 世界につながったガムランの響き・・・・・青山亨
フィリピン フィリピン音楽の変遷・・・・・山本恭裕
ベトナム いにしえから現代へ・・・・・野平宗弘
カンボジア 革命の歌・・・・・カエプ・ソクンティアロアト(構成・翻訳:上田広美)
ラオス ケーンの響きに導かれて・・・・・菊池陽子
マレーシア 多民族社会の芸能と音楽・・・・・戸加里康子
タイ その存在は音楽に救われている「忘れられそうな他者」・・・・・コースィット・ティップティエンポン
ミャンマー 幾重にも織り込まれた歴史・・・・・土佐桂子
オーストラリア 過去と未来を結ぶ音楽・・・・・山内由理子
メラネシア ファスの伝統音楽とポップス・・・・・栗田博之
ポリネシア ダンスとともにある音楽・・・・・山本真鳥
ミクロネシア 身体を楽器にする・・・・・紺屋あかり
[コラム] ワールドミュージックと東南アジア・・・・・平田晶子

Ⅱ 東アジア
中国 ハルビンのストリートと大河に声を――中国人ハーモニカの“声音”が響く・・・・・橋本雄一
モンゴル 現代に甦る草原の調べ・・・・・山田洋平・髙橋 梢
日本 日本の門付け芸・放浪芸・・・・・友常勉
朝鮮半島/韓国 アリランからK-POP まで・・・・・金富子
台湾 ダイバーシティからコラージュ音楽へ・・・・・谷口龍子
[コラム] 香港カントポップの歴史と現在―鏡としてのポピュラー音楽・・・・・小栗宏太

Ⅲ 南アジア・中央アジア・西アジア・アフリカ
ベンガル 歌こそすべて・・・・・丹羽京子
インド 寂静という音楽――古典に聴く・・・・・水野善文
パキスタン 南アジアとイスラームの文化的融合・・・・・萩田博
中央アジア ブハラ・ユダヤ人の音楽文化・・・・・島田志津夫
イラン 自由を希求する音楽・・・・・佐々木あや乃
トルコ 境域を超えて広がる音楽・・・・・林佳世子
エジプト コプト正教会の典礼音楽・・・・・三代川寛子
セネガル・コンゴ アフリカ音楽によせて・・・・・真島一郎
ボツワナ カラハリ狩猟採集民グイ人の歌・・・・・松平勇二・中川裕
[コラム] イスラムのなかの音楽・・・・・八木久美子

Ⅳ 東ヨーロッパ・中央ヨーロッパ
ロシア ソ連時代の吟遊詩人――詩と音楽の出会い・・・・・沼野恭子
ウクライナ 音が弾んではしゃぎ出す――ウクライナの音楽文化・・・・・前田和泉
チェコ 「ヴルタヴァ」の聴き方・・・・・篠原 琢
ポーランド ロック歌詞と検閲・・・・・森田耕司
ルーマニア 大自然と文化の交差が生んだ音楽・・・・・曽我大介
オーストリア 多様な民族の文化が織り上げたウィーン・オーストリアの音楽・・・・・曽我大介
ドイツ 「ドイツ音楽」の呪縛?・・・・・山口裕之・西岡あかね
[コラム] ユダヤ音楽―多様な音楽文化の交差点・・・・・丸山空大

Ⅴ 西ヨーロッパ・南ヨーロッパ
イギリス グローバルとローカルの音楽・・・・・フィリップ・シートン
フランス ルグランは「雨傘」と「はなればなれに」なっても・・・・・荒原邦博
イタリア  様々な地域から聞こえるラップの響き・・・・・小久保真理江
スペイン フラメンコは変化し続ける・・・・・川上茂信
ポルトガル どこまでも過去に向かう現在・・・・・黒澤直俊
[コラム] ビートルズとデニムジーンズ・・・・・福嶋伸洋

Ⅵ 南北アメリカ
ブラジル “ブラジル音楽”の黎明――ヨーロッパとブラジルの狭間で・・・・・武田千香
キューバ 文学から聞こえてくるソン・・・・・久野量一
カリブ海島嶼地域 マルティニックから谺(こだま)するカオスの音声(おんじょう)――ジャック・クルシルへの手紙・・・・・今福龍太
アメリカ合衆国〈ジャズ編〉 「ジャズ」の現在――映像資料と文献を通して・・・・・加藤雄二
アメリカ合衆国〈ロック編〉 ロックの歴史またはパンデミックしたウィルスについての記憶・・・・・沖内辰郎
[コラム] 音楽の源には吟遊詩人(バラディーア)たちがいる・・・・・今福龍太

epilogue・・・・・山口裕之

【書誌情報】
地球の音楽

[編]山口裕之・橋本雄一
[判・頁]A5判・並製・292頁
[本体]1800円+税
[ISBN]978-4-904575-97-0 C0095
[出版年月日]2022年4月5日発売
[出版社]東京外国語大学出版会

【編者紹介】
山口裕之
(やまぐち ひろゆき)
東京外国語大学教授。専門はドイツ文学・思想、表象文化論、メディア理論、翻訳理論。著書に『ベンヤミンのアレゴリー的思考』(人文書院、2003年)、『映画を見る歴史の天使――あるいはベンヤミンのメディアと神学』(岩波書店、2020年)、翻訳に『ベンヤミン・アンソロジー』(河出文庫、2011年)、フローリアン・イリエス『1913ー20世紀の夏の季節』(河出書房新社、2014年)、イルマ・ラクーザ『ラングザマー――世界文学でたどる旅』(共和国、2016年)、『ベンヤミン メディア・芸術論集』(河出文庫、2021年)などがある。

橋本雄一(はしもと ゆういち)
東京外国語大学准教授。専門は中国近現代文学・植民地社会事情、とくに中国東北地方の文学・文化表象・ネイティヴ思想。共著に『満洲国の文化──中国東北のひとつの時代』(せらび書房、2005年)、『戦争の時代と社会──日露戦争と現代』(青木書店、2005年)、『大連・旅順──歴史ガイドマップ』(大修館書店、2019年)、『「満洲」に渡った朝鮮人たち──写真でたどる記憶と痕跡』(世織書房、2019年)などがある。

※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。


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