[ためし読み]『地球の音楽』③
『地球の音楽』(2022年4月発行)にエッセイを寄せた執筆者が登壇するオンライン講座が、東京外国語大学オープンアカデミーで2022年8月から9月かけて、連日3日×3セット(全9回)、開催されました。
この講座に登壇した執筆者のエッセイの冒頭部分を、講座開催順に公開します。
川上茂信「スペイン フラメンコは変化し続ける」
松平勇二・中川裕「ボツワナ カラハリ狩猟採集民グイ人の歌」
土佐桂子「ミャンマー 幾重にも織り込まれた歴史」
Spain スペイン
フラメンコは変化し続ける
川上茂信
フラメンコの確立と展開
この項ではフラメンコを扱う。と書くと、「またか」とうんざりする人も多いだろう。スペイン各地にそれぞれ特色のある舞踊・音楽があるし、クラシック音楽でも素晴らしい作品がたくさんある。なぜ観光ポスターみたいな「あれ」にスペインを代表させるのか、と。もっともな意見だが、フラメンコにはスペイン代表の看板を背負わされてきた歴史があり、その中で独特の芸術的表現を深化させてきた。以下、その一端を紹介することにするが、主役はカンテ(歌)だ。
スペイン語の「flamenco」という単語が芸能ジャンルを意味して使われた記録は1847年に遡る。19世紀の外国人旅行者は圧倒的にスペイン南部アンダルシア地方を目指し、そこでヒターノ(ジプシー)の踊りを観るのが定番になっていた。ただし演目はセギディーリャなどのスペインで以前から踊られている舞曲で、ヒターノ固有のものではない。また、劇場ではハレオという踊りが人気を博す。外国人の眼差しがフラメンコの形成に果たした役割は決して小さくないが、外から見たエキゾチックなスペインのイメージに対して、スペイン国内では「本物のスペイン」を求める動きが起こる。ところがここでもアンダルシアが主な受け皿になった。
こういう動きの中でフラメンコの確立に大きな役割を果たしたのがカフェ・カンタンテだ。店内には舞台が設えてあり、歌や踊りが披露された。セギディーリャは踊りから離れて深みのあるセギリージャ(シギリージャ)になり、陽気なハレオは落ち着いたソレアに姿を変えて、カンテの中心的なレパートリーとして確立した。(…)(pp.238-239)
Botswana ボツワナ
カラハリ狩猟採集民グイ人の歌
松平勇二・中川裕
カラハリ狩猟採集民の音楽の謎に迫る
南部アフリカに住み「ブッシュマン」という俗称で知られてきたカラハリ狩猟採集民の音楽には謎めいた特徴が2つ知られている。1つは、1990年代初期までよく指摘された対位法的な声楽ポリフォニーであり、もう1つは極端に複雑なリズムという通文化的に珍しい特徴である。前者は、対位法とは異質なメカニズムによって実現するいわば表層の「対位法」であることが、1990年代後半にフランスの民族音楽学者エマニュエル・オリヴィエ(Emmanuelle Olivier)の調査によって、ナミビアのクン人の音楽について解明されている。だが、後者については、カラハリを旅行した音楽愛好家による逸話的な観察として極度に複雑なリズムの多用が非公式に知られているに過ぎず、その実相はよく分かっていない。
彼らの音楽のもう1つの特徴は、楽器が未発達だという点である。彼らはアフリカでは珍しくドラムを持たず、また、そもそも楽器の種類が少なく、楽器の演奏頻度も低い。そのため、彼らの楽器はこれまで注目されることが少なく、それについて知られている事実は乏しい。
本稿では、ボツワナ共和国のカラハリ狩猟採集民グイ人の歌を取り上げて、特にリズムと楽器について、筆者たちの現地調査から明らかになってきた知見を記す。
歌の言語学的な特徴:言語音のリズムと音楽のリズム
カラハリ狩猟採集民は、その音楽に上記の珍しい特徴が認められるとともに、その言語にも次のような独特な特徴が観察される。それは、①舌打ちや舌鼓に類似するクリック子音が多用されること、②名詞や動詞など主要な品詞の語根のほとんどが2拍(大まかにいうと日本語ならカナ文字1つが1拍に対応)の要素で、助詞や接辞のような文法的要素の多くが1拍から成ること、③クリック子音は2拍要素の冒頭に集中して頻繁に現れることである。(…)(p.163)
Myanmar ミャンマー
幾重にも織り込まれた歴史
土佐桂子
世界は終わらない(ガバーマチェーブー)
2021年2月1日国軍がクーデターを起こし、それ以来、多くの市民の人生は激変した。夜間の鍋叩きから始まって、路上デモ、公務員による不服従運動(CDM)に至る抵抗が続き、それに対する激しい弾圧、逮捕が続いた。多くの市民や海外にいるミャンマー人は、これを独裁制に対する「春の革命」と呼んでいる。一方、ミャンマーでは、こうした市民の抵抗や独立運動に、音楽やことばのリズムが固く結びついてきたといえる。
クーデター直後から、市民抵抗を題材に作られたミュージック・ビデオが、ソーシャルネットワークを通じてシェアされたり、YouTube に上げられたりした。例えば、ミュージシャンのバトゥらによる「血は熱いまま(トェマエイチェ)」、リッエインらによる「我々の闘い(ドゥアイェ)」(https://www.youtube.com/watch?v=PSP1j6TK49M)などのラップで、前者は50万回近く再生されている(https://www.youtube.com/watch?v=3OcIVgpBU3o)。いずれのビデオ・クリップも、今回のデモ画像を多数用いており、短期間でどうやって作ったのか驚くほどの完成度である。
一方で、最も多くのひとが唄ったのは「ガバーマチェーブー」(作詞:ナインミャンマー)だろう。1988 年の民主化運動時に作られた歌の一つだが、今回軍側の攻撃による犠牲者の葬儀に、多くの市民が集まり、この曲を唄いはじめた。クーデター後テレビ、新聞、雑誌等すべてのメディア・プラットフォームで市民側報道が禁じられるなか、VPNを介したソーシャル・メディアで若者たちの早すぎる死への追悼がこの歌とともに流された。(…)(pp.52-53)
※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。
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