[ためし読み]『地球の音楽』②
『地球の音楽』(2022年4月発行)にエッセイを寄せた執筆者が登壇するオンライン講座が、東京外国語大学オープンアカデミーで2022年8月から9月かけて、連日3日×3セット(全9回)、開催されました。
この講座に登壇した執筆者のエッセイの冒頭部分を、講座開催順に公開します。
山田洋平・髙橋梢「モンゴル 現代に甦る草原の調べ」
青山亨「インドネシア 世界につながったガムランの響き」
佐々木あや乃「イラン 自由を希求する音楽」
Mongolia モンゴル
現代に甦る草原の調べ
山田洋平・髙橋 梢
モンゴルの文化を代表するものとして、馬頭琴 (モリン・ホール) という楽器の存在は日本でもよく知られている。馬頭琴が登場する『スーホの白い馬』という物語を読んで、草原を駆けるモンゴルの暮らしに想いを馳せたという人も多いのではないだろうか。
モンゴルでは、広大な草原において今も昔ながらの遊牧生活が営まれている。世界各地との往来が盛んになった現代において、モンゴルは外来文化の流入を受け入れる一方で、大切に守り続けられた伝統的な文化もある。日本からはほど近い割にあまり知られていない、音楽好きなモンゴルの姿を紹介しよう。
モンゴル高原のメロディ
大塚勇三再話・赤羽末吉画の絵本『スーホの白い馬』では、主人公の少年スーホが愛馬を失った悲しみから馬頭琴を作り出したことが描かれている。ただ、これはモンゴル各地でそれぞれに伝わってきた、数ある馬頭琴由来譚の一つにすぎない。馬の背中で育つと言われるモンゴルの民が、馬に対する愛を体現するべく、馬頭琴の由来を思い思いの形で語り継いできたのであろう。
馬の頭の形の彫刻を頂部にあしらった擦弦楽器・馬頭琴は、決して民話の世界にだけ登場するような古臭いものではない。今もモンゴル高原で広く愛され、多くの人々に親しまれる極めて身近な楽器である。(…)(p.91)
Indonesia インドネシア
世界につながったガムランの響き
青山亨
ガムランの魅力
インドネシアの音楽から一つだけ取り上げるとすれば、大衆音楽のクロンチョンやダンドゥットの魅力も捨てがたいのだが、やはり伝統音楽のガムランをおいてほかにないだろう。「叩く」という意味の「ガムル」から派生した名前からも分かるように、ガムランは金属製(多くは青銅製)の打楽器を中心とした楽器群の総称であり、その合奏による音楽のことである。ガムラン音楽は今でこそ民族音楽の代表としてつとに知られているが、ここでは、一世紀以上前からすでに世界につながった音楽であったことを見ていきたい。
ガムランが盛んなのはジャワ島の西部と中部、バリ島である。とくに中部ジャワでは16世紀に強大なマタラム王国が生まれ、洗練された宮廷文化のなかで大編成のガムランが発達した。マタラム王国はその後分裂してしまうが、古都スラカルタとジョグジャカルタには今でもあわせて四つの王家があり、宮廷文化を伝承している。他方、山がちの西部ジャワでは小編成のガムランが発達したのに対し、バリではオランダによって20世紀初頭までに王国がすべて滅ぼされ、芸能の担い手が民衆に移り、ガムラン音楽の革新が進んだ点にそれぞれ特徴がある。典型的なジャワのガムランがゆったりとした重厚な響きを持つのに対して、バリのガムランは鋭く稲妻のように煌びやかな響きを持っており、地域によって特色がある。(…)(p.12)
Iran イラン
自由を希求する音楽
佐々木あや乃
2020年10月8日、世界中のイラン人とイラン音楽愛好家の間に衝撃が走った。ペルシア伝統音楽の巨匠の訃報が皆の間を駆け巡ったのである。彼の名はモハンマドレザー・シャジャリヤーン(Moḥammad-reżā Shajariyān, 1940-2020)。2オクターブの音域と超絶技巧タハリール唱法(本声と裏声を交互に使う唱法でウグイス唱法ともいわれる)で知られた歌手である。イラン人の間で多用されているSNS(Telegram)のメッセージスタンプに彼の肖像画があることからもその人気ぶりが窺える。
イランの音楽概観
イスラム前のパルティア(前247-後224)には、ゴーサーン(Gōsān)と呼ばれる吟遊詩人が存在した。詩と音楽はパルティア時代の偉大なる宝であり、イラン系言語では「詩人」と「歌手」を明確に区別する本来語が存在しないので、そのことからわかる通り、パルティア時代の人々にとって既に詩と音楽は永続的に分かちがたいほどに結びついていた。現代ペルシア語では「詩人」と「歌手」には別々の語を使い分けるものの、歌を「歌う」と本を「読む」の動詞部分には同じ語khāndanが用いられる。通常この動詞は「読む」と訳されるが、意図するところは黙読ではなく音読と考えられる。「勉強する(dars khāndan)」という複合動詞においても動詞部分にこの語が用いられ、筆者の留学当時、大学の中庭で本やノートを手に、声に出して読みながら試験に備えていた大勢のイラン人学生の姿と重なる。
ササン朝(226-651)はペルシア音楽の黄金時代である。当時の国教ゾロアスター教の多くの宗教儀式や伝統儀式に音楽は必要不可欠であり、この時代には、ラームティーン[Rāmtīn]、アーザード[Āzād]、バールバド[Bārbad]、バームシャード[Bāmshād]、ナキーサー[Nakīsā]、アーザーデ[Āzādeh]等をはじめとする多くの楽師が輩出された。7世紀中葉にイスラム化した後も、イランから音楽が消えることはなかった。イスラムの聖典『クルアーン』は(…)(p.140)
※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。
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