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映画「50回目のファーストキス」を観て|やさしさとは

すきで何度も観ている映画のうちの1本。ちょっと笑えるラブストーリーを観たくてこれを選んだのに、まさか「やさしさ」について思考することになろうとは思ってもいなかった。

ストーリー

きょう記憶を失っても、あした、あなたに逢いたい
交通事故に遭って以来、「前日のことを全て忘れてしまう」という短期記憶喪失障害を抱えているルーシー。そんな彼女に、水族館で獣医として働くヘンリーが一目惚れし、愛を告白し続ける。
ルーシーは彼の優しさと愛に触れ、毎日恋に落ち、毎日ファーストキスをする。毎日がやり直しの恋。少しずつ進展していくと思われた二人の関係だったが、ルーシーは自分が愛する人の重荷になると思い、別れることを決意する。


考えたこと

  1. 「本当にそれはやさしさなのか?」考えなければならない。

  2. ユーモアはあるに越したことはない。


「本当にそれはやさしさなのか?」


ルーシーが事故によって長期記憶を失ったわけだが、それを不幸に思う父親と弟は、事故のあった日を毎日お膳立てする。
特注の新聞を毎朝置き、父親の誕生日祝いの準備をし、ルーシーに壁にペイントしてもらい、ケーキを食べ、プレゼントの映画を観て、ルーシーの服を洗濯し、明日用のパイナップルを冷凍庫から出し、ペイントされた壁を真っ白に塗り直す。

そしてある日、ルーシーは周りの人が持っている新聞が自分の新聞と違うことに気づき、事故から時が過ぎていることを知り絶望する。

「やさしさ」が自己満足にならないよう、相手のことを本当に想って考えて、相手の期待する「やさしさ」であるか、今一度考えなければならない。
自己満足のやさしさの場合、相手からすれば「そんなこと望んでいない」である。相手に恩着せがましいと思われるようなやさしさや行動は、つまりは不正解だ。他にも良い方法はあっただろうに残念ながらそれは相手にとって不正解。
自分がされて嬉しいことは相手もされて嬉しいに違いない、というのはとんだ勘違いである。思考が固いのである。相手の望む、相手の喜ぶ「やさしさ」や「行動」をするためには、柔軟な思考が要される。ついでに、不可能と思われることを可能にする方法を模索し試行錯誤し続ける力も求められることは言うまでもない。
ちなみにルーシーがヘンリーの負担になりたくないと別れを告げたことは、自己犠牲と自己満足のやさしさに近いと思う。スパイスにはなっただろうが。


ユーモアはあるに越したことはない。

ヘンリーのようにユーモアのある人といれば、どんな不幸も災難も笑いに変えながら一緒に前を見ながら進んでいける。
ルーシーが「初めてのキスって最高!」と毎日言うことに対して「昨日もそう言ってたよ」と返すシーンや、車のバッテリーが切れて感電したふりをするシーンなんかがまさにそうだ。



一緒に共に生きるならば、心より愛し、本当の優しさを持ち、ユーモアもあり、柔軟な思考力を持って取り組んでいける、そういう人がいいのだろう。

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