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社会人博士のこと(3) 博士のお値段ハウマッチ

「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ!」のタイトルコールが頭をよぎったあなたはきっと同世代。

博士課程に進学する、と人に話したとき、質問があるとすると動機が多く、研究内容はその次かという印象だ。それほど多くはないが、金銭面について質問を受けることがあり、そういう人は往々にしてご自身でも社会人博士の道を検討されていたりする。お金の話は重要だ。ここでちょっと思いつくままに書き下してみたい。


支出①:学費

まずは何をおいても学費だ。社会人博士を目指す方の多くは、社会人としての収入ないし貯蓄から学費を工面される方向なのだろうと思う。時おり、「会社が負担してくれるのではないのですか」というご質問をいただくが、私の所属する会社は残念ながらそうなっていない。そういう職場もあるのかもしれない。

日本の事例しかわからないが、大学院前期課程、つまり修士課程に比べると学費は安いというのが通例のようだ。私の通った私立大学では、修士課程が年間約110万円の学費であるのに比べ、博士課程では年間70万円ほどであった。国立だとこれより安く、50万円台のはずだ。私は結局4年半在籍したが、まる3年を経過して以降は論文指導料という費目の学費が年間およそ16万円ほどとなった。このあたり、大学によっていろいろ違いそうな気がする。そんなわけで、支払った学費はトータルで約240万円ほどとなる。

よく指摘されることだが、日本国外の大学院では、在籍して研究員として働くことで(それを労働とみなして)給与が発生する場合がかなり多いようだ。また学費自体もこんなにかからない。そのことで大学に長く在籍し、6年や8年などのスパンで研究する人を実際に目にする。もちろん労働と考えられるからにはパフォーマンスが悪ければ残れない仕組みである、と私は理解しているが、そのあたりも大学によりけりで温度差はあるだろう。詳しく考察している記事をいくつかお見かけしたのでご参考に。

というわけで、最寄りの篤志家がいないほとんどの社会人博士の人々は給与所得からこれを払ってゆく形になる。私は子供の学費が発生する前段階だったのでそことのダブルパンチという形は防げたが、子育てと論文というのは相性があまり良くなく、時間の捻出がなかなか大きな課題だった。

支出②:研究に関する諸々

活動していて大きな出費の一つといえば論文掲載料だ。D論に至るまでにはジャーナル論文を数本投稿し、いわば外界での実力証明を以て本編に挑む、という形になっている。このジャーナル論文は投稿から査読まで基本的に無償で進められるが、最後に採録となって掲載される際にフィーが発生し、これがけっこう高い。国際的に名のあるジャーナルなら数十万かかる(ハゲタカジャーナルの話はここではしないが大きな問題)。これは課程博士であれば所属研究室の予算から出ることが多いのだろう。

そのほか研究にかかる経費、たとえば学会への出張旅費とか、参考文献の購入費は研究予算から支弁されるケースが多いと思われる。が、私はここで意外と持ち出しをあれこれしていた。

ビジネスの世界では、たとえば移動の効率を上げるためにタクシーを使うとか、ちょっと高いけれど利便性の高い航空券を買うということが認められるケースはある。私の場合、その旅費をある基金から支弁しようとしたところ、タクシーはどんな理由であれ対象外、航空券もLCC相当のみ、と最初から決められていて、そこから先は自腹となっていた。

ルールはルールだから、郷に入っては郷に従うものだけれど、この郷が2つあってカルチャーが違うとちょっと困る。学会参加は会社業務の外だよ、ということになると、有給休暇を取るなりなんなりが必要になり、とくに海外学会などとなるとできればサクッと行って帰ってきたい。と思うのだけれど、上記ルールの中で工程を組むとどうしてもスピードが犠牲になる。で、しょうがないここのタクシーは自腹でいくか、というのがちょいちょい発生する。

書籍の購入なんかも、たとえば研究室費用で購入するなら研究室に置いておく書籍にするべきだが、なかなか大学に向かえないから精算もできないし、うーん、いいや自分で買っちゃえ、というのが時々ある。このあたりは将来的に自分の資産として持っておきたいものだから自腹というよりは自己投資だけれど、けっこう高いので気が抜けない。絶版になった書籍を4万で買うとか、どうしても引用が必要な論文を2万で買うとかよくある話なので、なるべく計画的に進めたいものだが、いざ必要性が目の前に迫ると「エイッ!」と自腹でやってしまうことはちょくちょくあった。


収入①:プロジェクト

修士から進学した、いわゆる「持ち上がり」の博士学生の場合は学振などの研究費を得たり、ティーチングアシスタントなど学内の業務で収入を得る道がある。学振には副業禁止規定があるし、学内のそうした収入も基本的には社会人学生を想定していない。道があるとすれば委託研究などからの収入ということになる。

私の場合は、在学中に大小いくつかのプロジェクトを担当し、そこから給与所得が発生していた。小さいものでは数万円、大きいものになると数十万円。ありがたいことだったけれど、本業の会社は複業NGの文化なので、ここで発生する所得について会社と折衝するのがけっこう大変だった。

収入②:その他

研究領域でやっている内容を、研究として発表する以外に、有償で知見提供してほしいという依頼がくることがある。例えばスポットコンサルティング業務などがそうだ。そうしたサービスを提供しているVisasqやミーミルのようなサイトから話が来ることもあるし、直接ご指名をいただくこともある。

積極的に受注したところで学費全体を賄えるほどの収入にはならないが、何件かこなすことができればまとまった収入につながりうる。このへんも、複業規定との兼ね合いなどあるが、一つの道ではあるだろう。


特典:学生証

主観的には、活動を通じて得られた収入にも増して、学生証の恩恵を感じる機会が本当に多かった。

まずはとにかくソフトウエア。最近のイケてるソフトウエアでアカデミック版が無償のものは多く、この恩恵がすさまじい。ちょっと私の周りで考えただけでも、

あたりはフル活用させてもらったし、Adobeなどのように有償だが大幅に値引きされるものもある。私はプライベートではApple製品を使っているが、こちらもアカデミックだと割引の恩恵が大きい。

そしてその他、学生証ひとつで受けられる優待はそんじょそこらのクレジットカードや福利厚生の比ではない。美術館や博物館は割引。飲食店でも学生証で安くなる店は多く、ラーメン屋などではよく半ライスが無料になったりする。私が助かったもののひとつがカーシェアで、在学中は基本料金が無料になるので大いに活用させていただいた。

めちゃめちゃざっくりした収支

以上をざっくりまとめてみると、

支出① 学費     ▲240万円
支出② 諸経費    ▲ 30万円
収入① プロジェクト他 100万円
収入② その他      10万円
特典: 学生証ほか   プライスレス

みたいな感じであり、現状のシステムで社会人博士として活動することで収支が黒字になるみたいなことは起きていない。

学位を取得してからのキャリアパスも人それぞれで、取ったからといって食べられない「足の裏の米つぶ」的博士号がどんな収支をもたらすかについては何ともいえない。私個人に関して言えば、上記以外に得たものがめちゃめちゃいろいろあるので確実にやってよかったと自己評価しているが、人におすすめするかと言われると「その人がやりたいと思っていれば」という条件を外すことができない。まあ、そんなものだろう。でなければ日本の博士の数はどんどん減っていったりはしないのだ。

そんなわけで、やっぱり学生やるとお金がかかる。意欲のある人にとって、収入源がある状態で学生をやれることは、現状の厳しい博士課程の待遇においては相当なパワーだ。貯蓄や知識、ネットワークなど蓄えたものを持ち込んで博士課程に望むというのは悪くない戦略で、そのことで事態がうまくいくという状況はきっとあるだろう。

となると問題は時間だ、と思えてくるだろうが、よくよく聞いてみると持ち上がりで博士一本でやっている人も、自分の時間すべてを研究に使えているわけではなく、研究室の運営や大学関係の諸行事などあれこれやることがあって、研究に割けた時間は数割だったんじゃないかと振り返る人を何人も見た。隣の芝生は青く見えるが、実際はそんなに違わない、ということはよくある。


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