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【cinema】灼熱

12/24鑑賞。

私にとって、この先興味の尽きない世界各国の諸問題がいくつかあります。第二次大戦中のナチのホロコースト、北アイルランド紛争、ポルポト時代の恐怖政治、チェチェン紛争、オスマントルコ時代のアルメニア人虐殺、中東地域のクルド人排斥問題、そして、旧ユーゴ紛争です。

この映画は、旧ユーゴ紛争の中でも、クロアチアとセルビアの内戦について取り上げていて、1991年(内戦前夜)、2001年(終戦から間もない頃)、2011年(終戦から10数年以上経った現在)と30年に渡って、クロアチアの海岸地域のとある村にフォーカスして、クロアチア人とセルビア人の男女の愛の物語が紡がれています。

混乱するのは、それぞれ時代の違う男女を全て同じ俳優が演じていることです。

1991年、内戦前夜。互いに愛し合っているクロアチア人のイヴァンとセルビア人のイェリナは、混乱が収まるまで首都ザグレブに逃げようとするが、世間はそれを許さなかった…。まだ異民族間の恋愛に関して、寛容な人たちとそうでない人たちが入り混じる中、彼らは追い詰められていく…。

2001年、セルビア人のナターシャは母と内戦で荒れ果てた、かつて住んでいた家に戻ってきた。家を修理してくれるのは、朴訥なクロアチア人青年アンテだが、ナターシャは兄をクロアチア人に殺されたという憎しみで一杯で…。

2011年、ザグレブの大学に通うルカは夏休み、地元の村へ里帰りするも、母とは諍いになる。というのは、村のセルビア人女性マリヤとの間に子どもができるも母に引き裂かれた件があるからで、ルカはマリヤが忘れられない。彼女に会いに行くも拒絶され…。

という3つの物語で構成されています。

内戦終結から20年以上経っているけれど、終わってなんかいない。世界は目まぐるしく変わる。けれど、当事者たちの心の内には、変わらない何かがあって、それが澱みや歪みを生じさせているんだということが、改めてわかりました。

「灼熱」というのには、この地域は、海辺が近くて、ジリジリ照りつける太陽とかいうよりは、ちょっとひんやりするような感覚さえ抱いてしまう。それでも彼らの中には、常に燃えたぎるモノがあって、その炎は消えることはない。そういうふうに感じました。

とにかく、ひたすら悲しい。それを彩る、煽るのが、ところどころに挿入されるバルカンミュージックです。無性に焦燥感、悲壮感を煽られて、心を掻き乱されます。

今から10年前に、クロアチアはドヴロブニクへ訪れたことがあります。街はすっかり観光地の様を呈していましたが、それでもそぞろ歩きをすると、街角の外壁には銃弾の痕はあったし、教会へ入ると内戦で亡くなった人々の夥しい数の写真が祀られ、記帳するノートが置かれていたのを思い出しました。誰も忘れてなんかいない、忘れることなんて絶対にないという強い意志を、部外者でありながら感じ、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

この映画で、ハッとさせられる点がもう一つ。村の中に生きている動物たちの姿です。ヒツジ、ヤギ、イヌ、ネコ。彼らが、まるで人間たちに気を遣って、大丈夫?とでも言うように、ひっそりと動く様が描かれています。それは、とてもさりげないけれど、時にいじらしくなるような感じなのです。

旧ユーゴ紛争をとりあげた映画は、エミール・クストリッツァのものをはじめ、結構な数を見てきましたが、改めて現在の彼らの姿を知る上で、見てよかったと思いました。知った気になっていてはダメだと思い知らされました。

2016年ももう残すところ僅かとなりましたが、まだまだ映画を見続ける私。

感想が未だ30本以上書けていないのが、悔しいですが、駆け足で書けるだけ書いていこうと思います。さー、2016年のマイベスト10決めるのも一仕事だなぁ…

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