【cinema】たかが世界の終わり
2017年16本目。グザヴィエ・ドラン監督作品。
正直申し上げます。「恋のマイアヒ」が流れるシーンまで意識が朦朧としていました。ノマノマイェイ、ノマノマノマイェイ…と爆音が流れて、目覚めた。でもそこからが凄まじい。とにかく目を凝らして全てを見届けた。
あらすじはこうです。
家族とは12年間音信不通だったルイ。今やちょっとした売れっ子作家になっている。そんな彼は、自分が余命いくばくもないことを今回家族に伝えるために実家へ戻ることにする。彼を出迎えたのは、母マルティーヌ、兄アントワーヌ、兄嫁カトリーヌ、そしてあの頃は幼すぎてルイの記憶がほとんどない妹のシュザンヌの4人。皆ルイの帰郷を心待ちに、していた…。
グザヴィエ・ドランはなんだってこんなに人の心をぐわしと掴むんだろう。何てことない家族の会話が、こんなに焦燥感と閉塞感と悲壮感で溢れてしまうのは、彼の力量のほかない。
皆それぞれのかたちで、ルイを愛している。久方ぶりに会う彼の姿に戸惑いを隠せない家族たち。嫌というほど、皆饒舌になる。不必要に。取り繕って。ルイはそれを息苦しく感じ、死ぬことよりこの世の終わりかのように恐れているのだ。
兄はずっと弟にある種の劣等感を感じ続けてきた。長男とはこうあるべきを守り抜こうと自分を抑えて。兄嫁は、義弟に遠慮し、常に敬語でぎこちなく語りかける。唯一のよそ者である彼女は、ルイの本心を読みとってしまう。母マルティーヌ。派手な見かけとは異なり、古風で息子たちに遠慮する。夫を亡くして女手一つで子供たちを育ててきた母は、苦労してきた分、強さと弱さを併せ持ち、子どもたちはそれを敏感に感じ取る。末っ子のシュザンヌ。腕にビッシリと描かれたタトゥーを見ても奔放だというのが見てとれる。記憶にない兄ルイを慕い、長兄アントワーヌに嫌悪感を抱く。
何気ない家族の会話が、こんなに苦しくて、息も詰まりそうなのって、ルイが置かれている立場だから感じるものでもなくて、それぞれが互いを気遣いすぎて、誰もが逃げ場がなくなっている。愛がないわけじゃないのに、それはとても空虚で、且つ暑苦しい。
コミュニケーションの行き違いが、こんなにもドラマチックに、とても寂しく、激しく描かれた映画もないだろうな。
カトリーヌ役のマリオン・コティヤールの着ている服とアイメイクが個人的にツボりました。あの中で誰とも血の繋がりのない彼女は、常に誰かに遠慮して生きてきて、ルイの息苦しさを瞬時に理解した。彼女のその佇まいにとても好感が持てた。
たかが世界の終わり。張りつめた空気の中で、ルイはある覚悟を捨てた。それが彼にとっても、家族にとっても一番だと思ったから。自分の死は、そんなものだと言い聞かせて。
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