なにって、ただ主役の顔に惹かれたのよ。
韓国映画は年に何本か定期的に見る私。
全く同じ題材で邦画なら恐らく見ないのに、なぜ韓国だったら見るのでしょうか。
前に台湾映画「目撃者 闇の中の瞳」を見た時に、邦画を見た時に感じてしまう違和感について少し書きましたが、韓国のだとそれを感じない。かと言って私、韓流ドラマはほとんど見たことがなく(冬ソナとチャングムは見たよ)。どちらかと言うと海外ドラマは英米派、アンチ韓流なのです(ファンの方すみません…)。
韓国映画なら何でもいいってわけでもなく、とにかくテーマや時代背景、自分が知りたいと思うことであるのは重要なんですが、この映画に感じたのは、タイトルのとおり。
ソル・ギョング扮する主役のキム・ビョンスの顔にただただ惹かれた。
「殺人者の記憶法 」
かつて連続殺人を犯した獣医のビョンスは、いまはアルツハイマー病に侵され、記憶がおぼろげになっていく日々を送っていた。あやふやになる記憶への対処のため毎日の出来事を録音する習慣がついていたビョンスは、ある日、偶然出会った男テジュの目つきに、テジュが自分と同じ殺人犯であるという確信を抱く。やがてテジュはビョンスのひとり娘ウンヒのそばをうろつくようになり、ビョンスはひとりでテジュを捕らえようとするのだが……。(映画.comより転記)
このあり得なさそうなストーリーにももちろん惹かれたんですが、それでもやっぱりこのソル・ギョングの顔がいい。この人の顔じゃないと見に行ってないわ。そんなことって、ありませんか?
元獣医で、元連続殺人鬼で、今はアルツハイマー病。んなことあるかいな…!と言いたくなること間違いナシなんだけど、彼の少年時代の回想シーンを経て、なぜ殺人鬼と化したのかもわかり、キム・ナムギル扮する若き連続殺人鬼ミン・テジュとは違うのだということもわかる。だから、変な話、殺人鬼vs殺人鬼なんだが、この元殺人鬼ビョンスをすごく応援したくなってしまう、この矛盾。
加えて、一人娘ウンヒの清楚さと可愛さも相俟って、時にほのぼの感満載になるシーンもありつつ、ビョンスとテジュの攻防の息もつかせぬ展開と、ビョンスの記憶できないという苦悩の渦に、私たち観客は巻き込まれていくのです…。
一体どこまでが真実で、何が上書きされた偽りの記憶なのか。ビョンスの記憶は全て誤りなのか?「心優しき殺人鬼」なんて、いてたまるか、ですが、全力でビョンスに共感し、彼がミンジュに勝つことだけを願いながら見てしまう…。で、何よ、あのラスト…。
この映画には、別バージョンの「殺人者の記憶法:新しい記憶」ってのがあって、それだとオリジナルで未消化になっている箇所を回収していき、全て合点がいくのだとか…。そっちを、そっちを見たいよ。それを最初から見せておくれよ。と言いたいんですが、それでもこちらも面白かった!!
脇役まで含めてですね、全てのキャラが魅力的。ビョンスが詩を(渋々)習いに行くシーンがあって、そこに出てくる先生やら生徒までもキャラが立ってて。強いて言うなら、「敵」であるテジュがミステリアスすぎて、薄っぺらいというか、ビョンスが濃すぎるのか…。顔も含めて、味噌かとんこつvs塩味の闘い…。
はたして、ビョンスは殺人鬼だけど、「悪人」なのか?テジュから言わせると「聖人」気取りかもしれない。殺人を犯すことに意味を持たせるのって、そりゃ自己満足でしかないよね。自分の殺人に使命感を持つビョンスと、殺すこと自体が空虚で「遊び」でしかないテジュ。
とにかく、サスペンスとしても面白いけど、アクションスリラーとしてもなかなかなので、まだ見てない方にも見てほしい!!!
韓流ファンからしたら、今更なにを?って感じかもしれないけど、ソル・ギョング、サイコー!
2018年11本目。シネマート心斎橋にて。
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