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ジェネレーティブ AIの波


「あんたたち、それでいいの?」

上の画像はAIで作り出したイラストです。
女性がビールグラスを持ってこちらを見ている目線はこちらに何かを訴えかけているように見える。この目線は特に注文を出して作っているわけではない。AIが勝手に描いた表情だ。猫でさえ、まるで見る人に「あんたたち、それでいいの?」って言っているようにも見えてくる。

気がつかないうちにAIが入り込んでいる


オートフォーカスが止まっている物しか効かなかったとき、飛んでいるツバメにマニュアルでフォーカスを合わせる練習を気が遠くなるほどして飛ぶツバメを撮れるようになった。
じきに賢いAIが誰にでも飛んでいるツバメが撮れるようなオートフォーカスを提供してくれて、何の努力もせず何の不思議や疑問もなくありがたく使っている。誰か文句を言っただろうか?
ほとんどの人がいい時代になったと思っているだろう。

色を測り露出を測り色々と面倒な工程を経て撮影していたカラー写真。
デジタルになり人がやっていた面倒なことを全てAIがやってくれてシャッターを押せば誰でも綺麗なカラー写真が撮れるようになったけど、誰か文句など言っただろうか?
自分はシャッターを切っていると言うが、誰が色を決めトーンをコントロールしているのだろうか?人はただ他人が決めたパラメーターをいじっているに過ぎない。自分が見た物など何一つ正確には写していないのだ。
その証拠に色々なカメラで撮ればカメラごとに違う物が写っている。直線だって歪んで写っている。


AIが物を作る時代がやって来た


AIがラストを描いてくれるようになり呪文を唱えれば誰にでも思ったような絵を手に入れることが出来るのが、もう目の前に来ている。ひょっとしたら写真でさえAIが作る時代が来るかもしれない。
ここに来て「いや待てよ。これはまずいんじゃないの?」と思い始めている。
ファミレスに行けば配膳ロボットがお客様が注文をした料理を運んで来てくれる。今まで運んで来てくれた人はどうなったのだろう。色々なことをオートメーション化して人の作業を奪ってきたけど、誰も文句など言わなかった。
消費者が全てにおいて「安さ」という事を基準に消費活動を行ってきた結果だろう。でも、なんだかんだ言っても避けては通ることは出来なかったように思う。

クリエイティブって何だ?

人が手間暇をかけて創り出すクリエイティブなアート。
たかや呪文を唱えてAIが創り出す2進法のドットの集まり。
この二つに差はあるのかって事だと思う。
公式にジェネレーティブ AIを受け入れているAdobeStockという画像貸し出し企業はそれを判断するのは買い手側で「手間がかかっていようがいまいが希望の物であればそれでいい」というスタンスだ。これは昔からそうで出来上がりが全てで制作過程など関係ない。
つまりそこにはクリエイティブと言う要素はあるのだがとても希薄になっているように感じる。
買い手側はクリエイティブな物を欲しているのではなく、自分たちの要求にあった絵が欲しいだけなのだ。

AIの進出を拒んでも、やがてみんなの間に入り込んでくるだろう。なぜなら、人がそれを望んいるから。
消費されるものとそうでないものの二極化がますます進む世の中になるのだろうか。ちらっと目を通してゴミ箱行きになる物は山ほどある。結局そこに載っている物はスクラップしておくほど価値のないものなのだ。
ゴミ箱行きにならないようにするための努力をしなければ淘汰される時代がもうそこまで来ている。




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