「なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう」
「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。」
レトロを感じさせる表紙、他の「乙女の本棚シリーズ」同様の和紙のような模様の遊び紙、くすんだ色彩。
統一感のある装丁はそこに在るだけで心を震わせる。
完成されたひとつの芸術のような、あるいは丁寧に包まれた贈り物のような。
手に取り、そっと表紙を開く瞬間は、包み紙を開いていくような錯覚を覚える。
中の挿絵も統一されており、世界観が捉えやすい。
雪のように白い肌、肩より少し長い髪を持つ少女はレースをあしらった服を着ている。
14歳の少女である主人公の、本当の自分がわからないという悩み、母の気持ちに沿った娘でありたいと思う反面、へんに御機嫌を取るのも嫌だという葛藤は、現代の少女にも通じるものであるだろう。
そんな少女の気持ちがありのまま描かれる『女生徒』は、読む人を思わず共感させる。
『女生徒』は、目の美しさについて語られる。
「鼻が無くても、口が隠されていても、目が、その目を見ていると、もっと自分が美しく生きなければと思わせるような目であれば、いいと思っている。」
「鏡に向うと、そのたんびに、うるおいのあるいい目になりたいと、つくづく思う。青い湖のような目、青い草原に寝て大空を見ているような目、ときどき雲が流れて写る。鳥の影まで、はっきり写る。美しい目のひとと沢山逢ってみたい。」
これには、私も同意するところがある。
私は美しいものが好きだ。容姿でも、生き様でも、死に様でも、譲れない信念でもいい。芸術、文学、ありとあらゆる「美しいもの」を愛している。
人の容姿、身体の中では、髪が好きだ。美しい射干玉、濡れ烏。
そして、同じくらい瞳が好きだ。硝子のように透き通った眼も、何かを見据えてまっすぐな眼差しを湛える眼も、打ちのめされ、絶望し、それでも自分の中にある何かを捨てきれないような眼も、好きだ。
瞳は、その人の生き様を、信念を映し出す。
「乙女の本棚シリーズ」『女生徒』の挿絵を見ながら読んでいると、少し遠出したくなる。
レースの衿の襦袢を着て、その上に着物を着る。着物の裾からはちょっとだけレースを見せて。
レースの手袋をはめて、おしゃれな日傘をさし、編み上げブーツや草履を履いて、街を歩きたくなる。
『女生徒』は、太宰治が書いた一人の少女の朝起きてから、眠るまでを、今井キラが乙女心を擽るイラストで彩ったもの。
自分の生き方を、自分とは何なのかを、周囲との関わり方を。
14歳の少女の目線から、見つめ直すことのできる一冊。
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