雪椿

蒐書家、文筆家 美しいものを愛している。なかでも本をいっとう愛し、蒐集している。 美し…

雪椿

蒐書家、文筆家 美しいものを愛している。なかでも本をいっとう愛し、蒐集している。 美しい言の葉を集め、書き出すことで自己表現を叶えようと藻搔く。そんなあり方を心地よく感じている。

最近の記事

乙女心の今昔。千年の時を経ても、人の心は変わらない

「現代の女の子が感じている「気持ち」をテーマに、同じような気持ちを表現した古典和歌作品を「オトメ語」に訳して紹介」 私は、この「オトメ語」が好きだ。 細かい文法に囚われ、古典は難しくてつまらないものだと思われがちだが、「オトメ語」に訳された途端にわかりやすくて、身近なものに感じられる。 『オトメの和歌』は、表紙から雅やかだ。 乙女心をくすぐる撫子色に桜の花、蝶は優雅に舞い、大輪の花が華やかさを演出している。 期待に高鳴る鼓動を抑えつつ表紙をめくれば、そこには現代と変わら

    • 待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり

      「桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。──と、その老夫人は物語る。」 表紙には麗しい女性と、可憐な少女が描かれ、色鮮やかな葉桜が二人を包んでいる。 『葉桜と魔笛』は、老夫人が過去を語るかたちで進んでいく。 語られているのは、もう三十五年も前。 語り手である「私」が二十歳、妹が十八歳のころのこと。 妹は腎臓結核に罹っており、医者にも百日もないと言われてしまう。 妹には、M・Tという男性から手紙が届いていた。 妹の病気を知ってから一通の手紙も

      • 「なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう」

        「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。」 レトロを感じさせる表紙、他の「乙女の本棚シリーズ」同様の和紙のような模様の遊び紙、くすんだ色彩。 統一感のある装丁はそこに在るだけで心を震わせる。 完成されたひとつの芸術のような、あるいは丁寧に包まれた贈り物のような。 手に取り、そっと表紙を開く瞬間は、包み紙を開いていくような錯覚を覚える。 中の挿絵も統一されており、世界観が捉え

        • 「百年待っていて下さい」

          これは、寂しく、哀しく、神秘的で美しい十の夢の物語。 美しい朱色、橙色、淡黄、月白がまだら模様を生み出している金魚は優雅に舞い泳ぐ。 玻璃玉は闇の底へと落ちていく。 金糸雀色の絹のような髪、白雪の肌、水浅葱の瞳を持つ浮世離れした可憐な少女は金魚のように闇の中を漂い、自由気ままに泳いでいる。 和紙のような模様の印刷された遊び紙は光に当たると模様が銀色に輝いて美しい。 中の挿絵も神秘的なものばかりである。 挿絵は女性や子供が中心であり、目元を黒いレースで覆った儚げな女性

        乙女心の今昔。千年の時を経ても、人の心は変わらない

        • 待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり

        • 「なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう」

        • 「百年待っていて下さい」

          1月に梅の花が咲いていたのは何故なのか

          土佐派『源氏物語』画帖が表紙に用いられ、それを引き立てるように桜の花が彩りを添える。 遊び紙には裏葉柳が使われており、表紙と合わせて春を感じさせる。 柔らかなクリーム色の紙は手触りなめらか、本は薄めで軽く、読んでいて苦にならないためあっさりと読み終えることができる。 本書では、注釈書の内容を鵜吞みにせず、それ以外の考え方があるかもしれないと疑問を持つこと、疑問を持つためには、最低限平安時代に生まれ育っていれば当然のように知っていたはずの常識を知っていなければならないこと

          1月に梅の花が咲いていたのは何故なのか

          蒐書家の自己紹介

          初めまして、雪椿と申します。 現在女子大学に所属している学生であり、日々勉学に励んでいます。 美しいものが好きで、なかでも美しい装丁、文体の本を愛好しています。 趣味は読書、蒐書、文筆、言葉集め、ゲームなど多岐にわたります。 読書やゲームを通じて自分の知らない言葉や価値観に出会ったときはとても嬉しい気持ちになります。それらを取り入れて文筆に活かすことも楽しみのひとつです。 小説や詩という形ではなく、ただ思ったことや気が付いたことを書き連ねることも好きです。 蒐書を始めたの

          蒐書家の自己紹介