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待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり

「桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。──と、その老夫人は物語る。」

表紙には麗しい女性と、可憐な少女が描かれ、色鮮やかな葉桜が二人を包んでいる。

『葉桜と魔笛』は、老夫人が過去を語るかたちで進んでいく。
語られているのは、もう三十五年も前。
語り手である「私」が二十歳、妹が十八歳のころのこと。
妹は腎臓結核に罹っており、医者にも百日もないと言われてしまう。

妹には、M・Tという男性から手紙が届いていた。
妹の病気を知ってから一通の手紙も寄こさない男性からの手紙が、妹の枕元には置かれていた。

そこには、今まで手紙を出さなかったのは、自分に自信がなかったからということ、妹のことを一日も、夢にさえ忘れたことはなかったこと、しかし、もう逃げないということ、そして、
「待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり」
という和歌が書かれていた。

妹は、
「姉さん、あたし知っているのよ。」
「ありがとう、姉さん、これ、姉さんが書いたのね。」
と澄んだ声で姉に告げる。

実は、この手紙は「私」が妹のために書いた手紙であった。
しかし、そもそもM・Tからの手紙そのものが、妹の自作自演であったことが明かされる。

「姉さん、あの緑のリボンで結んであった手紙を見たのでしょう? あれは、ウソ。あたし、あんまり淋しいから、おととしの秋から、ひとりであんな手紙書いて、あたしに宛てて投函していたの。姉さん、ばかにしないでね。青春というものは、ずいぶん大事なものなのよ。あたし、病気になってから、それが、はっきりわかって来たの。ひとりで、自分あての手紙なんか書いてるなんて、汚い、あさましい。ばかだ。あたしは、ほんとうに男のかたと、大胆に遊べば、よかった。あたしのからだを、しっかり抱いてもらいたかった。姉さん、あたしは今までいちども、恋人どころか、よその男のかたと話してみたこともなかった。姉さんだって、そうなのね。姉さん、あたしたち間違っていた。お悧巧すぎた。ああ、死ぬなんて、いやだ。あたしの手が、指先が、髪が、可哀そう。死ぬなんて、いやだ、いやだ。」

『葉桜と魔笛』本文

妹の悲痛な心の叫びが、胸に刺さる。
美しい姉妹愛。
「ねえさん。」と姉に甘える妹、妹を想って身を縫針で突き刺されるように苦しむ姉。

太宰は女性の心情を描くのが上手い。

挿絵のひとつに、『源氏物語』や『ルバイヤット』、『在りし日の歌』などの本が付書院に置かれているのがある。
現代には、付書院がある家はほとんどないのではないだろうか。
外で、桜の花が舞い散る様が障子に映っているいるのは趣が感じられる。
卓上灯りが西洋風なのも、時代を表しているようだ。

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