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卒業研究レポート④ 「まちのみんなではなく、ひとりに刺さるまちづくりを。」

皆さんこんばんは❗️
ついについに、卒展が来週に迫ってまいりました😵
そして卒業研究レポートも今回で最後になります❗️
今回も実際4年生がどのように卒業研究を行っているのか、どんなふうに地域に飛び出して地域の方々とコミュニケーションをとっているのか、アクションを起こしているのかなど各ゼミから1人ずつピックアップをして、卒業研究取材レポートをお届けしようと思います✊

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第4回目となる最後の投稿は、檀上ゼミ所属の及川 美里(おいかわ みさと)さんです。
それではどうぞ❗️

及川 美里(おいかわ みさと)
ニックネーム:みぽりん
生まれ育ち:宮城県出身
所属ゼミ:檀上ゼミ
研究テーマ:「さがすさぐるプロジェクト~地域愛からまちづくりの新たな観点を探ることは可能か~」

1.『まち が残り続ける方法』

■まずはどんな卒業研究をしているか教えてください。

「さがすさぐるプロジェクト~地域愛からまちづくりの新たな観点を探ることは可能か~」というテーマで、宮城県涌谷町をフィールドに研究を行いました。
今までの「豊かさや成長が目的の、みんなのためのまちづくり」ではなく「感情や個人の思い出を基にした、ひとりの心に刺さるまちづくり」ができないか、ということを研究しました。

■研究の経緯は何ですか?

この大学生活4年間で、沢山のアートや芸術に触れてきたと感じています。今暮らしている山形も含め、日本全国で色々なまちづくりがあることも知り、様々な地域に関わってきました。その中で、果たして自分の地元である涌谷町はまちづくりが盛んな今、『まち』として生き残れるのか、と疑問に思ったことが研究のきっかけでした。そして、きっと涌谷町が他の地域ほど自由にまちづくりに取り組むには、まだまだ時間がかかるだろうな、と私は考えています。山形・仙台・東京など今まで見てきたまちのように、涌谷町は豊富な資源があったり、特に目立った観光資源があるわけではありません。同じステージでまちづくりを行おうとした時には、逆に薄れてしまうと思っています。しかし、太刀打ちできないなら他の視点でまちづくりができないか、『まち』が残り続ける方法を見つけられないかと思いました。
また、私が大学に入学した2019年に涌谷町は財政非常事態宣言を発表したんです。その時、改めて自分の地元が『まち』として本当に危機的状況にあることを実感しました。それと同時に、『もし、涌谷町が経済破綻してしまったら』ということを考えた時に、これから涌谷町で暮らそうと考えていた人たち、今まで涌谷町で暮らしていた人たちの心が涌谷町という『まち』から離れていくのかもしれない……そう感じた1年次から、卒業研究先は地元である涌谷町にしようと考えていました。

■美里さんが考える『まち』が残り続ける方法とは何ですか?

はい、私が今回卒業研究で行ったことでもありますが、「豊かさや成長が目的の、みんなのためのまちづくり」ではなく「感情や個人の思い出を基にした、ひとりの心に刺さるまちづくり」です。
例えば、私の母校である小学校は廃校になっていて、中学校も合併しています。でも私の心には、小学校・中学校の思い出が残り続けています。建物としての場所は消えたとしても、思い出や記憶、概念としては小学校も中学校も私の中に残り続けていると考えています。これと同じように『まち』という存在がなくなったとしても存在価値は残り続けるのではないかと思っています。
なので、涌谷町の人たちが「このまちが好きだ」「このまちは誇れる」と思う・感じる・考える人がいる限り、涌谷町はこれからも存在し続けるのではないかと思っています。『街の人々の心から忘れ去られない』まちづくりが私の今回の卒業研究のアクションであり、『まち』が残り続ける方法です。

■美里さんが涌谷町で行った具体的なアクションについて教えてください。

まず、このテーマは卒業研究期間である1年半では終わらないだろう、と研究を始める時に既に考えていました。この研究は10年、20年と、数年時間をかけて行っていくものだとも思いました。その中で、私がこの1年半で何が出来るのかを考えた時に、私が考えている涌谷町に対しての考えや想い、問いを、涌谷町に住んでいる人たちや関わりがある人たちに投げかけることだと思いました。具体的なアクションや解決策ではなく、私の想いや問いが投げかけられるアート的な場所を作ること、そして来場者の方々とコミュニケーションが取ることを目的とした展覧会を企画し開催しました。

■展覧会とはどんな展覧会ですか?

涌谷町の『くがね創庫』さんを会場に1月14日、15日の2日間開催しました。
展覧物としては私の涌谷町への考えや想いを言葉で表現し、それを来場者の方々に見ていただくというものです。

■展覧会ではどんな物を展覧したのですか?

展覧会を開催する前に、涌谷町で暮らす方を対象に、涌谷町での暮らしや抱いている思いを知るためのアンケートを実施しました。
具体的には、涌谷町を『まち』としてどう考えているのか、涌谷町で暮らす中で何を考えているのか、感じているのか、と言った項目を質問しています。
アンケートという合計の数値・データではなく、回答してくれた人はどんな生活をしていて、どんな想いを持ちながら暮らしているのか。まちに対する感情と、その感情を持っている人がどんな人たちなのか、という見方をしたいと考えました。
アンケートを経て出てきた想い、涌谷町の好きな場所、具体性は多種多様でしたね。

■展覧会を行った『くがね創庫』とはどんな場所なんですか?また、開催場所として選んだ理由は何ですか?

『くがね創庫』は旧米倉庫を改修した、涌谷町の中心部にある、芸術・文化の発表の場所となっているアートギャラリーです。私にとっても中学校の時に所属していた美術部で展覧会を開催させていただいた、思い入れのある場所です。コロナ禍になる前は町民がバザーを開いたり、編み物や着物リメイクの展覧会をしたりしていたと聞いています。アーティストは勿論、アートギャラリーでありながら、町の人たちが気軽に、そして多様に利用することができる場所です。
今回展覧会を開催すると決め、開催場所を何処にするかを考えた時に、涌谷町民である私にとって馴染み深い『くがね創庫』にしよう!とすぐ思いました。

■展覧会の次のステップとして何か考えていることはありますか?

具体的なアクションは、まだ答えが出ていません。しかし「まちに無関心な人を減らしたい」という思いは一貫しています。
よく「好きの反対は無関心」といいます。なので、これからの『涌谷』という『まち』の将来を考えたときに、一番怖いのは涌谷町に対して無関心な人が増えることだと思っています。だからこそ、誰もが持っているけどみんな同じものはない、心の面からアプローチすれば、涌谷町に興味が薄い人にも振り向いてもらえるまちづくりができるのでないか、と考えました。自分の考えたことをみんなに投げかけてみる、これが今の私にできることだと思います。
私一人でできることは限られていますが、誰かにこの考えを共有して、語り合い、糧にしてもらうことはできる。涌谷町には素敵なことをたくらんでいる先輩たちがたくさんいるので、私もそこに追いつけるように頑張りたいと思っています。

2.『まちが紡いできたものたちを引き継いでいく』

■美里さんにとって『涌谷』という『まち』に対する想いについて聞かせてください。

一言では言い表せないですね!
『あなたは涌谷町は好きですか?』とアンケートや展覧会を通して問いを投げさせていただいたのですが、私は「好きとも嫌いとも言えない」と答えていたと思っています。当たり前なのですが、涌谷町には良いところも悪いところもありますから、その中でネガティブな感情も抱くこともあります。後継者不足でお店は減り続けていますし、クリエイティブに活動できるまちであるかと言えば、近隣市町村に比べればまだまだ改善の余地があります。どうしようもなくやるせなくなってしまう瞬間だってあると思います。
しかし、どうしても「嫌い」にはなれない。良いことも悪いこともひっくるめて、「地域愛」なんだと思います。
そんな複雑で好きとも嫌いとも言えない、だけど愛おしいという気持ちが、これからの涌谷町を動かしていく原動力だと考えています。

■『まち』に対する想いの中に「ネガティブな感情も抱く」と答えていましたが、その感情の理由や感情を持った経緯など詳しく教えていただけますか?

小・中学校が統合した時に町の地域間でとても揉めているところを見ていました。
それはきっと涌谷町という『まち』を考えている人たちだからこそではありますが、幼いながらにお互いのことを思い合うこと、考えること、私にとって涌谷町という場所について考えを深めるきっかけになったと感じています。
しかし一方で『まち』に対してのネガティブな感情を持つきっかけではありますが、見方を変えればそのくらい私にとって『涌谷』という『まち』は思い入れの強い場所であることも感じました。このネガティブな部分がうまく融合していければ、強さに変わるんじゃないかと思います。
学校が統合した時のように、将来涌谷町が『町』として変化し、例え名前や形が変化することが無いとは言えません。でも今まで涌谷町が『まち』として町民や涌谷町に関わっている人たちで重ねたり紡いできたものたちを引き継ぐことはできるのではないかと思っています。無くすのではなく融合することができたらなと子どもの頃から思っていますし、今も考えています。

■美里さんにとって特に思い入れのある涌谷町の場所はありますか?

「おふどうさま」です。涌谷町で思い入れのある場所は何処か?と聞かれたら真っ先に思いつきます。
母校である小学校の裏の山をずっと登っていくと「おふどうさま」と呼ばれている瀧澤寺奥の院不動尊という場所があるんですが、そこが私にとって特別な場所ですかね。小学校の時にはよくおふどうさまがある場所まで山を登って遊んでいましたし、そこから見える景色が大好きでずっと眺めていました。
また、中学や高校の部活ではここをモチーフに何度か絵を描いていました。大学生になった今も、帰省した際に「今どうなっているんだろう?」と気になってよく様子を見に行っています。たくさん思い出が詰まっている場所です。

3.『誰かのためにデザインをしていきたい』

■卒業後は何処に就職するんですか?

山形県上山市にある旅館業を行っている会社に内定をいただきました。卒業後もこのまま生活拠点は山形市で、そして上山市にも新しく関わりながら暮らしていくつもりです。山形市に4年間暮らし続けていましたが、上山市には数える程度しか訪れていないので、仕事をしながら上山市についてもこれから知っていけたらなと思っています。

■何故就職先として旅館を選んだんですか?

心に残る小さなハレの日をつくる仕事がしたいと思ったからです。
元々、料理を作って誰かに振る舞ったり、自分のために一輪だけ花を買ったりするような「自分や誰かの暮らしにプラスする」ものごとを大切にしていました。そのため、これからの仕事でも誰かの食や住、暮らしに関わる時間をデザインをしていきたいと思っていました。
そうして就職活動を行っている中で、お客さまに『おもてなし』を提供できる仲居さんとして働こうと決め、今の就職先に出会いました。また、内定先を頂いた企業は、旅館業だけではなくグランピングや飲食プロジェクトなど、さまざまな事業を展開しているんです。そのため、ゆくゆくは山形県の魅力を伝えるプロジェクト企画の立ち上げなどをしてみたいと考えています。

■卒業後の『涌谷』への関わり方としてビジョンはあったりしますか?

来春からも山形・上山で暮らしを続けていきますが、10年後、20年後、いつになるのかは分かりませんが、涌谷町のために何かアクションしたり、デザインすることができたらいいなと思っています。その為にも、まだまだ自分は知見を広げなければならないと感じているので、『まち』の魅せ方が素敵な山形県で研鑽(けんさん)を積みたいと考えています。

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美里さんへの取材を通して、美里さんの考える新たな『まちづくり』の視点に触れることができたと感じています🧐
そんな美里さんの卒業研究・卒業展示は果たしてどんな展示になるのかとても楽しみですね🏃
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東北芸術工科大学デザイン工学部コミュニティデザイン学科
2022年度 卒業/終了研究・制作展
開催期間:2023.2.7(火)- 2023.2.12(日)
時間:10:00 - 17:00
会場:東北芸術工科大学

■2022年度 東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展 特設HP
https://www.tuad.ac.jp/sotsuten/

■卒展 来場事前予約フォーム
(2/11・2/12 土日開催のみ事前予約必須)
e-tix.jp/tuad_sotsuten/

■コミュニティデザイン学科 優秀者プレゼンテーション zoom配信予約フォーム
https://forms.gle/TJKic8QF6rky54HJ9


いかがでしたでしょうか?
今回で全4回の卒業研究レポートは終了になりますが、今後も引き続き卒展情報をnoteでも発信していきますのでこれからの投稿もチェックしていただければと思います🙌
また、「もっとコミュニティデザイン学科を知りたい!」「興味が出た!」という方がいましたら各SNSで情報発信をしているのでこちらからアクセスしていただければと思います🙆
それではまた次回の投稿でお会いしましょう👋
             コミュニティデザイン学科 プロモーションチーム


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