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読書日記|0724-0730


0724

7月の最後の週がはじまった。なんの準備もなされぬまま、梅雨は明けて、夏がはじまって、そうやってまた月曜日に立っている。きのう何を食べたのかも忘れてしまって、だからずっと宙ぶらりんのまま、またきょうが過ぎるのだ。そうするなかで石川くんのお腹がみたいという欲望を語った。同僚はちがう人のお腹がみたいといっていたけれど、誰だったかは思い出せない。


それにしてももし内沼さんに嫌われたのだとしたら、僕も内沼さんを嫌わなけらばいけない。僕は誰かに嫌われたら相手を嫌うことでしか対処できない。相手を軽蔑することでしか対処できない。

『読書の日記』P.124





0725

朝から寝室とダイニングの掃除をし、汗が滴ってくるのでシャワーを浴びた。洗濯物を2回まわし、床を磨く。きれいにしたあと、 OYATUYA.Uのざくざくクッキーを片手に『&premium』をぱらぱらと読んだ。

夜は棒棒鶏と冷製トマトパスタ。桃を食べようとしていたのに、みたらし団子を食べた。桃は明日食べる。


この本が、読む人の暮らしや読書の記憶を喚起したらうれしいし、そしてこの本を読む時間が読む人の暮らしや読書の記憶のひとつになったら、とても嬉しいだろうな。と思った。

『同上』P.163





0726

朝から仕事がおもうように進まなくて、時計をみると午前中が終わってしまっていて、なんだかあっという間だった。同僚は14時過ぎになるまでお昼休憩もままならず、夏休みだなあという感じ。浮かれた学生と忙しない親子と毎日来るお爺さん。1ヶ月後に韓国へ行くお姉さんと韓国語の教材をどれにするかで悩み、一日で韓国語が読めるようになる本と、七日で日常会話ができるようになる本に決まった。


夕方といってもほぼ夜だけれど、子猫の調子が悪そうということで病院。




0727

また今日も忙しない一日で退勤時間までに作業は終わらず、引き継ぐ形となった。そんな中でも先日発売された『ハニーレモンソーダ』について同僚と泣いたねぇ今回は泣いたねぇ飽きたとかいってすみませんでしたなどと話す余裕はしっかりとあって、次の発売日にはもう私はいないのかぁとなって悲しくなるなど。




0728

朝、犬と猫を連れて動物病院。昼、家から車で5分のお店へ夫と外食。高知県へ小旅行にいったとき以来、実に半年以上ぶり。美味しかったし、楽しかったし、とても満たされた。

メインは揚げ出し豆腐。
そこに大きなエビと野菜の揚げもの。
さらに茶碗蒸し。
カレーうどんに、ローストビーフ丼。
小皿にはブリの煮付け、刺身、
味噌酢和え、白菜の煮物、サラダ。
どれもが美味しく、そしてお値段850円。



夕暮れ時、マクワウリに齧り付く。甘い。忘れかけていた『死の棘』をまた読みはじめる。はて、ここはどんな場面かしら、と後戻りしたらそれはもう大変恐ろしい場面で、よくもまぁこんなところで読むことを中断できたものよ、と途方に暮れ、過去のじぶんをおもう。あなたきっと読めなくなったのね。大丈夫よ、今の私は読めてしまうから。




0729

仕事かんばった。『ジーキル博士とハイド氏』を店長も読んでくれることになった。近頃、店長は海外古典文学を好んでいるらしい。この前はシェイクスピアを読んでいた。帰宅後から胃の不快感が強く、吐気に襲われる。三時間くらい限界領域で生き、なんとか耐えた。お昼のお弁当箱が大きすぎて合わないのか、ただ私の調子が悪いのか。阿久津さんの『読書の日記』を読む。寝転がりながら読む本ではないなあとおもいながらも、なんというか今週はずっとこの本がよかった。この本以外あまり乗り気にならなかった。「僕は本を読みたい!」という気持ちがとても健全で、気持ちがいい。網戸からはいる生ぬるい風と、背中から浴びるエアコンの冷たい風に挟まれながら、「私も本を読みたい!」という気持ちが上を向いていく。しかし同時に胃の不快感がこの上なく私を苦しめ、読書意欲を削いでいく。




0730

高校野球の地方大会(大阪、東東京の決勝戦の二試合)をジャイアントコーンを食べながらみる。軽率に泣く。

楽しみにしていたインスタライブのことを思い出し、つけてみるも、10分くらいで終わってしまった。休みの日ってこんなもんだな。なんか、もうほんとうに、こんなもんだな。午後から図書館へ行き、『あの人の閾』『水車小屋のネネ』『##NAME##』の三冊を借りる。『三体』を借りたかったのだけど、1だけ貸出中だった。


こういう、やさしいものに触れたいんだよな、と思って、でもそんなのってなんかぬるい感じもするんだよなこの嗜好って、と思ったあとに、でも日々、生きているなかで、人のやさしさや善良さをそんなに毎日毎日目撃できるわけではない、たくさんのギスギスしたものと簡単に関わることになるわけだから、優しさや善良さをちゃんと捉え、作品として提示するということはまったく普通に貴重なすばらしいことなのではないかと思って、だから、オッケーだった。

『同上』P.198



それでは、また。

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