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矛盾するライトノベル商業構図 ~ラノベ10冊分のワンパッケージ作品の台頭

2022年春アニメである『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』を見ていて、自分としては面白くないながらも考えさせられる点が多かった。

正直、この作品で何が面白く、何がダメかと考えていると、別の点で大きな問題を抱えているのが見えてくる。それだけに自分は本当の意味で楽しんで見ていた作品と言えるかは疑問ではあった。

その点はひとまず置いておくにせよ、この作品で見えてきた問題とは商業展開で求めるモノが売り手、買い手でズレて認識しているのではないか?である。

そもそも、転生モノの多くを生み出したweb小説とは、ライトノベルとは様々な点で構造が違っている。軽い文調の小説作品であるのにだ。
だからこそ、始めにweb小説を主体として商業展開していた出版社は、ライトノベル・レーベルを持たない所であった。一部では例外はあったにせよ、レーベルとして多く出版したという点では歴史的に間違っていない。

しかし、今では昔からのライトノベル・レーベルからもweb小説が世に出されている。それだけにweb小説もライトノベルと同じ位置づけにされている。
しかし、この認識は矛盾する構図を生み出していたのではないか。それが、このアニメから見えてきたのは点であった。

今回はそんな矛盾する構図について、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』のアニメを通して語っていきたい。

■アニメを楽しむため条件は、完結まで読んでおくこと?

まずは今回の話をするにも、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』について説明、整理しておきたい。ただ、この作品をあらすじを語ると言ってもやや難しい部分がある。

とりあえずは大雑把に語れば、「前世でプレイしていた、(妹の代わりに)乙女ゲームの世界に転生した」という事になるだろうか。

ただ、“転生から始まる物語”の認識では本作品を見ていくにも、齟齬があるように感じていた。主人公がプレイしたゲームの内容が受け手にまったく共有されていていないからだ。

大抵の乙女ゲームに転生する作品は、ゲームをしていない人間でもシンデレラや白雪姫の世界と置き換えて読むことで成立する。それが「悪役令嬢」と単語に集約できるからだ。
つまり、「悪役令嬢」はお姫様になった主人公に追放され、その後主人公は幸せに暮らしましたというお話のベースに当てはめることが出来るから。

だが、この作品の乙女ゲームはロボットあり、SFあり、戦争ありとなんでもありだ。それだけに作品世界以前にゲームジャンルとしても迷走しているのは、作中の主人公もクソゲーと罵るほどだ。

そんな迷走したゲーム世界が転生先の舞台と言われても、受け手は共感する事など到底できない。いや、理解もされない。そして、「悪役令嬢」といったお約束にも当てはめることも出来ない。作中には「悪役令嬢」の役割を持つヒロインが出てきても、逆に混乱を招く事態にもなっている。

だが、プレイした主人公なら熟知している事実。

ゲーム世界への転生でなくともタイムスリップものでも、主人公も受け手も未来に起こる出来事は分かっているから、如何に回避、対策を練るというのは作品を見る側にとっても醍醐味である。

しかし、この作品はそれを放棄した、いや、ある方法でこれを回避している。

この作品を楽しむには、一度この作品を読んでからでないと楽しめない構造になっているのだ。

この説明で「おまえは何を言っているんだ」となるかもしれないが、アニメにしても、書籍にしても、関係者はこの事実を意識しているのは見て取ることが出来る。

本作品はweb連載していた小説は完結しており、その商業展開における書籍版ではweb連載とは違う別ルート、物語展開をしている。

別ルートというのは、ゲームでは珍しくない構造である。では、別ルートを進むに当たって必要な条件とは何だろうか。ゲームにおいては、フラグ、条件を立てることがあるだろう。しかし、それ以上に物語の構造を把握していることにもなる。

だからこそ、この作品を楽しむなら「web連載→書籍版」といった流れで読んでおく必要がある。そして、このアニメが恐らく書籍版からであるのなら、基礎知識としてweb連載は読んでおく必要があっただろう。

それもあってなのだろう。アニメの1、2話で提示された情報というのは、このクール内で回収されることなく最終回を迎えている。
それにニコニコ動画においては、視聴者のコメントで注釈が入るほどであった。

■大河ファンタジーであった、本作

『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』はアニメ単体では乙女ゲームに転生する作品である。しかし、『ウィキペディア』で、この作品のあらすじでこうまとめられている。

これで漸く平穏無事な人生に戻れると安心していたリオンだが、マリエから乙女ゲーがシリーズ化して続編、つまり世界の危機レベルの問題が複数遺っていることを知らされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この点が明らかになるのはweb連載の全体から見るとまだ序盤ようであるだ。つまり、アニメ1クールでは、本来のテーマに到達していなかったのだ。

また、本作品に関して、「ナイツ&マジック」以来の小説家になろう出身作品のロボットアニメと語られることもある。この点は当初、私には理解できなかった。ロボットが出てくるにせよ、単なる乙女ゲーム転生モノであれば、ロボットアニメと語るのは変ではないかと。

だが、この作品の先の展開では、シリーズ化されていただけに全ての未来も過去も描くことは出来る。それだけに「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」を可能としたのである。

この結果、乙女ゲームに転生というのは切っ掛けに過ぎず、物語としても大河ファンタジーとなっていく。それだけに同じ大河ファンタジーであり、ロボットモノとである「ナイツ&マジック」と同じ位置づけをする事は何も間違っていないのである。

■ラノベ10冊分のワンパッケージ作品

ここからがようやく問題点の本題となってくる。

この作品は「web連載→書籍版」と読んでいく必要があると語ったが、本作のweb連載だけでも約100万字と、ラノベ10冊分である。

これが事前情報、基礎知識とするのは小説として、いささか苦痛であろう。しかし、これは小説として考えると苦痛であっても、ゲームであったらどうだろうか。

『Fate/stay night』のシナリオ量は文庫本20冊分、約200万字とされる。

『Fate/stay night』単体作品でも十分に楽しめるが、今展開しているFateシリーズはこの約200万字の基礎知識で成り立っているといえる。
こう考えると今の時代、ラノベ10冊分を基礎知識とした作品には抵抗がないのかも知れない。

だが、web小説の小説公募の総評でも良く語らていることなのだが、「10万字でパッケージされた小説」を求めていたというコメントである。
これが売り手、買い手が求めるライトノベルの形態なのであろう。

しかし、今名の知れたweb小説は始めから伏線を張り、それが回収されるのは先の先といった「100万字でパッケージされた作品」がほとんどな気がする。「無職転生」などがいい例だろう。

確かに「10万字でパッケージされた小説」なら、アニメ化しても区切りがよく映像化できるが。しかし「100万字でパッケージされた作品」では伏線を張ったところで終わってしまう。

そう、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』のアニメのように。

これこそが私がこの作品を見ていて楽しめなかった点であり、今回の問題に気が付いた点である。

このアニメとは「100万字でパッケージされた作品」の体験版を見ていただけに過ぎなかったことになる。だから、中途半端に終わっていた。
そして、この内容から今作品の2期が期待される声がファンから上がっていた。それもそうだろう、不完全燃焼状態で完結しているのだから。

そして、他の人の感想を見ていても、このアニメは良作と駄作という意見に分かれているのだと気が付いた。おそらくは基礎知識の有無で意見が分かれたのではないだろうか。

ただ、基礎知識を前提条件として見ると、面白いと語る人が明確にいなかっただけに、この考えに至るのには時間がかかったのだが。

■矛盾するライトノベル商業構図

「無職転生」を筆頭に、web小説の書籍版が数十冊だしても完結しない作品が多い。それもアニメ化もされ、web連載は完結していても。

ここに置いて、web小説がライトノベルして商業展開に無理があるのではないだろうか。
先にも語った様に「100万字でパッケージされた作品」は小説ではなく、ゲームの方が向いているのだから。

また、数十冊だしても完結しない作品にどれだけの読者が付いてくるだろうか。そもそも、ラノベ10冊分でまだ基礎知識ですからと聞けば、逃げ出す人もいよう。そもそも、この手の作品は文庫版でないため、高価である。そして、web連載では無料で読むことも出来る。

そして、小説公募からも見えるように、出版社として求めているのは「10万字でパッケージされた小説」。だが、web小説にしても、他のネットコンテンツにしても「100万字でパッケージされた作品」の方が評価されている。ここでも矛盾した商業構図を生み出している。

現に昨今のアプリゲームにおいても、「FGO」を筆頭にシナリオ面も重視した作品が多い。また、これらは基本無利用のコンテンツである。

完全に求めているモノが受け手と出版社でねじれ、矛盾している。

先も語ったが、『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』のアニメは面白い、つまらない以前に作品の全体の流れでは体験版程度しか触れていない。それで作品として、どう評価していいのだろうか。

いや、アニメから原作を触れていけばいいだけの話とはいえ、アニメでは乙女ゲー転生モノという認識が植え付けられて、原作の大河ファンタジーへと素直に移れるだろうか。

また、「無職転生」のアニメに関しては、原作を全ての内容をやりきる覚悟があるようだが、実際にやりきったとして今のペースだと何時になったら終わるだろうか。

web小説というのは、実はライトノベルに近いのではなく、ゲームに近いとすれば本来はゲーム化というのが正しいのではないかと思えてきた。

この考えが正しいかどうかは分からないが、『シャングリラ・フロンティア』という作品に関してはアニメ化だけでなく、ゲーム化も決定された。

また、過去にも語った『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない』も書籍化よりも先にゲーム化している。

これは成年向けコンテンツだけに、絵と文章が見せるのに適しているからの判断だろう。それだけに的確に作品の強みからゲーム化したのだろうと推測できる。

そもそもがラノベ10冊分のワンパッケージ作品が商業にもならず、人気だけは商業作品以上の作品が今多く存在している。そんな作品が台頭する中で、如何に商業としてどのように展開していくかは生半可な考えでは成立しないだろう。

それは『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』のアニメを見ていても、感じていた。売り上げが悪ければ、2期など作られることなく消えていくのだろうと思えるから。真剣にヒット作にしようとする気迫は全くない。
そう考えてみていると、作品として楽しめない話であった。

【2022/8/25追記】この件での補足的な内容の記事となります。良かったら、こちらも読んで頂ければ幸いです。


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