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コスパ重視時代との対決 ~矛盾するライトノベル商業構図

先日の記事は割と反応はあったモノの、タイトルにある"矛盾するライトノベル商業構図"に関しては、ほとんど触れられていない状況であった。ここは反応だけの話だから、それが結果の全てでもないだろうが…

確かにこの反応にしても前回の記事は『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』から見た話でやっている以上、多少は仕方がないと部分と自分も理解していた。また、その中で見えてきたことであり、考えは完全に纏まっていない部分もあった。

それで今回は改め、"矛盾するライトノベル商業構図"を軸にして、別の事例を出しながら語っていきたいと思う。

■「紙の本、4冊」対「Web小説、約65冊分」

とある紹介にてラノベ完結後でも、Webでは連載が続いていたライトノベル作品があると知った。

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書籍の方はWebでの連載を書籍用に再編集、むしろ最近の配信時代の言葉で言えば、切り抜きした内容の様である。

そして、Webの方は書籍の続きを今も続けており、現時点では書籍換算で約65冊分(650万文字)の分量になっている。書籍になるだけでなく、65冊分の分量でも続けられるほどに作品の人気からもうかがい知ることができる。

しかし、65冊分のコンテンツは、ライトノベルと言えるのだろうか?
そもそも、65冊分を売り出せる出版社は今、あるだろうか?

確かに『宇宙英雄ペリー・ローダン』の日本語版だけでも、650巻を越えている。だが、そのリブート小説シリーズ、『ローダンNEO』は24巻の帯にて日本語版刊行終了とアナウンスされている

あくまで、これは一例ではあるが長期コンテンツを今の出版状況で紙で出し続けるのは難しいだろう。

また、校正を始めとして、紙に出力する作業も考えると、65冊分を本にするだけでも、どれだけの時間を要するか分からない。仮に毎月1冊出しても、5年である。

逆にこの点はWeb小説ではメリットである。スピーディに世に出せる点。そして、大分量のコンテンツを作り出すことも優れている。

それだけに紙の本において、これらは弱点である。

この点は前回も語った、「ラノベ10冊分のワンパッケージ作品」にも通じる点である。分量等を考えるとラノベ10冊分でワンパッケージ作品にして、商業展開した方がいいのでは無いだろうか。そもそも、ラノベ10冊分で伏線回収もされることもザラである以上、尚更である。
(前回、ここらは誤解されやすい書き方をした点でもあったが…)

だからこそ、Web小説のスピーディさ、分量は紙の本で表現するのは難しい。そうなるとWeb小説はライトノベルとして分類されるのだろうか?

それでも、紙の本への再パッケージはする方法は、この作品でも示されている。それは冒頭でも触れた「10万字で再パッケージされた小説」に切り抜きすることである。

そして、この「紙の本、4冊」と「Web小説、約65冊分」が対決した際、一番問題となってくるのは、コストパフォーマンスである。

毎分500文字を読むと想定した場合、紙の本4冊では約13時間、約65冊分では約200時間。後、紙の本には購入が、Web小説には通信料がかかる。しかし、通信料は今ではもはや光熱費の一部といっていい。
そして、このコンテンツの面白さは同一であるから、どちらがコストパフォーマンスが良いだろうか?

単純に見ると、Web小説がよいといえるだろう。

ただ、これは受け手側だけで見た話。制作者側の労力等など加味すると単純な優劣が決めれるモノではない。ただ、今はこのコストパフォーマンスを軸に話を進めていく。

そして、コンテンツを提供する側にとって「約13時間」対「約200時間」をどう考えるだろうか。

今、年間の時間的に考えると、Vtuberコンテンツ量(1人)>放送アニメ(全体)になるとのこと。

この点でも単純な優劣を語るのでなく、今のVtuberコンテンツはそれだけ多くの時間消費して楽しむコンテンツになっていることだけを理解して欲しい。

それを踏まえた上で、「約13時間(紙の本、4冊)」対「約200時間(Web小説、約65冊分)」の真の恐ろしさとは、ユーザーからそれだけの時間を引き出せていることにある。

1ユーザーの時間とは、お金と違い有限なのだから。

■時間消費での“出版社"対“Webサービス”

今のコンテンツにおいて「金銭の消費」よりも「時間の消費」をユーザーから、どれだけ奪えるが重要になってくる。この点はアプリゲームの方が重視されている点である。

しかし、そんなアプリゲームでも最近はシナリオを軽視しないモノが多い。そして、それらのシナリオを手がけるのはライトノベル作家も少なくない。

中にはコラボイベントを原作者が書くなんてケースもあるようだ。

仕事として、ライトノベル作家だけで食べていける訳でもないから、シナリオライターとして活動するのは別に間違ってない。ただ、自身の同一コンテンツを“出版社"外で提供するのは、ユーザーにとっては嬉しい事だが、商売としてはどうだろうか。

また、アプリゲームである『転生したらスライムだった件 魔王と竜の建国譚 まおりゅう』は原作者の監修のもとに、オリジナルストーリーが展開している。『魔法科高校の劣等生 リローデッド・メモリ』でも同じである。

これらのアプリゲームは出版社にも権利料は払われるといっても、“出版社"外でコンテンツもユーザーも使われていることになってくる。

このように"矛盾するライトノベル商業構図"とは作品単体だけでなく、コンテンツの形態にも出てきている。そして、アプリゲームをプレイする時間によって、別のコンテンツ、読書などの時間が減ることになっている。

そして、この商業的矛盾とは業界でも分かっている事なのか、何人かの有名ライトノベル編集者が退社、転職して、Webサービス側へ行っている点からも見る事ができる。

ラノベ製作のノウハウをWebサービスへと昇華している節があるからだ。

また、先日の話題になった低学年向け某ノベルアプリでも、この時間と費用の課題が出てくる。詳細は省くにしてもここで、無料ノベル文化を体験したユーザーが今後、費用を割いて紙の本を買っていくのだろうか。

この点でも某ノベルアプリの罪は大きいのではないか。

如何に"矛盾するライトノベル商業構図"を健全な形に持って行くにしても、他のコンテンツをから、ライトノベルに時間と費用を割いて貰うことになってくるだろう。

ただ、これは口にするのは簡単ではあるが、この実現は無理難題に近いだろう。今の多くのコンテンツは、まず無料であっても時間を割いてくれることを求めた上で収益を得ようとしているのだから。

本を買うことで、初めて時間を割くことが出来る媒体は今の時代、かなり不利といえよう。そもそも、この状況はライトノベルだけに漫画でも同じである。

漫画に関するよく見るCMといったら、今は漫画アプリである。それだけで全てを物語っている。

まあ、こう語った所で私が解決する課題ではないが、それでも今後において進むべき指針は見えてくる課題ではある。今の時代、何を発信するには出版書による書籍化が必ずしも得策でないように。

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