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ツカモト シュンのサブカル一人語り

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ツカモト シュンが勝手気ままに一人で語るコラム、雑記。 基本一つの作品をテキストにして、サブカルチャーに関して語っていくスタイル。
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『搾精病棟 全年齢版』打ち切りから見えるモノ ~同人誌を取り込む戦略とその失敗

『搾精病棟 全年齢版』が終わってしまったが、最終巻の帯でもあるように打ち切りという認識で問題はないようだ。実際、てこ入れで新展開が始まろうとしていた中で唐突な終わりであった。 だが、裏表紙側の帯にもあるように、この「搾精病棟」シリーズは今も継続して展開している。 「搾精病棟」シリーズは成年向けコンテンツではある。しかし、別出版社の漫画作品『淫獄団地』は成年向けでなく「搾精病棟」シリーズともリンクして、今なお人気作で連載を継続している(ただ、謎の人気ぶりではあるが)。 例

今年のライトノベルに思うことを考えながら ~本年度の抱負の下地として

去年はnoteでの活動は、ライトノベル業界を主軸としていた。これに関しては自分でも振り返って考えないと理由というのが思い出せない物であった。 その理由というのは、様々な点から来ているのだが、一つは以前から語る、個人コンテンツがライトノベルから生まれない現状。そして、これと対となる業界の変化を感じさせる幾つかの出来事。 この出来事の中には、ライトノベルのイラストを描くイラストレーターがVTuber業界で幅広く活躍するようになった点もある。 これらの理由というのは、以前からの

作品に関わるクリエイター同士が皆win-winとなるには

つい先日もラノベとイラストレーターの件で話題になっていた。まあ、話題といってもラノベ読者間といった限定的なコミニティでの話といった所だっただろう。しかし、その後には編集者のアカウントも参戦するほどに少し大事にはなっていた。 この内容を追ってはいなかったが、過去に私が何度が述べていたこと様であった。それはラノベ作家とイラストレーターとの知名度の格差といったモノである。 これに関しては上記の記事だけでなく、私は何度と語ってきていたことだ。しかし、改めて考えてみると、これは作品

KADOKAWAがテンセントとの資本業務提携の発表を聞いて

今回は特に答えなどといったモノはないのだが、KADOKAWAが中国テンセントとの資本業務提携を発表したと報じられた件を語って見たい。 とはいえ、この件で経済の専門家などもどう見るか難しい話題であろうから、私の様な人間が何か語られることはない。だが、サブカル的な最近の流れを見ているとこの話題が関連付けられるため、触れておく。 まず、この発表から自分の頭で関連付けされた話題は幾つかあるが、真っ先に思い出したのが「龍が如く」シリーズの名越稔洋氏が中国の会社に引き抜かれるのではな

ライトノベルとSNS格差 ~コンテンツの上位か下位か

■一個人の感想と同じ編集者のビジネスつい先日、とある個人のTweetがラノベ界隈にわりと大きな反響を与えていた。 確かにラノベを下にした言い方ではあるが、続く根拠は現状と照らし合わせれば賛成も反対も両極端に分かれる内容である。 だが、その少し前にはラノベの編集者として名が知れている人がこのような投稿をしている。 一個人が語る「ライトノベルはコミックの劣化コンテンツ」と有名編集者の語る「ラノベ(ライト文芸)作家がウェブトゥーン原作者になって確実に勝つ方法」はタイトルだけ見て

創作界隈での「チート」についてと、ゲームでの「チート」のこれからについて

ゲーム上でのチート行為は厳禁となっていく中で、創作としての「チート」は生き残ることは出来るのだろうか。 創作界隈で使われる「チート」はもはや余所とは違う意味で使われ続けている。用途としての源流であるゲーム界隈とも、本来の英語の意味でも違っている。 ただ、それ以上にゲームにおける「チート」の位置づけは世代の差でも大きく違っている。昔はまだ容認される部分はあった。だが、今は臭わせただけでも炎上、非難される。 仕舞にはゲームだけでなく、ゲーム配信プラットフォームからも追放されて

『サイバーパンク・ブーム』は2020年以降に来る

サイバーパンクは2020年以降に来ます。これは確実だと思います。 理由に関しては、銃規制の背景もあって現時点でも銃描写を描くことは難しいからです。 実際、『メタルギアソリッドV』では銃の名前が架空のモノとなっています。今までのシリーズでは実際の銃の名前が使われていたのに。 これは銃規制という世相的な背景にあるからです。 より正確に言えば、銃による凶悪事件とビデオゲームの因果に対して、銃メーカー側の配慮、圧力といったものです。当然、ゲーム会社の配慮もあるにせよ。 そして、

作家自身のマネジメントとは ~「作家2.0」に至らないの理由

先日、とあるラノベ作家が「感想がない」、「書きたくない」といって活動を休止を宣言した。この事は多少なりとも波紋を呼んだ。 ただ、これらの理由は私が思うに建前、いいわけだろう。 例えば、定食屋で「ごちそうさま」と客が言わないから店をたたむなど言った所で、何を馬鹿な話をしていると思う前に単に客が入ってないだけの話と簡単に推測できるだろう。 当然、この件に関しては真相は分からない。 だが、この程度の作家の言い分を素直に信じられるほど、現状は甘くはない。このコロナ渦の状況も相

なぜ自分は個人コンテンツが必要と考えているのか【改】

まず、ここを明確にして置かねばいけなかった。 この記事で語りたかった事だけ語って、意図を抜きにしてネットに掲載していた。また、自らの書籍化すること今にとって有利、お金になるといった偏った記事であり、中立性は欠けていた。 それでも、まずは話題になる問題提示が先に必要であったとも思っていた。 だから、今回は私が個人コンテンツ、強いてはWeb小説家であっても自ら出版する個人コンテンツがなぜ必要か考えているのかを語りたい。 ただ、今回はエッセイにも満たない、酒の場での本音トーク

Web小説家はなぜ書籍化に依存するのだろうか? ~自らコンテンツを作る時代は来ているのに

2000年代、『月姫』、『ひぐらしのなく頃』といった作品が同人ゲームから出てきた。これは衝撃だった。更に商業作ともなっていく様は更に驚愕だ。 その上、同人でありながら二次創作まで盛んであり、1ジャンルを築いていった。 本当に恐ろしいことである。 同人という、個人から始まった作品が市場で大きなムーブメントを生んだのだから。 最近だと、同人エロCG集ではあるが『搾精病棟』もヒットしたことで騒ぎとなり、その利権を獲得しようと企業が名乗りを上げたことは話題に新しい。 そんな中、W