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【短編小説】ヨッちゃん

 僕らは敬意と愛情と恐怖を込めて、その人のことをヨッちゃんと呼んでいた。
 歳は三十過ぎ。背は1M75くらいでガッチリ体型。角刈りで、この時期は、下はニッカーボッカに上は茶色のジャンバー。いつも酔っ払っているかのような赤ら顔だった。大通りの駐車場で仁王立ちして、雄叫びを上げているときがある。相手はいない。道路の真ん中に立って、その先を睨みつけているときがある。前には誰もいない。僕らはその姿を見つけると、道を折れて曲がったり、脇道がない時は、なるべくヨッちゃんを見ないようにして、努めて普通に歩く。回れ右しようものなら、足早に避けようとしようものなら、ヨッちゃんは脱兎の如く駆け寄り、
「今、俺を避けたろう」
と詰め寄ってくる。
「あ、ヨッちゃん。こんにちは」
「何がこんにちはだ。今、逃げようとしただろう」
「え、今ですか。逃げる? そんなわけないじゃないですか」
青くなって弁解しても、ヨッちゃんは許さない。大人の男なら、そのまま神社前のそば屋に連れ込まれて一杯奢らされるし、僕らみたいな学生なら、10分はそこで説教される。何を説教されるかと言うと、人の道についてである。
「だいたいお前らは親の恩を感じてんのか」とか、
「でかい面下げて歩いてんが、ちったぁここで生まれたことを感謝しな」とか、
「学生さんは勉強が本分だ。お前、この前の数学のテストは何点だった?」とか訊いてくる。そば屋に拉致された大人も、内容は違うが説教されるらしい。だから、三丁目界隈を歩く時は気が抜けなかった。
 ただし、酒を奢らされるといっても一杯だけで、それ以上たかられることはないそうだ。見境はないが、同じ人間ばかり奢らすわけではないという。そしてヨッちゃんは女には手を出さない。
 が、やっぱりそんなヨッちゃんをよく思わない輩もでてくる。だが、俺ならそんな野郎、のしてやる! などと息巻いてはいけない。ヨッちゃんは喧嘩が異常に強いからだ、一発殴らせといて、後は必ずボコボコにする。一発殴らせるのは、お巡りさんが来た時の言い訳のためだ。
「先に手を出したのはテメェだろうが」
つまり、正当防衛を主張するのだ。どう考えても過剰防衛だが、ヨッちゃんに挑戦するのは、それなりに腕に自信のあるやつで、お巡りさんに助けられたとあっては沽券に関わる。なので、事件にはならない。
 困ると言えば困る人なんだが、そうとばかり言えないところがまた困る。いつぞやチンピラに町田さん家のお嬢さんが絡まれたことがあった。お嬢さんは二丁目でチンピラに声をかけられた。相手にしないでずっと歩いたが、チンピラはしつこかった。三丁目の駐車場まで来て、ここから先、暗くなるのでどうしようかと思った時、そこにヨッちゃんが現れた。ヨッちゃんは、チンピラを引きずり倒し、今回は有無を言わせず血祭りにあげた。チンピラが組の名前を言って粋がったことも、火に油を注いだらしい。ヨッちゃんは、ここらをシメる組の幹部とはツーカーなのである。なんでも後日、その幹部がチンピラを連れ菓子折り持って謝りに来たそうだ。
「ケジメに指落としますか」
と言った幹部の頭をペシペシ叩いてヨッちゃんは、
「気が利かねえなあ。指より酒持ってこい」
とチンピラに酒を買いにやらせて、三人で朝まで飲んで許してやったそうである。
 そう言うと、ヨッちゃんは無敵に思うかもしれない。が、さっきも言ったように、女にはカラッキシ弱い。これは女子全般に弱い。神社の娘の翔子ちゃんは特にヨッちゃんの天敵だ。翔子ちゃんはよくヨッちゃんに意見している。
「あんたねえ、人のめいわく、かんがえなさいよ。いつもよっぱらってさ、人にたかっちゃダメじゃない」
 こないだも道で説教されていた。でも、そんな時のヨッちゃんはとても嬉しそうだった。翔子ちゃんの背に合うようにひざまづいて、サイです、スマンコトです、と素直に返事をして頭を下げていた。翔子ちゃんは小学校二年生である。

 僕はそんなヨッちゃんのことが好きだ。その生き方が羨ましい。僕は小さい時から、お前は医者になれと、爺さんから毎日のように言われていた。それが当たり前なんだと、いつの間にか思い込んでいた。うちの親父は頭の出来が悪くて医者になれなかった。爺さんは親父の轍を踏むまいと、小さい頃から、家庭教師をつけて、僕に勉強ばかりをさせた。その家庭教師も、少し成績が下がればくるくる変えられ懐く暇もなかった。
 友達もできなかった。だから、奢りまくって取り巻きを作って喜んでた時期もある。自分より劣ってる奴を見つけては、からかったり貶めたりして気を晴らしたこともある。我ながら嫌な性格をしていた。だから高校生になって、敢えて僕に近づこうという者はいない。幼馴染の空気の読めない二人を除いて。

 自分が嫌になった時、僕は神社に足を運んだ。ひとりになれるからだ。朝、登校前にここに来るのが好きだった。落ち葉に隠れた石段を、一段一段慎重に踏みしめて境内に上がると、町全部が一望の下に見えた。手前に僕らの住んでいる市街。キラキラと朝日に煌めく山田川の向こうに、見渡す限り緑色の畑地が広がっている。が、よく見ると、半分は休耕地で、売りに出されるという噂も聞いている。誰もいない。しんとした静けさに、救われたような気になれた。
 境内は掃き清められている。そこに微かに雅楽の音が流れ始めると、そっと踵を返す。そうしたとき、たまに箒を持ったヨッちゃんを見ることがある。町で見るのと違ってジャージ姿のヨッちゃんは、静かに僕に会釈する。

「前から不思議なんだけど、ヨッちゃんてどういう人なの?」
神社のことは言わずに、父親に訊いてみた。
「ヨッちゃんて、三丁目のか」
「そう。なんか知らない?」
「知らねえなあ。10年くらい前からあの辺ウロチョロしてるけど、地元のもんじゃねえからな」
「ここの人じゃないの」
「山田川の護岸工事があったんだよ」
「ああ、台風で決壊したんだっけ」
「あれの仕事で流れてきて、そのまま居着いたらしいがな」
「何して食ってんの」
「さあな、格好からして、日雇いじゃねえか。あんまり働いてるとこ見たことないけどな」
「話にも聞かない?」
「聞かねえなあ」
思い切って訊いてみた。
「ねえ、神社と関係ない?」
「神社? ああ氏神さんか。いや、他所モンだから関係ねえだろ。神社にいんのか」
「いや、まあ。あの辺で見ることがあるから」
「神社ねえ」
と父親は不思議そうな顔をした。

そんなヨッちゃんの素性が知れたのは、四月半ばのことだった。
 唯一話しかけてくる同級生の山本から、こんな話を聞いたのだ。
「相良。知っちょるか。三丁目にマンションが建つらしいぞ」
「マンション? アパートじゃなくて?」
「不動産屋があの辺買ってたのは、そのせいじゃってさ。最後まで土地を売らんかった町田さんもとうとう軍門に下ったちうことらしいわ」
「町田のお嬢さんが嫌がらせされたんはそれでかな」
「まあ、あん時はヨッちゃんがおったからよかったが、またやられんとも限らんしな。町田さんも無理ないわ」
「しかし、あんなとこマンション作って、どうすんだ。人、入るかな」
「でっかい工場ができるんやて」
「ああ、聞いたことがある。川向こうだろ」
「そう。従業員が千人単位だってさ。二丁目に新しく花容橋がかかったから、あれ渡ったら工場はすぐだしな。それ見込んでんじゃないかって」
「そりゃええが、マンションは高かろう。社宅でも建てたらええのにな」
「そりゃ社宅も作ろうが、給料高い奴らは、社宅は嫌だろ。それを見込んでこっちに業者がマンション建てるらしい」
「まあ、こっちには駅もスーパーもあるし、学校もこっち側だもんな」
「でな、今揉めちょるらしい」
「なんで?」
「三丁目、神社があるじゃろ。マンションは神社の石段のすぐわきに建つらしい。七階建てで。多分、神社より高うなんな」
「見た目、台無しじゃの」
「いや、揉めるどおー」
 マンションが建てば、あの神社からの眺めも消えてしまうのだろうか。
 三丁目は元はここらで一番奥まった場所で、そこに氏神様が祀られていた。一丁目も二丁目も昔からの住人は、多くは氏子であるはずだ。
 が、今ではそれを意識するのは、正月の初詣の時と夏祭りの時くらいであった。
「ヨッちゃん、納得するかなあ」
 ふと、そんな言葉が口をついた。
「ヨッちゃん? なんでヨッちゃんが出てくんの」
山本は失笑する。「ヨッちゃ反対なんか?」
「いや、知らんけど」

 後日、計画がハッキリしてきて、二丁目の集会所に氏子が集まった。好奇心で僕も見に行った。一丁目と二丁目の氏子は、マンション反対の意向を明確にした。一丸となって反対していこうという意見だった。
 対して三丁目は昔からの住民は少なく、氏子も数えるほどだった。もともと賃貸アパートが建っていた場所なので、強い反対の意見は起こらなかった。アパートにしてからが、護岸工事の時に建てられた安普請だった。今は入居者もまばらで、買い手がいてよかったと、本心では思っている者もいるはずだった。現に地主は、既に土地を手放していた。だから、建てるのは仕方なかろう、という意見を出した。
 言われてみれば、三丁目の言うことももっともだった。やがて話し合いは、反対は反対でも、建つのは仕方ない、せめて階層を低くできないかという申し入れしようという流れになっていった。それを氏子の総意として確認しようとした時、ヨッちゃんが乗り込んできたのだった。

「まるごと反対せい言うても、ヨッちゃん、それは無理筋でしょうが」
二丁目自治会長の橋本さんが言う。せっかくまとまりかけたところをヨッちゃんに混ぜ返されて、面白くなさそうである。構わずヨッちゃんは食い下がる。
「なんで」
「三丁目の土地はあらかた売っちゃてるみたいだし、人の土地にあれ建てるな、これやるな、とか無理筋でしょう」
「じゃ、神社はどうなる。すぐ隣に、神社より高いマンション作って、神さんを見下ろすんか。罰当たりが! だいたいなんで、ここにマンション側の人間がおらん」
「今日は方針の確認じゃ。マンション側には代表がこれから申し入れる」
「申し入れの代表は誰じゃ」
「それは宮司さんの秋山さんと総代になろうかの」
「氏子の総代は誰じゃ」
「ええと、氏子の総代は守山さん、あんたじゃなかったっか」
 当てられた守山さんは、実に嫌そうに返答した。
「いや、そりゃ俺じゃが、輪番でたまたま今ワシじゃが、そお言われてもなあ」
「なんじゃい。全部秋山さんにおんぶに抱っこする気か。恥ずかしいと思わんのか」
ヨッちゃんはますます熱くなる。
「いや、まあ、そうやけど、秋山さんは神社におるから家賃もいらんし、なあ、そこは、なあ」
「何が、なあ、じゃ。お前らの神さんと違うんか。秋山さんは教師やって、神社の修繕の時も、だいぶ身銭切っとる。知っとるんか! 他に俺が代表で交渉しちゃるぐらい言うやつはおらんのか!」
いきなり火の粉が降りかかってきた。みんな一様に黙り込む。暫くして、守山さんが口を開く。
「あんた、氏子じゃなかろうて」
「おう。違う」
「他所の人じゃろ。なんでそんな躍起になる。あんた、関係なかろう」
「関係はある」
「なんで」
「俺は神社の社人じゃ」
「シャジン? なんじゃ、それ」
「お寺で言うたら、寺男じゃ」
「あ、ああ。下働きか」
少し侮蔑の匂いがした。
「ああ、下働きじゃ。下働きで、何が悪い」
「いや、悪いことはないが」
「朝、日の出と共に起きて、身を清め、朝日に柏手をうつ。神社に参じて境内を掃き、手水の水を改め、本殿を水拭きし、榊を整え、宮司の祝詞を拝聴する」
「そのあとはなんじゃい、たかり酒か」
「おうよ。ワシは神職じゃないけえの。好きにするわ」
「なんじゃと。勝手が過ぎようが!」
「勝手も勝手。好きにするわ。じゃが、お前らも勝手じゃなあ。何百年も続いたこの社を、お前らの勝手で汚すのか。はは。笑えるのう」
みんな推し黙った。代表の件は、また考えることにして、この日は散会になる。

ヨッちゃんは総代の守山さんと最後まで話していた。去り難く、僕は公民館を出たところでヨッちゃんを待っていた。二人が出てきて、守山さんが先に行ってしまってから、ヨッちゃんに近づいた。
「ヨッちゃん、社人だったんですね」
「おう。時々朝来る兄ちゃんか」
「相良って言います。道路に立ってたのは、あれは不動産屋追い返すためだったんですね」
「まあな」
「町田さんへのヤクザの嫌がらせもそういうことですか」
「さあな」
「もしかして、大人を飲み屋に誘うのも、土地を売らないように説得してたんですか」
「言っても無駄だったけどな。みんな売っちまいやがった」
「残ったのは神社だけ」
「あいつらこの調子だと、秋山さん追い出して、神社も売りかねえかんな」
「神社って売ってもいいんですか」
「知らねえがな」
「まさか売ることはないにしても、あの景色がなくなるのは嫌ですね」
「そうよ。だから、総代に言ったんだよ。あんたの代で千年続いた神社、汚していいのかって。バチあたんぞってな」
「脅し?」
「まあな。それも含む」
「千年続いてんですね」
「そんなもんだろ」
「この土地の人でもないのに、ヨッちゃん、どうして神社のことに、そんなに熱心なんですか」
「まあ、いろいろあんだよ」
ヨッちゃんは笑って答えなかった。

 次の日の朝、久しぶりに神社を訪ねてみた。いつものように境内は綺麗に掃き清められていて、やがて微かに雅楽の音がし始めた。いつもはそこで階段を降りるのだけど、その朝は音につられ、本殿に回ってみた。翔子ちゃんが鈴を持って舞っていた。横にお母さんが座っている。側にカセットデッキがある。
「神楽舞だ。きれいなもんだろ」
いつのまにかヨッちゃんが横にいて、僕に教えてくれた。
「きれいですね」
翔子ちゃんは口を真一文字に結び、一心不乱に舞っている。時々、鈴を鳴らす。
「毎日、やってんだよ。毎日、ああして練習してる」
「マンション、建たないといいですね」
「ああ。昔通りの神社で、翔子ちゃんには舞ってもらいてえな」
 しかし、マンションは建つだろう。この街はどんどん変わっているから。その流れには、きっと逆らえないから。駅前には大型スーパーができて、昔からの商店街は、徐々に寂れ始めている。家電量販店ができれば、みんなそこで品定めをするようになるだろう。工場ができて、新しい人が入ってくれば、この町ももっともっと変わらざるを得ない。
でも、変わらないものもあって欲しい。この神楽舞のように。
巫女さんの装束をつけた翔子ちゃんが舞う姿を想像した。隣のヨッちゃんも、そうしているのだろう。僕らは時を忘れて、ただその舞に見入っていた。

            了

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